第36話 如月維子は生きている

 居間の香りや家具の配置、絶妙な気温が如月の海馬を強く刺激していた。


 大きなテーブルの上で腕を突っ伏して眠ってみたり意味もなく動かない掛け時計を眺めてみたりと、記憶を思い出してなぞるようにそれらしい生活を試してみる。


 だが、どうあがいてもあの頃の日常は戻ってこないのだと心で分かってた。


「進まないといけないって分かってるのに、これ以上行動する気力が湧かないや。ずっとここにいたい……」

「『如月君は本当にそれでいいと思っているのですか? 私はあなたの考えを知りたいです』」

「……嘘だよ。こんな悪趣味な空間が好きになれるわけがないね」


 そう言って如月は椅子を引いて立ち上がり、家の探索を開始する。


 タンスの中やトイレ、浴室にも大したものは存在せず、2階へ向かうため階段を登っていった。



 如月家の2階は絃の部屋と維子ゆきこの部屋があり、もぬけの殻となった今ではどちらも空室と化している。


 そもそもが幻覚かもしれないが、それでも如月にとっては懐かしさがとても辛い状況だった。



「『リッチの魔力を探知しました。この扉の先にリッチの本体があるはずです』」


 どうやら維子の部屋にそいつはいるらしい。

 意を決して如月は扉に手をかけて勢い良く開いた。


 維子の部屋はとても冷えており、まるで冷凍庫のように息苦しい空間だった。


 そんな中で、維子はポツンと立ち藍色の瞳がじっとこちらを見つめてきている。


 彼女は耳や首筋に髪がかかる程度の短めな茶髪を持ち、動きやすく小柄ながらもたおやかな体つきをしていた。

 真っ白な死に装束のような服を纏った維子は、表情1つも変えずに語り始める。


「いつもより落ち着かない様子だね、絃。ふふ、お姉ちゃんに久しぶりに会えて緊張してる?」

「リッチは『生前魔法に長けていた人物』がなることが多いらしいね……僕は、自分の姉にそんな才能があったなんて知らなかったけど」

「そうね。過去の私は言ってなかったみたいだけど、実はだったんだよ? まあ、顔出ししないで匿名でやっていたから誰にも気付かれなかったと思う」


 初見の情報を維子に扮したリッチにバラされた衝撃に少し動揺したが、彼女の語りはまだ終わっていなかった。


「才能はあったんだよ? たしか30万人くらい登録者いたし。あのまま配信出来てたら今頃80万人くらいがリアルな数字になるのかなー……」

「……じゃあドローンを僕にくれたのは誰かから貰ったから?」

「そうだね。強いて言うなら国からの贈り物なのかな。ちょっとネットで話題になったから知ってる人は知ってると思うよ? みんなも分かると思う」

「みんなって……誰に言ってるんだよ。僕のドローンに? 残念だけど君のせいで配信出来てるかも不明なんだよ」


 宙に浮いているたまちゃんを見ながら如月は告げる。


 この空間に来てからもコメントはループを続け、チャット欄が機能していない。


 ようやく対峙したリッチ相手にどうすれば攻撃が通るのか、会話をしながらも思考を巡らせ続ける。


 不老不死だと言うなら生半可な攻撃はかえって隙を見せるだけだ。


 それなら今は彼女と会話を続けて弱点を探るのが得策だろう。


《諦めないで》

《頑張れ》

《絶対に出られる》


「ふふ、さっきからあなたの配信で流れてるコメント面白いわね。『頑張れ』……か。これって本当に絃の視聴者? 随分と無責任な言葉しか言ってくれないのね」

「話聞いてた? もし……戦うつもりがないなら僕達を解放してほしいんだけど」

「戦うって言われても……私は死ねないからな〜あと、姉にする態度が大きすぎ、そろそろ怒るよ?」


(いいや、やっぱりすぐ斬ろう……ここにいたらおかしくなる……早く斬って銃弾を撃ち込んで楽にならなきゃ……)


 維子に気付かれないように喋りながら1歩1歩ゆったりと近付いていく。


 手を伸ばせば触れられる距離まで詰め寄った如月は彼女に向かって勢い良く剣を振り下ろす。


 その瞬間、背後からけたたましい音量のノイズが鳴り響き、部屋中に拡散した。


「たまちゃん……? もしかして壊れた……?」

「ガガガガガガッ……」

「あら……壊れたの?」


 耳を塞ぎたくなるような爆音に如月の思考は一瞬止まりかけるが、すぐに彼女の声がすっと聞き取れるようになった。


『今すぐしゃがんで!!』


 それを声と表現すべきかは不明。しかし、如月はそれをノイズなんかじゃなくたまちゃんの声として指示に従った。



「……あれ、何をして――」

「おらああああああッ!」


 維子の声を遮るように大きな斧が彼女の喉を引き裂く。


 たまちゃんの指示に従っていなければ、如月の首も巻き込まれていただろう。


 その攻撃者の正体は勿論、スイカだった。



 スイカは維子の背後を取っていたようだが、どこから出現したのか理解出来ない。


 困惑しながら頭を上げると、さっきまで維子の部屋だったはずの空間が半分引き裂かれており、舞台のステージの幕を無理やり引きちぎったように地下鉄の景色が隙間から見えていた。


 維子の顔半分が骸骨になり、リッチの本来の姿が浮かび上がる。


 中途半端に催眠が解けてしまったようで、如月の目に映る景色は何もかもが歪んで見え、現実と幻想の狭間にいるようだった。


「心配で助けに来たよ、キズラキ君!」

「スイカさん……?」

「あ、君がうちの弟を利用してる子? 容赦しないわよ」


 維子の顔で睨むリッチに対して、スイカは微笑みを見せたかと思えば直後に斧をもう一度同じ部分に斧を当てる。


 しかし、リッチは不老不死のため傷が出来る前に回復し終わり反対にスイカの首を掴んで持ち上げた。


 骨と魔力だけで構成された肉体にじわじわと首を締め付けられていくのをただ眺めているだけではいられない。



 そう思った如月は刃をリッチに向けようと立ち上がる。

 だが、如月よりも早く行動に出たのはたまちゃんだった。


 たまちゃんは強固なボディを弾丸として使い、リッチの頭部に向かってタックルをくらわせる。



 しかし、その程度の一撃がリッチに通用するわけがない。


 即座に如月が剣を振りかざそうとした瞬間、突如としてリッチはうめき声を出して苦しみ始めた。



「『あなたがほんの少しでも隙を見せてくださったことに感謝します。お陰で分析したデータをすることが出来ました。お二人とも彼女から離れていてください』」

「な、何だ……? スイカさん大丈夫ですか? 配信は?」

「スイカは出来てるよ! それよりもこれって……!?」



 怯えるように慌てふためき、首を絞める力を失ったリッチから解放されたスイカは、如月の正面に立って顔色を確認してくる。


 彼女の配信は正常に動作し、チャット欄からも人さまざまな反応が見られた。


 一方で如月のドローンはじっくりとリッチを映しながら、画面に大きく言葉を表示する。



「『わずかな時間になると思いますが、今からが現れます。どうにかして二人で説得して、リッチを無力化させてください。私に出来るのはここまでです』」


 体の震えが止まったかと思えば、再び無表情のままリッチは如月を見つめて、口を開いた。


「絃……なの?」

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