第6話 仔犬メイドの教育方針

 言われるがまま,部屋を出ていった銀髪メイドの後を追いかけると、直ぐにメリアを見つけられた。

 水の入った木製のバケツを足元に置いて、廊下に並ぶ窓ガラスの1つを磨いていた。のだが……、

「……(ぼー)」

 どこを見ているのかわからない、焦点の合わない瞳。銀髪メイドの言っていた通り、心此処にあらずといった様子で、掃除に身が入っていないのが傍目に見てもわかった。

 注意力散漫で、俺や銀髪メイドが来たことに気付いた様子はない。


 こんな調子なら失敗もするわなぁ。

 仕事の出来る出来ないではなく、集中力に欠けていた。どうにかしろ、というのもわからなくはない。

 けど、どうにかしろって言われても。

 頑張れ。

 と、発破をかけたところで効果がどこまであるのか。むむっと眉間にシワを寄せて考えていると、蒼玉の瞳が端に寄る。そのまま視線は俺を捉える。見開き、丸くなる。


「ヴィ、ヴィル様……っ!?」

 驚き、仰け反り。

「あ、」

 危ない。そう注意を促す暇もなくメリアは後ずさると、バケツに足を取られてドッテンバシャン。まるで定められていたかのように、尻もちをついてバケツをひっくり返してしまった。

 当然、メリアはびしょ濡れになって、ぺたんっと座り込んで「うぅっ」と呻く。


「ベタな……」

 ここまで見事だと、心配よりも先に芸術性すら感じてしまう。洗練されたコントを見ている気分になる。

 けれども、涙なのか、バケツの水が跳ねたのか。

 目尻を濡らした少女を見れば、呆れと同時に情も湧く。

「大丈夫?」と手を差し出せば、「ごめんなさい……」と落ち込んだ様子で手を重ねてくる。その手のひらはしっとりと湿っていて、触れた先から染み込んでくる。


 貸した手を支えに、よろめきながらも立ち上がったメリアは、濡れ鼠な自身の状態に目を向けるよりも俺のことが気になるらしい。水滴の乗った睫毛を伏せ、瞳を泳がせながらも上目遣いで窺ってくる。

「ヴィル様は、どうしてこちらへ?」

「それは」

 言いかけて、うっと口の中で呻く。

 メリアが気にしなくとも、俺は濡れ濡れなメリアが気になってしまう。髪が肌に張り付き、水滴が喉を伝う様は扇情的に映る。エプロンドレスの下は黒いワンピースのため透けることはなかったけど、それでもピッタリと身体に張り付くのを見てしまうとなんとも言えない心地になる。


「ヴィル様?」

「んっ。あー」

 身を寄せるように近付かれ、つい顔を背けてしまう。

 落ち着かず、鼻の頭を人差し指で撫でる。ちょっと熱い気がするのは気の所為か。


「メリアがどんな様子か気になったから」

 正確には、銀髪メイドにドジっ娘メイドをどうにかしろと仰せつかってのことだったけど、口にする機会はなかった。

「……!」

 目を見開く。睫毛から雫が弾けて散る。

 ふにゃっと力が抜けたように笑う様は、嬉しさが内側から溢れ出たようだった。

「心配してくれて、ありがとうございます」

「や、うん……ね」

 休憩の呼び出すついでぐらい、なんてとても言えない喜びようを素直に分かち合えない。というか、俺が見に来たぐらいでこんな嬉しいものかと思うも、

 ――紅い瞳の貴方が、私は好きです――

「~~っ」

 釣られて思い出した告白に身悶える。


 わかっている。

 それは、心の支えがない故の勘違いだって。

 追い詰められて、頼る者がいないから、たまたま傍にいた俺に抱く感情を好意と解釈しているだけだ。

 ひよこが生まれて最初に見た者を親と認識するように。

 絶望の淵にいた時に、たまたま手助けした俺に縋っているだけだ。


 なのに。

 わかっていても、こうも好意を全面に出されると照れてしまうし、嬉しくも思ってしまう。そう感じている自分がもどかしくもあり、悪い気分でもないのだから困ってしまう。

 勘違いだけはしないようにしないと。

 弱みに付け込むのはよくない。

 ん、んっと喉を鳴らす。意識を切り替える。母親を前にした子供のように嬉しそうな蒼い瞳を真正面から受け止める心構えを作る。よし。


「えっと、大変? 平気?」

「……? はい。大丈夫です」

 一瞬、唐突な問いかけに不思議そうにしたけれど、ためらいなく頷いた。

 ただ、その反射的な応答に、訊き方を間違えたなと思う。そりゃぁ、大丈夫と問われれば、誰だって平気だと答える。それも、直属の上司がいる前ならなおさらだ。

 そっと後ろを窺うと、「なにか?」とジト目で刺されたので「なんでもないです」と正面を向き直す。


 俺の反応がわかりやすかったのか、メリアが苦笑する。

「本当に、大丈夫ですよ?」

 ただ、と。

「ヴィル様が傍にいないのは……不安です」

 寂しそうな、甘えるような言葉を、俺はどう受け止めればいいのか。

 素直に嬉しく思えばいいのか、依存めいた言葉にこれからの彼女を不安に思えばいいのか。

 わからなくって。


 唇を結んで、自分の作るべき表情を考えていると――くしゅんっ、と。

 可愛らしいくしゃみに、ついメリアをまじまじと見てしまう。

「……ごめんなさい」

 頬を赤らめ、恥ずかしそうに視線を逸らす彼女に、ふっと力が抜けたように笑みが溢れた。

 気にしすぎてもしょうがないか。


「とりあえず、風呂かな」

 身体を温めておいでと勧める。後ろから、俺にしか聞こえない程度の小声で小声でぼそっと「薪代も馬鹿にならないのですが」という棘はやや耳を痛くしたが、聞こえないフリをしておく。


「これぐらい、なんでもありません」

 気丈に振る舞うけれど、髪先から雫が滴り落ちるぐらい濡れているのに、これぐらいではない。とはいえ、そのまま口しても頑なに遠慮しそうな空気があったので、

「そのままじゃ掃除したそばから汚れるよ」

 と、指で廊下をちょいちょいと示す。


 バケツが転がり、水浸しの廊下。

 髪から、メイド服から。

 ぽたぽたと水滴が床に落ち、現在進行系で掃除するべき場所を広げている。 


「……ごめんなさい」

 これには否定することもできないようで、しょぼんっと肩を落とす。

 濡れたのもあってか、なんだかその姿は雨に濡れてしょぼくれた仔犬のように見える。メリアには悪いが、連想して、ちょっと可愛いなって思ってしまった。


 けど、悲しませたままというのはこちらとしても決まりが悪い。だから、メリアの機嫌を取ろうと緩んだ口を開く。

「終わったら、一緒に休憩を取ろうか」

 言うと、俯いていた顔をバッと勢い良く上げた。飛沫が飛ぶ。冷たい。

 それに気付かず、メリアは顔を輝かせると「……はい!」と嬉しそうに返事をしてくれる。


 やっぱり、犬っぽい。

 飼い主に構ってもらうのが嬉しい仔犬。見えない尻尾をブンブンッと勢い良く振るのを幻視しながら、踵を返したメリアを見送る。そのつもりだったけど、パシャッと水たまりを踏み抜いたメリアがピタリと硬直する。しゅんっ、と尻尾が垂れた気がした。

「……片付けてからにします」

「いいよ、やっておくから」

「でも」と申し訳なさそうなメリア。まぁ、自分がバケツをひっくり返したなら気にもなるか。

 とはいえ、濡れたままで風邪を引かれても困ってしまう。

 どうしようとオロオロするメリアを、どうしようかなと思っていると、

「早く行きなさい」

 ピシャリと銀髪メイドが言う。有無を言わせぬ迫力にこくこくと頷いたメリアが、今度こそ駆けていく。


 流石だなぁ、と感心していると視界の端に映り込んできた銀髪メイドが横目にジロリとめつけてくる。

「甘やかしすぎでは?」

「……そんなつもりないんだけど」

 すーっと視線を逃がす。と、気になるのか、後ろを振り向いたメリアが、前方不注意でまたコケていた。鼻を押さえ、生まれたての子鹿のように震えながら立ち上がったが、どうにも見ていると心配になってしまう。

 思わず手を伸ばして、はっとなる。じーっと、横から向けられる視線に汗が吹き出しそうだ。

「随分と大事にされているのですね?」

 皮肉めいた言い回しに、伸ばした手をぐっと握り込む。

 そんなつもりは、ないんだけどなぁ。



 ◆第3章_fin◆

 __To be continued.

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