第4話 美術音声ガイドのような銀髪メイドの領地説明
字が読めない。
そう伝えた時の銀髪メイドの顔は形容し難いものだった。
「……そう、ですか」
奥歯に物が挟まったような、なんとも言えない表情。
やっぱり、まずいかなぁ。
悩み、吟味しているかのような長い沈黙に、頬が引き攣りそうになる。ただ、動揺しているとは思われたくないので、内心必死になって表情筋を引き締める。
領主なのに文字が読めないとかありえない。それも、先日までは読めていたはずなのに、出かけてから帰ってきた途端となると、怪しさしかないだろう。
できれば触れたくなかったけど、昨日伝え聞いた経済状況が事実なら、放置するわけにもいかない。
半ば、当たって砕けろの精神で、胃の辺りがきゅうきゅうっとこれまでの覚えのない痛みで鳴いている。
どうだろう……?
机の下で、痛むお腹を撫でていると、銀髪メイドが小さく息を吸い込んで、飲み込んだ。
「かしこまりました。
私が補佐に付きます」
「……ごめん。助かる」
言うと、目を細めるように銀髪メイドの下瞼が持ち上がった。なにやら不審メーターが上がった気もするが、こちらはお願いしている立場なので、謝罪と感謝を伝えないわけにもいかない。
前もそうだったけど、やっぱり貴族って使用人にお礼とか言わないものなのかな。銀髪メイドの反応から、ヴィルは本来そんなこと口にしないんだろうというのは察せられた。
けど、ヴィルに合わせられるかといえば、そんな横柄な態度は取れる気もしないので、やっぱり当たって砕けろで強引に誤魔化すしかなかった。
「……あの、私もなにかお手伝いできませんか?」
銀髪メイドを呼び出したら一緒にやってきたメリアが、恐る恐る手を上げる。メイド仕事を教わっていたんだろう。今日も彼女の格好はメイド服だった。
美少女のメイド姿はやっぱりいいなぁと思いつつ、視線を銀髪メイドに向ける。と、今度は彼女がメリアに向き直る。メイドをやっているだけあって、察し力は高いらしい。
「メリア様は字が読めますか?」
「……読めません」
「では、ヴィル様の手伝いはできませんね」
バッサリ切り捨てられ、しゅんっとメリアの肩が下がる。
意気込みと気遣いだけでは世の中ままならないものだ。
「なにか、他にできることがあれば」
「私がヴィル様の補佐に回ってしまうため、本来の仕事が滞ってしまいます。メリア様はそちらに回ってください。仕事については教えますので」
「……わかり、ました」
またもや下がるメリアの肩。有無を言わせぬ理路整然とした説明に、反論なんてできようはずもなかった。
その飼い主に構ってもらえないしょぼくれた犬のような姿を見ると、保護欲が湧いてくる。残念ながら字の読めないメリアに頼んだところで、書類を前に首を傾げる子が1人増えるだけで、生産性は全く変わらない。
「ごめんね?」
謝ると、ふるふると首を横に振って「我が儘を言いました。ごめんなさい」と逆に頭を下げられてしまう。そうもかしこまられると、逆に申し訳なくなってしまう。
慰めてあげたいが、女の子の慰め方なんてエロゲ知識しかない。なので、選択肢が出てこないとどうしようもなかった。
「……後で、紅茶の淹れ方を教えます。
休憩は一緒に取りましょう」
「――! はいっ」
銀髪メイドの言葉に、メリアが顔を輝かせて頷く。
ほっと息を吐き出す。
見れば、銀髪メイドはしょうがないと言いたげな表情を浮かべていた。やっぱり、優しいなって思う。俺に、というか、ヴィルには厳しいけれど。
■■
「――雨が少なく、不作が続いており、このままですと領内で餓死者が出かねません。かといって食料を買うほど余裕のある家はなく、領主ですらこの有り様です。そもそもとして、農業の担い手の高齢化や――」
訊きたくなかった。
俺から読んでと頼んだのだけど、訊きたくなかった。
美術館の音声ガイドのように淡々とした声音で次々明かされる領地の問題に、最初は背筋を伸ばしていた俺も、説明が続けば続くほど頭の重さに負けて前のめりになっていく。
「逃げたい」
「ご自由に」
泣き言を口にすると、辛辣な合いの手を頂戴した。
執務机におでこをぶつける。もはや訊く体勢ではないが、耳を塞いでないだけマシだと思う。
不作。金無し。その他領民の高齢化や害獣などなど。
身構えていたのだけど、その予想以上の不幸の山盛り加減にあっさりと心が折れてしまった。
「詰んでるだろこんなのぉ」
一切プラス要素がないのが、もはや笑えてくる。
無理だなと投げ出したいが、俺が言葉通り逃げたらどうなるか。領民は揃って餓死で、メリアや銀髪メイドもそう結末は変わらないだろう。
最悪身売り。バッドエンドから脱したと思っていたのは俺だけで、まだまだルートの真っ最中だったらしい。泣きたい。
読めもしない書類を1枚手に取る。はぁっと顔を隠すように当てる。
「兎にも角にも金か……」
現代だろうと異世界だろうと、世知辛い世の中なのは変わらないらしい。
ファンタジーだというのに、夢も希望もあったものじゃない。
「お金の件ですが」
この世の非条理を嘆いていると、ふと銀髪メイドが口を開いた。なにかしら、光明があるのか。ぺらりと顔にかかっていた書類を剥がすと、出迎えたのは咎めるように細められた銀月の瞳。
なに。その目。
悪いニュースの予感に口の端がうぇえと下がる。
「……なにぃ?」
「いえ。ただ確認を」
じっと、刺すように見つめてきながら銀髪メイドが言う。
「クルク男爵に支援をお願いすると城を出立されましたが、どうなったのでしょうか?」
「どう、なった、って……」
最初、言われた意味が理解できず、言葉を繰り返すことしかできなかった。ただ、次第に意味が脳に浸透していくにつれて、ざらざらと鼓膜を血の気の引く音が撫でていく。
ヴィルがクルク男爵の屋敷にいた理由って……。
「いかがしましたか? 顔を覆って」
「待って。受け止めきれない」
まさか、衝動的に殺しちゃいましたなんて言えるわけもなく、両手で作った暗い影の中に逃げ込むしかなかった。
「あの……失礼します。
掃除が終わりまし……? どうかしましたか?」
部屋に入ってきたメリアの不思議そうな声が聞こえるが、それに答える余裕はなかった。
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