第3話 乙女ゲームというよりはエロゲーで、エロゲーというよりは抜きゲー

 晒される摂氏0度以下の視線に震えそうになる。

 頬から垂れているのが汗なんかじゃなく、氷だと錯覚してしまいそうだ。


 使用人全員辞めさせるって……なんでぇ?

 ヴィルはなにを考えていたのか。

 小説とかでよく見る頭の悪い貴族子弟なのか、それとも、銀髪メイドの言う財政難はそこまでしなくてはいけないほど切羽詰まっているのか。

 どちらであれ、俺にとってはあまり考えたくない事態だった。


「……あー、と」

 緊張で口の中に唾液が溢れる。今にも零れそうになるのを、どうにか呑み込む。

 ここで冗談でしたーと言えたら良いのだけれど。そんなことをすればメリアを切り捨てるようなものだ。

 後ろから感じる不安は、きっと気の所為ではないだろう。


 そうであるなら、答えは決まり切っていて。

 けど、それを口にするのは、なかなかに勇気が必要だった。ギャルゲーエロゲーばかりの高校生。選択肢を選んでもセーブにロード、前の選択肢に戻ったり。

 勇気なんて振り絞ることのない人生で慣れてはいないけれど、今だけはなけなしの度胸をかき集めて唇を動かす。


「も、ちろん……雇う。

 ……たいなぁ、て」

 断言からの弱々しい希望。

 凶器染みた銀の瞳に鋭く睨まれて、なけなしの勇気はしょぼしょぼと意気消沈してしまう。情けないけど、ひえぇっと悲鳴を上げなかっただけ自分を褒めたくなる。

 それほどまでに、強い感情を伴う研がれた瞳で、目元に寄った皺が物語っていた。


「駄目……かな?」

「…………」

 沈黙って痛いんだなって。

 ごく最近、度重なる経験で覚えたけれど、だからといってどうこうする方法はない。

 喋らず、動かず。

 ただ待つしかない静寂に肌が過敏になって、全身を棘で刺されているような錯覚に陥る。

 逃げたい。けど……と踏み止まらせるのは、服の裾を引っ張る弱々しい力だ。


「……はぁ」

 長い沈黙を破った返答は、深い深い溜息だった。

 しょうがないというか、諦めというか。

 瞼を閉じる。下を向く姿にはどこかやるせなさを感じて、逆に申し訳なさを覚えてしまうほどだった。


「かしこまりました」

 折れてくれた、んだと思う。

 開いた銀月の瞳に微かなけんを残しつつも、それは元に戻ったという印象。俺が『メリアを雇う』と口にした時のような苛立ちは感じられなかった。


「ただし」

「ひゃいっ」

 空気を斬るような言葉に声が上擦る。

「教育や仕事の割り振りは私が受け持ちます。

 よろしいですね?」

 こくこく、と。

 息を止めてとにかく頷く。


 教育も、仕事を与えるのも。

 最初から俺にはどうしようもできないことなのでもとよりお任せのつもりだったが、そうでなくても今の銀髪メイドの提案を断れる気はしなかった。

 なんだか、厳格な上司から指示を受ける気分だ。立場的に上司って俺なんだけど……弱すぎる。


「では」

 と、足音を立てずメリアが歩き出す。

 回り込むようにして近づいてきて、胃の腑から緊張が迫り上がってくる。

 なにされるんだろうと、親に叱られる前の子供の気分でびくびくしていたけど、彼女の手が伸びた先はメリア――の首根っこだった。

「え?」

「どこかのあるじのせいで仕事は山程あります。文字通り。

 ――覚悟してくださいね?」

「やっ……!?」

 悲鳴を上げる間もなく、がっしりと首根っこを掴まれて強引に引っ張られるメリア。


「……たすけっ」

 縋る涙目に俺は両手を合わせることしかできなかった。強く生きて。

 最後の命綱だった服の裾からも手が離れてしまい、「あ」とメリアが最後の嘆きを零すと、

「行きますよ」

 その細腕のどこにそんな力があるのか。

 片手で女の子1人ずるずると扉まで引きずって行ってしまう。


「では、失礼致します」

「あぁ、うん。

 ……お手柔らかにね」

 言葉は届いただろうか。

 無常に閉じられた扉にメリアを思う。


「はぁっふー」

 つっかえていた空気を吐き出し、新鮮な酸素を肺に送り込む。

 力が抜けて、背もたれから滑り落ちる。座面に背中がくっつく。


「やっばいなぁ」

 1人になった部屋で零す。

 まさか、銀髪メイド以外の使用人が居ないとは思わなかった。しかもクビって。昨夜から誰も見ないわけである。

 家族すらも見ないのはなんなんだと思うが……この分だと、なにが地雷かわからず、安易に訊くに訊けない。


 解雇して雇用する。

 明らかなる矛盾……とは言わないまでも、なかなかに苦しい。

 銀髪メイドの中で疑念が渦巻いているのは容易に想像ができた。

 指摘しないのは確証がないからだろう。違うと言われればそれまで。それに、常識的にありえないのだから、言葉にするのは躊躇われるはずだ。


「常識……」

 失笑が漏れる。

 今の俺は非常識の塊みたいなものだし、俺からすればこの世界そのものが非常識だ。笑ってしまうぐらいに。

 けど、外から見ればその非常識もありえないという認識になる……はずだ。おそらく。だといいなぁ。希望的観測。


「でもなぁ」

 わっかんないよなぁ。

 メリアや銀髪メイド。この世界の住人にとって、今の俺の存在が本当にありえざる存在なのか、が。


 ここは乙女ゲーム『異世カレ』に似ている。けれど、同一ではないのは明らかで。それでも、酷似しているのは間違いはない。

 盲目的に信じるわけにはいかないけど、世界観や先の展開を参考にする程度はいいはず……なんだけど。

「ぉおおぅっ。

 どうして俺はスキップぅぉををっ」

 懊悩する。頭を抱える。


 わからない。『異世カレ』の設定が。

 いや、概要はなんとなくは把握しているし、ある程度なら理解もしている。メリアが乙女ゲームのメインヒロインで、イケメンを攻略していくっていうのは。

 けど、なんというかさらっと触れた程度というか。推理小説を読み飛ばして解決編だけ楽しんで、物語の背景全然知らないみたいな。


「でも、しょうがなかったんだってぇ」

『異世カレ』は乙女ゲームというよりはエロゲー。エロゲーというよりは抜きゲー方向としての購入動機だった。

 シーン以外ほとんどすっ飛ばしてたというかCtrlってたというか。

 でも、抜きゲー買ったらそういう目的じゃん。雑な導入とか、いやそんなことにはならんやろってツッコミ待ちなストーリーとかには興味なくって、なんならおまけのシーン鑑賞だけでいい。

 評価サイトではシナリオも高評価だったけど。

 俺がちゃんと攻略したのなんて1人だけで、しかも隠しルート。メーカーの遊び心みたいなもので、あんまり世界観には触れてなかったし。


「こんなことなら隅々までプレイしておくんだったぁ……」

 と、後悔したところでもちろん全ては後の祭り。

 そもそも、こんなことになるなんて、自分が世界の中心で主人公と思っているようなズレた奴でないと予想できるはずもなかった。


「それに」

 だらしない体勢のまま、見えない机の上を手探りで探す。書類を掴み取る。

「やっぱわかんないよなぁ」

 世界観よりも、文字が読めないのがなによりもまずい。

 財政難が事実なら、なにか手を打たないと破滅が這い寄ってくる。

 この世界に四季があるかはわからないが、気候的には冬っぽい。道中で馬車から見た畑には何も植えられてなかったし、食料は心配だ。


 屋敷はどういう状況なのか。領は。食料は。財政難というけど、どれくらい残っているのか。

 知らなきゃならないことは、経営素人の俺でも山程思いつくのに、知るための資料が読めない。

「駄目だ。詰んでる」

 むぅりぃ。

 これを嘆かずにいられるか。

 せめて、文字ぐらいは読ませてくれよと、こんな状況にした神かそれに近しい存在を恨めしく思う。


「……事情を説明して、助けてもらうしかない、かぁ」

 ぽけーっと天井を見ながらぽつりと呟くと。

 ずるっと椅子から滑り落ちて、「あでっ」と頭をしたたかに打ち付けた。

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