第6話 俺は男だからと言った。君は貴方ならいいと言った。

 心臓が止まる。

 そんな気がしてくるほどの驚きに、一瞬で脳が覚醒する。

 跳ねるように飛び起きて、ざざっとベッドの端っこに逃れる。


「び、びっくっ、びっくした……」

 危うく、永遠の眠りにつくところだった。

 左胸に手を添える。心臓は壊れたように胸を叩いているので、止まってもいないし、破裂もしていなかった。ただ、その鼓動はあまりにも早く、実際危なかったんじゃないかと思わせた。


「なん、で……って。

 あぁ、いや。なんででもないのかぁ」

 額を押さえる。前髪を梳くように下から持ち上げる。

 触れた額は汗でぐっしょりだ。寝汗もあるが、冷や汗がほとんどで頬に張り付いた髪が気持ち悪い。


 髪をかき乱す。

 そうだ。なんでじゃない。

 出会ってからこれまで。メリアの行動を理解していれば、こうなることは目に見えていた。というか、風呂であっても離れるのを嫌がったのだから、戻ってくるに決まっている。

 つまるところ、寝ていて油断した俺が悪いんだけど……いや、だからって隣で寝てると思わないわ。


 視線を向ける。

 身体を丸めて、小さくなってメリアが眠っていた。

 シングルより少し大きいとはいえ、2人で寝るには狭かったんだと思う。なら、一緒に寝るなと言いたいところだが、もちろんそのツッコミは遅すぎて、今の彼女は夢の中だ。


「……すぅ」

 すやすやと眠るメリアは起きている時の緊張がないからか、余計に幼く見えてしまう。

 けれど、身体は十分過ぎるほどに成熟していて、しかも風呂上がりだ。

 ギャルゲーなんかだと、風呂上がりのヒロインに主人公がドキッとする姿が多く見られる。俺もそういうシチュエーションは大好きなのだが、現実でそうした場面に遭遇したことがないからフィクションのたぐいだと思っていた。誇張表現とか、そういうの。


 けれど、こうして実際にお風呂から上がった後のヒロインを見ると、大げさでもなんでもなかったんだなと実感する。

 部屋を照らすのは蝋燭の火。

 淡い灯火だけだというのに、ベッドに広がる金糸の髪がしっとり濡れているのがわかる。

 艶があって、触れたら手触りが良さそうで。


 肌は火照り、覗く首筋が赤くなっている。汗で濡れた肌が嫌に目を惹く。着ている白いネグリジェは清楚だというのに、上気したその表情と合わさるとどうしてか色っぽく見えて、妙な罪悪感に襲われて顔を背ける。

 とても直視していられない。


「~~っ。

 これだから乙女ゲームのメインヒロインはっ」

 見目が良すぎる。

 数々のイケメンたちを恋に落としていくだけの説得力があった。


 これでは、いつまで経っても心臓は落ち着きそうになかった。

 全身に血が回り過ぎて身体が熱くなる。

 このままでは、鼻血を出すなんて昨今マンガでも見ないベタな反応をしてしまいそうだった。思わず、鼻を摘む。


「ん……」

 不意の声。心臓と一緒に身体がびくっと跳ねた。勢いで、鼻血が垂れてこないか心配になる。

 息を殺して、というか。

 呼吸もまともにできずに見守っていると、眠そうに目元を擦りながらメリアが目を覚ます。腕を支えにして、上半身を起き上がらせた。


「…………」

 ぼーっと、蒼玉の瞳がうつらうつら。

 寝ぼけ眼でじっと見られてしまい、身体が膠着こうちゃくしてしまう。頬を伝う汗だけが流れて、ベッドに染みを作る。

 暫くの間、見つめられていて、息も苦しくなってくるとその表情に変化があった。


 へにょっと。

 目が覚めて母親を見つけた子供のように、安心しきった顔。

 無防備な、あまりの愛くるしさに「うぐっ」と喉から呻き声が漏れ出た。ときめきで心臓が止まりそうだ。


 けれど、そうした幼気な彼女も寝ぼけてる間。僅かな時間のみ。

「……、……?

 ………………、……………………~~っ!?」

 メリアの意識の覚醒を表すように、徐々に蒼玉の瞳が丸くなっていく。瞼が持ち上がっていく。


 お風呂で温まって、最初からその顔は赤かったけれど。

 まだまだ序の口だったようで、より頬が赤みを増していく。ついにはボンッと、のぼせたように顔全体が赤くなってしまった。その赤み羞恥は首まで染めて、全身に広がっていく。


 よっぽど恥ずかしかったらしい。

 ならなんで隣で寝た。

 そう思わないでもないが、そこまで意識が回らなかったんだろうなと、余裕のなかった彼女を思い出す。


 ただまぁ。

 こうして取り乱されると逆に冷静になってくる。それで、良かったなぁ、と少しだけ嬉しくなる。


 お風呂に入って、一眠りして。

 段々と心の整理がついてきているのかもしれない。

 怯えや恐怖以外の感情がこうして表に出てきたことが、素直に喜ばしいと感じる。

 そう簡単に立ち直れないのはわかっている。

 けど、今だけは良かったな、と。本心からそう思う。 


「お、おはようございます……」

 正座(?)をして、俯き気味に、消え入りそうな声で目覚めの挨拶をされる。

 俺も思わず「おはよう」と返してしまったが、いやそうじゃないと心の中で冷静にツッコミを入れる。

 落ち着いて、緩んで。

 なんだか和んでしまったけど、そのまま流していい問題ではない。


「どうしてここで寝てるの?」

 部屋、用意するって言ってたよね? 銀髪メイドが。

 一緒に居たいにしても、寝る必要までなかったんじゃないの?

 そんな心の声を目一杯込めて尋ねてみると、メリアは膝の上の手をあわあわとさせる。


「その」

「うん」

「お風呂から出た後、部屋……を、訪ねましたら」

「はい」

「ヴィ……ル様が寝ておりまして」

「そうだねぇ」

 寝落ちしたねぇ。

「最初は隣で座って起きるのを待っていたのですが、

 あまりに気持ち良さそうに眠っていらしたので……私も、釣られて」

「寝ちゃった?」

 こくりと、頷かれる。


 そっかぁ。それならしょうがないなぁ。

 と、納得はするものの、やっぱり前提がおかしいなと思わざるおえない。そもそも、夜。男の部屋に来ちゃいけません。


 事情が事情。

 そうしなければ折れてしまうような気がして、あまり強くは言えないんだけど。

 どうしたものかなぁ。


「……はぁ」

 そうやって、つい零してしまったため息が良くなかった。

 赤く染まっていた顔が白さを、蒼い瞳が不安を取り戻して揺れる。

 見て、やってしまったと直ぐに悔やんだ。

 こんな顔をさせたくなかったのに。

 立ち直る兆しの見えたメリアに気が緩んでしまったのかもしれない。自分の不用意さが嫌になる。


「ご迷惑、だったでしょうか……」

「いや、ご迷惑っていうか」

 膝の上で広がっていた彼女の手が、いつの間にか拳を作っていた。

 見るからにぎゅっと力強く握って。

 白くなった手が、メリアの不安を物語っているようで胃の腑が重くなる。


 でも、

「今更、君に言うべきことじゃないのはわかってるけど」

 丁度良いのかもしれないとも思う。

 お互いのために。

 これ以上、彼女を傷つけないためにも。

 注意はするべきだろう。うっかりではなく、俺の意思でもって。


「俺も男だから」

 メリアが俺に向けてくれる感情。

 それは信用なのかもしれない。

 恩人に対する感謝かもしれない。

 もしくは、他に縋れる人が居なかったからなのかもしれない。


 でも――

 俺には彼女の気持ちに応えられる鉄の理性はなかった。

「我慢ができなくなる」

 性欲がある。

「メリアみたいに魅力的な女の子が隣で寝ていたら」襲ってしまうかもしれない。

 言葉にはしない。

 瘡蓋かさぶたで塞がってすらいない傷に刃物を当てるような真似はしたくなかった。

 けれど、傷跡を突き刺すような残酷な真似はもっとしたくない。


「だから、離れて。

 せめて寝る時だけでも」

 一緒には居る。起きている時ならいつだって。

 けど、隣で寝るのだけは止めて欲しかった。


 伝わった……と思う。

 言葉は濁した。けど、わかるはずだ。

 どう、だろう?

 メリアの不安が伝染したようにそわそわしてしまう。

 泣き出したりとかしないよね?

 思い、俯き気味に顔色を伺ったのだけれど、直ぐに心は驚きに変わった。目が丸くなる。


 だって、メリアは涙どころか、浮かべていた不安すら取り払って。

 穏やかに笑っていたから。

「いいですよ」

 優しそうに、嬉しそうに。

 目元を垂らして、彼女が言う。


 真っ直ぐに瞳を見据えて。見つめて。

にだったら、いいですよ」

 いいんです、と肯定を重ねる。

 なにがいいのか、なんて聞き返せない。

 気持ちを吐露するように。こうも真正面から告げられると、わからないフリなんてできなかった。


 手を伸ばされる。

 指先が俺の手に触れる。

 メリアが付けた傷を悲しそうに、けれどどこか慈しむようにそっと撫でてきた。


「助けられたのもそう。

 辛い時、一緒に居てくれたのもそう」

 瞳が重なりそうなくらい、世界が蒼に満ちる。

 海の底の底。

 深い深い深海で溺れるような、そんな錯覚を覚えた。


「けれど、きっとこれは一目惚れ。

 顔でもない。声でもない。容姿でもない――」

 ――紅い瞳の貴方が、私は好きです――


 瞳が細まる。

 まるで夜の海面のように暗くて、怖い。

 けど、どうしてか。

 目を離せなくって、離れられなかった。


「だから、傍に居て……」


 私はもう。

 貴方なしでは生きられないから、と。

 沈むように、抱きしめられた。

 ふっと、息を吹きかけるように蝋燭の火が消える。



 ◆第2章_fin◆

 __To be continued.

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