第5章

第1話 1人で寝れないヒロインが寝酒を誘ってくる

 高い空をそのままに。

 帳の下りた夜空には、雲一つ浮かんではいなかった。代わりに、宝石のように瞬く星々が散らばっている。現代ではまず見られない天幕に輝く宝石の数々を執務室の窓から見上げる。

「……綺麗だなぁ」

 そうしみじみ浸るけれど、執務机にある現実はそのまま。夜が明ければ見えなくなってしまう星々とは違い、いつまでも残る書類に心が挫けそうだった。

 既に背骨は砕けるどころかぐにゃぐにゃで、卓上に突っ伏すのが常態じょうたいになってしまっている。


 書類を下敷きに、机で頬をぶにっと押し潰す。

 ひんやりと冷気が頬から伝わってくる。これが夏ならいいのだろうけど、室内であっても肌を切るような寒さだ。ぶるりと身体が震えてしまう。蝋燭の灯火だけが温もりで、室内を淡く照らしていた。


「どうにかしたいとは言ったけど」

 上着を着込み、寒さに耐えながら一枚の紙を持ち上げる。

 日本語のメモ。

 領地の状況や、これからどうするかなどを綴ってはみたが、良案なんて浮かびはしない。所詮素人考え。燃え盛る火の車をどうにかしろと乗せられたところで、どうにもできるわけもなく、一緒に燃えて灰となるのが関の山だ。

 どうにかしたいという思いだけでどうにかなるなら、幼児にだって国を経営できる。


 とはいえ、いつまでも銀髪メイドに資料を読んでもらい、状況を把握するに留めるわけにもいかなかった。

 今日、村に行って感じた印象は、ヒビの入った堤防だ。

 貴族に対する恐怖を超えるまでには至っていないが、いつ決壊してもおかしくないように見えた。白衣を着た青髪の女医は先駆けでしかない。

 これがゲームなら現状を打破するなにかがポンッと出てくるものだけれど、この世界はそう優しくはなかった。

 主人公にすら厳しいのだ。

 ゲームでは名前すらなかったヴィルなんぞに、ご都合主義は訪れない、か。


「ま、やるだけやってみるかー」

 延々と、益体もない考えを巡らせてもしょうがない。

 今日は休んで、明日頑張ろうと身体を伸ばす。それこそ、異世界転生主人公ではないが、現代知識を利用すれば一攫千金も夢ではないのだから。うんうん。多分、きっといける。

「前向きにー、ってね」

 と、思ったところで遠慮を感じるノック音が響いた。夜中だからか、その音は小さいながらもやけに響いて、鮮明に聞き取れる。

 どうぞ、と。

 声をかけると、建付けの悪いドアがギィッと軋む音を上げながらゆっくりと開く。


 そっと、扉の影から蒼い星が顔を出す。

「ヴィル様、失礼します」

 予想通りというか、なんというか。

 おずおずと部屋に入ってきたのはメリアだった。蝋燭の淡い明かりしかないというのに、その蒼玉の瞳は暗い執務室内であっても輝き、目を惹く。


 なんの用だろう……とは思わない。

 むしろわかりきっていて、羞恥と緊張で鎖骨がじんじんと痛む気がした。

「1人じゃ、……寝れない?」

 毎夜毎夜。

 部屋を訪れては一緒に寝てほしいと泣くように縋ってくる美少女を相手に、健全な男子高校生である俺は本来どう思うべきなのか。

 喜べばいいのか、嘆けばいいのか。

 いっそ手を出せばそんな苦悩も消えるのだろうけど、手を出したら出したで別の悩みを抱えそうだ。なにより、純愛系のエロゲーも大好きな俺としては、そうした行為には夢を見ていたい。そういうのは、両想いでするべきだ。抜きゲーやってんじゃんとか、そういう的確なツッコミは受け入れません。


 今夜も我慢大会かーとどうにも重くなった腰を浮かせようとすると、よたよたと覚束ない足取りで近付いてくるメリアが揺れるだいだいに照らされながら小さく首を左右に振った。

「そうじゃなくって」

「今日から1人で寝れる?」

 それは、嬉しくもあり、寂しいなぁと思う。

 けど、独り立ちってそういうもの。いつまでもお母さんと一緒のベッドで寝るわけには「寝れません」あ、そう。


 どうやら、俺の精神修行はまだ続くらしい。

 ならなんだとメリアを半眼で見てみたら、細い両腕でなにかを抱えていることに気が付いた。俺の視線を追って見られているのを察したのか、抱えていたそれを両手で掲げて見せる。

「お疲れの様子なので、一緒に飲みませんか?」

 と、ワインボトルの中でトプンッ、と濃い紫が波打った。




【あとがき】

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