第4章
第1話 エロゲなら3日3晩休まずプレイできるが、仕事の缶詰はしんどい
「むりぃ。ぜったい、むりぃ。おわるわけないぃ」
執務机に倒れ込んだら、泣き言が堰きを切ったように出てくる。心はまだ高校生のままなのに、気分は会社に使い潰される社畜だった。
窓の外は雲1つなく、青々としている高い空が広がっているというのに、どうして俺は執務室にこもっているのか。空気が悪いわけではないはずなのに、淀んだように感じる執務室にうぅっと口から悲しみが溢れる。
「新鮮な空気を吸いたい……」
「換気致します」
仕事の手伝いをしてくれている銀髪メイドが、さっと窓を開ける。違う、そういうことじゃないんだ。
一瞬、ぶわっと吹き込む風。
嫌だ見たくないと言いながら、書類が飛ばないよう手で押さえてしまうのがなんだかやるせなかった。
領主として書類と戦うようになってから、3日が過ぎようとしていた。
とはいえ、やっているのは基本的に銀髪メイドさんによる読み聞かせ。幼稚園の先生と違い、その声音に優しさは皆無で、淡々としながらもスラスラとした滑舌の良さはニュースキャスターに通じるものがある。
聞いてるだけじゃんと思うかもしれないし、思ってもいるけど、口頭だけで読めない書類の内容を把握するというのはなかなかに辛い。知恵熱で煙が出ないか不安になるほどに。
メモも取っているが、日本語で書いているため銀髪メイドに見られるわけにもいかなず、彼女が席を外すタイミングを見計らってだ。ただ、大した内容は書けず、もっぱら『不作』とか『増税』とか不穏な単語が並ぶばかりになっている。
そんな調子だからか、読むべき書類は一向に片付かない。
ただまぁ。
引き継ぎなんて当然なく、なにも知らないまま当主の座に就いて、領地の全てを理解しろというのが無理難題なわけで。
そも、情勢も日々変化している。
仕事に終わりなんてあるはずもなく、現在の環境に慣れるというのが一番の課題かもしれない。
「つまり、根を詰めるのはいけないと思うんだけど、どう思う?」
「領主ですので寝ずに働いてください」
にべもない。
というか、鬼である。異世界のメイドって、ご主人様に厳しいのが主流なのだろうか。エロゲの『ご主人様大好きちゅっちゅ』なメイドイメージが抜けないから、冷たくあしらわれる度、俺の中のメイド像にヒビが入ってしまう。
美人な銀髪のメイドさんに付きっきりで面倒を見てもらう、というシチュエーション自体は好みだけれど。胸もおっきいし。
と、思ったら頭を叩かれた。
「なじぇ?」
「不埒な想念を感じたので」
「エスパーかな?」
時折、女の子ってこういう第6感が働くけど、そんなにも男の下心はわかりやすいだろうか。別に不埒な考えがあったわけじゃないんだけど。エロいなぁとは思ったけど。
なにやら、「えす、ぱー?」と言葉の意味を思案している姿は、理知的な大人の雰囲気ある銀髪メイドにしては珍しく幼気で可愛らしくほっこりしてしまう。ただ、今はそれよりも、
「お外出たい」
出たい。
「……外気は取り込んでいますが」
「空気だけ吸いたいわけじゃなくってね?」
黙って仕事してください。
冷たい相貌がそう物語っているが、流石に3日も缶詰にされていれば反抗心も覚えるというもの。部屋飼いの犬だって、毎日散歩に連れていくのだから、俺だって外で日の光を浴びるぐらいは許されるはずだ。
「ね?」
と、圧をかけてみると、銀髪メイドが思案するように目を細めた。
「それは、屋敷の庭園ではなく?」
「いやぁ」
言っちゃ悪いが、この屋敷の庭園はほぼ廃墟と変わらない。
初めてこの屋敷を訪れた時、夜だったから幽霊屋敷に見えただけかもと思っていたが、昼間も変わらずボロボロで、庭も同様。色とりどり咲いて華やかだったろう花壇は枯れ落ち、枯れ葉ばかりが溜まっている。
ティータイムを楽しんでいただろう石畳みのテラスはひび割れ、テーブルは土埃を被って今にも風化しそうだった。
霊感なんてないのに寒気を覚える庭園では、とてもではないがこの鬱屈とした気分が晴れやかにはなるはずもなかった。とはいえ、そうなってしまっているのも、お金や人手の問題で銀髪メイドのせいではない。
ただ、直接『だって、ボロボロで怖い』というのは、現在屋敷を管理している彼女に言うのは憚られた。
濁した言葉を汲み取ってくれたのか、それ以上説明を求めてこない。こなかったが、やはりその反応は渋いままだった。
渋面という言葉が似合う厳しい顔つき。
「……では、村にですか?」
「行けたらなーって」
どう? と、銀髪メイドの表情を窺うも、どうにも芳しくなかった。うーむ。こうも抵抗されるのはなんでだろう。
暗に仕事をしろと言ってくることはあるも、俺の行動を阻害するようなことはなかった。それは、俺が領主であり、彼女が使用人だからという、冷たい態度に反して立ち位置を明確にしているからだと思っている。
だから、『領主としての責任をかなぐり捨てて、いってらっしゃいませ』ぐらいの皮肉はもらうだろうとは思っていたけど、こうも許可が下りないとは考えていなかった。
なんでだろう。
そう思いつつ、説得を試みる。
「ほら、紙の上だけじゃわからないし、実際に村や領民の生活を見てみるのも大事だよね。うん、大事。だから、ね? ちょっとぐらい、どうかなぁって思うんだけど……」
「……ヴィル様が出掛けたいというのなら、私に止める権利はありません」
外に出てもいいという意味なんだろうけど、銀髪メイドは微妙な表情のままだ。俺を見つめる銀月の瞳には、不審の色が常に彩られている。けれど、今日に限ってはその中に揺らぎというか、まるでこちらを慮るような気遣いがあるような気がした。
「ヴィル様も理解されていると思われますが、良い顔はされませんよ?」
感じ取った気遣いは勘違いではなかったようで。
言われて、あぁ、と納得する。考えが至ってなかったと。
そりゃ、そうか。
まともに機能していない領主が能天気な顔をして村を歩けば、不満の矛先も向く。不作で食糧難。そこに増税までした領主とあればなおさら。口か、拳か。領民が抱いた不満を行動にしてもおかしくはないのかもしれない。
平和な日本で暮らしていたからか。
こちらで初めて目にした光景は、そんな甘い意識を切り変えるのに十分過ぎる衝撃だったはずなのに、まだ抜けきっていなかったらしい。
「うんごめんわかってなかった」
「…………」
素直に言うと、不審と心配を浮かべていた映していた瞳が、露骨に侮蔑を込める。『愚かなんでしょうか、このお方は』という思いが、言葉にせずとも伝わってきた。
そのあからさまな冷淡な態度に、これまでであればなんだよぉと落ち込みもしたが、胸の内はぬるま湯のような温かさがあった。
貶されて嬉しいとか、特殊な性癖に目覚めたわけじゃない。
ただ、
「やっぱり優しいね」
と、思ったから。
言うと、銀髪メイドは驚いたように目を見開いて、ついで椅子の足を蹴ってきた。
「や、ちょっと、やめてやめてお尻がブブル」
「もう勝手にしてくださいっ」
語気を荒げてバッと背を向ける。
所作の綺麗な銀髪メイドの見せる、荒々しい動きがなんだか素の彼女の現れなようで。
ほんの少しだけど、彼女を知れた気がして嬉しくなる。
ただ、そうなると安易に村に行けないよなぁ。
そもそも息抜きのために外出したいのに、針の
ピクニックに行けるような原っぱとかないかなぁ、と椅子に深くかけながら考えていたら、銀髪メイドが言う。
「では、村に出立する準備をして参ります」
「へ?」
そのままカツカツッと足音を立てて部屋を出ていこうとする銀髪メイド。
いやいや待って待って。
「あのぉ……行くなんて一言も」
言うと、振り返った彼女は満面の笑み。
ただ、目だけは笑っておらず、薄っすらと冷たい銀月が瞼の間から覗いている。
「領主として、領民の声を直に聞きたいというお言葉に感銘を受けました。
私もメイドとして、十全にサポートさせていただきます」
絶対に行ってくださいね? 逃がしませんから。という副音声が聞こえる。
で、悟った。
あぁ、これはあれだ。意趣返しだ。
優しいって言っただけでそう怒らないでもと思うも、それを口にしたら静かに燃える炎に火炎瓶を投げ込むようなもの。
「では、失礼致します」と部屋を出ていく銀髪メイド。バタンッとドアが外れそうな勢いで閉まる。
ぴゅーっと、開けっ放しの窓から風が吹き込む。今度は、書類を手で押さえる暇もなく、ひらひらと室内に紙が舞った。
「遊びに行きたかっただけなんだけどなぁ」
で、行くのこれ?
行かなきゃ駄目?
……………………本当に?
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