第5話『ゲームオーバーとかって、あるのかな……?』
「……上手くできてる」
「はい?」
「いや、何でもねぇ」
私はフェザナの言葉に答えずに、立ち上がってそびえ立つ木々を見上げた。
「綺麗な世界なのにな……」
◆ ◆ ◆
「ヴィアス、起きて下さい」
かすかな鳥のさえずりの中、耳元で声がする。誰かに肩を優しく揺すられている。
……背中が痛い……重い頭のままどうにか目を開けると、目の前にフェザナが朝の光を背に覗き込んでいた。
……朝から爽やかな笑顔。低血圧の私には何があっても真似できないわ。
「……ぁ、」
「朝ですよ。朝食の用意、できてますから」
だんだん頭がはっきりしてきた。そうか、やっぱり夢じゃなかったんだ……夢の中で眠る事があっても、それから目が覚めてこんなにはっきりしてるはずがない。
いつものようにタイマーで流れるお気に入りの曲で目が覚めて、ぼんやりしながら制服に着替えて朝食を取り、顔を洗って自転車で駅に向かう。そんな当たり前な朝が来ると思っていた。いや、思いたかった。
ちょっとした夢だったらすごく面白いものなのだから。そして学校で
でも私を起こしたのは『スピッツ』の『8823』ではなく、フェザナの声だった。
私はやっぱり、不思議な世界に迷い込んでるんだ。
「あー……」
すごく不機嫌そうな顔をしてると思う。低血圧なのは向こうの世界での私だけど、多分ヴィアスも同じような気がする。
でも、いい加減諦めなきゃな。ドノスフィアが存在しちゃう事も事実だし、そこでやらなきゃならない事を、受けちゃったのも事実だ。
私は勢いをつけて立ち上がると、両手で顔をこすってからフェザナたちのいる方へ向かった。
「ヴィアスはお寝坊さんなんだね」
ティアルが嬉しそうに言う。
「一人で寝るのに慣れてねーんだよ」
そう軽口を叩いて、フェザナが手渡してきたスープの皿を受け取った。
……いや、これは、ティアルには通じないネタでは? って言うか、通じたら怖いよ……何気なくフェザナの顔を見ると、目が合った途端に赤面して目線を外された。
……え? うそ、ちょっと待って、この程度でもセクハラになる?
これはある意味、大変だ……適当に軽口叩いていられないぞ……ああ、いつもの
「それじゃ、フェザナと寝ればいいのにー」
あっさりとティアルが突っ込んだ。
いや、それは私がほしいツッコミではないのだけど。フェザナを見ると、申し訳ないくらい思いっきりうつむいている。耳まで赤い。しょうがないなぁ……
「俺としては、かわいい女のコが希望なんだけど」
「じゃ、ティアルは?」
「まぁ、あと十年したら考えてやるよ」
そう言って、スープに口をつける。
ティアルは、十年かぁ、と言いながらスープを口に運んだ。
本気……じゃないだろうけど。いやいや単に添い寝と考えれば、今のティアルと寝る方が何の問題もないんじゃない。墓穴……
スープは透き通った翡翠色をしていた。何だか見た目には綺麗なんだけど、食べ物の色としてはどうよ? みたいな。でも食べてみると案外さっぱりとしていて、中に浮いている藻というか、海草のようなものもなかなか美味しかった。あ、アレだ、モロヘイヤのスープに似てる。
フェザナはスープ以外にパンを用意していて、それが食べてみると結構堅くて、スープとパンだけで充分お腹が一杯になった。
「キリはまだありますよ」
フェザナはそう言って空になった私のスープ皿を指した。キリ、ね。何だか料理の名前を覚えるのも大変そうだ。
「なぁ、これはなんて言うんだ?」
私はそう言ってパンを持ち上げた。フェザナは一瞬きょとんとした顔をしてから、
「パン……ですけど」
と言った。これはパンなの?! 一緒なのか! ……すごい新鮮な驚きだ。
一人納得している私を、二人が不思議そうな顔で見ている。やば。
「ああ、で、今日の予定はどうなってんだ?」
「今日はまず、北東に向かって進みます。できれば適当なヴィスを倒して、次の街に着くまでにある程度の貯金をしたいのですが」
そういえば、オルはお金として使えるって言ってたな。でも、貯金とは?
「飯代くらいならわかるが、貯金って何だよ」
「私の魔法は戦いには向いてないのです。一応、結界などできる限りの事はしますが、それでも武装しているにこした事はないでしょう。貴方がヴィスと戦っている間は、私たちは丸腰の状態なのですから」
そうか、魔法ってのは、何でもできるような気になってた。
って言うか、それってすごい大変な事なんじゃない?!
「お前、武装くらいで何とかなるのかよ! ティアルもいるってのに!」
「なりませんね、多分。武器なんて使ったことありませんし」
フェザナはあっさりと言ってのけた。えええ?!
「それでどうするんだよ!」
「どうしましょう?」
フェザナはその言葉をティアルに振った。
「ヴィアスが守ってくれるよ、絶対!」
ティアルは満面の笑みでそう言い切った。……おいおい、絶対ってどこからそんな自信が……
絶句している私をよそに、二人は納得したようだった。それじゃ、貯金だって無駄じゃないのー……
「ったく、何の為の貯金だよ……」
「いえ、貯金というのは他にもあります。貴方の剣が成長するためには、それなりのオルが必要なのですから。できる限り集めるのにこした事はありませんし」
そうか、そんな事もあったんだった。
成長する剣。私の剣が今の状態でそれなりの強さを持っているって事は、これをさらに成長させようとしたら、それなりの労力を要するに違いない。
とにかく、私は剣を成長させる為にもオルを集めなきゃいけなくて、二人を守りつつ同時にヴィスと戦わなきゃならないのだな。しかも必要があるから、出てきたヴィスだけじゃ足りないかもしれないとすると、自らヴィスに当たって行かなきゃならないんだ。
そうそう、ゲームでもうっかりお金やレベルが足りなくて、ストーリーとは関係のない所で意味もなくうろうろしたりするんだよねー。って、ゲームじゃないんだった。そりゃ大変だ……コンティニューとか、あるわけないし。
私はスプーンをくわえたまま、呆然としてしまった。
ゲームオーバーとかって、あるのかな……?
……ダメだ、そんな後ろ向きな事考えてちゃ。
ゲームならゲームオーバーもリセットで簡単に戻れるけど、ここでのゲームオーバーは即、死ぬ事を意味してる。ゲームじゃないんだから。夢……でもないんだから。
「……ヴィスに殺られるって事は、あるのか?」
少し真剣な顔で、フェザナを見た。
彼は美しい顔で少し微笑むと、ちょっと伏せ目がちにしてスプーンを置いた。
「強いヴィスになると物理的な攻撃で命を落とす危険もあります。しかしそれよりもヴィスが恐れられている理由は、ヴィスは人を取り込むからなのです。そして、取り込まれた人がどこへ行くのかは、わかっていません」
彼は皿の中のスープに何かが映っていて、その奥を見つめているように見えた。
「ヴィスが生まれる行程も、本当はよくわかってないのです。ヴィスの元になる悪意や憎悪と言うものが、どのようにして実体を得るのか。今もし、ヴィアスが私の事を憎んだとしても、その場に即ヴィスが発生するものでもないのです」
……私はフェザナを憎んだりしないけど。
「ただヴィスに飲み込まれた人が、他の人がそのヴィスを倒したとしてもこの世界に戻る事はないのは事実です。そしてヴィス自体は実体を伴わない。ですから、どこかに通じている歪みなのではないか、というのが、一般的な認識です」
「……そうか」
明確な敵とは言い難いのだな。それは、私たちが常に持っている心の暗い部分であって、悪としてだけ存在するようなものではないのだ。
ただの怪物だったら、話は早いのに。しかも、その悪意の強さによって、ヴィスの強さも変わる。
上手くできてる。
自らを強くするためだけに、強いヴィスを欲する事なんか、できないじゃない。それはつまり、もしかしたら自分の心と戦う事になるのかもしれないのだから。
――― 何で私の髪は、こんなに硬くて多いのかなぁ……
――― 数学、全然わかんない……勉強してるのに……
――― あのコみたいに綺麗に生まれてきたら、人生変わってたよねぇ……
――― もう、こんな自分大嫌いー!
はっとして顔を上げた。憎悪や悪意とは違うかも知れないけど、確かに私は、私に対してイヤな気持ちを持ってた。
もしかして、そういうのもヴィスになったりする?
だとしたら誰かに向けた憎悪や悪意だけじゃない、自分に向けたものも含まれるんじゃない?
悪意や憎悪なんていうとスゴイ悪いものみたいに聞こえるけど、きっとそんな些細なものだって含まれてる。心の小さな闇がヴィスを産むのだ。
そりゃヴィスもなくならないわけだ……人間なんだから、そんな気持ちを全て抑える事なんてできないし。そしてその責めを自ら負うのだ、この世界では。
「……上手くできてる」
「はい?」
「いや、何でもねぇ」
私はフェザナの言葉に答えずに、立ち上がってそびえ立つ木々を見上げた。
「綺麗な世界なのにな……」
独り言を言う私を、ちょっと不思議そうな目でフェザナが見上げている。でもそうやって心の闇を少しでも浄化することができるから、私の世界よりも綺麗に見えるのかもしれない。
風が木々の間をすり抜けていく。
その風に、なにかイヤな空気を感じ取る。何か、いる。
私は無意識に左手を腰の剣にあてた。右手が緊張している。でも、用意はできてる。多分、大丈夫。
「ヴィアス……」
「しっ!」
私を見上げたまま、少し緊張した声で話しかけたフェザナを制する。彼は厳しい表情で隣のティアルを抱きしめた。
どこ? どこから来る?
右斜め後ろの方から、何かが近づく気配がする。後ろ!
振り返った瞬間に、前方からミサイルのようにかたまった黒い霧がものすごいスピードで近づいて来たのが見えた。
ヴィスだ!
ギリギリすんでの所で体の前に剣を構えると、よけ切れなかったヴィスは剣に真っ直ぐ突っ込み、私を避けて左右に真っ二つに裂けていった。
そして分かれたヴィスは、甲高い音を上げて風の中に消えていく。
その風の中から、キラキラ光るオルがこぼれ落ちるように、私の手元に落ちてきた。小さなオレンジ色のかけら。私は左手の中でそれをもてあそんだ。
「……ヴィアス、」
緊張から解き放されたフェザナが声をかける。
「ああ、小物だな」
私はオルをもてあそびながら答える。気に入らなかったニキビのあと、くらいかな。
「ほらよ」
オルをフェザナに投げ渡すと、剣を鞘にしまう。
「毎回この程度なら、いいんだがなー」
私は軽口を叩いて馬車の方へ歩きだす。
そんなこと、無理だってわかってるけど。
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