第5話 目が覚める。無防備な美少女の寝顔。

「あ……そ、これは」

「とにかく出てください」

 喉が詰まる。

 言い訳を口にしようとしたが、肩にかかった銀髪を激しく揺らしながら、有無を言わせず部屋からぽいっと追い出されてしまう。


 俺にくっ付いているせいで、一緒に追い出されて目を丸くしているメリアには申し訳なかった。

 バタンッ。

 大きな音を立てて扉が閉じる。

 部屋を塞ぐように立つ銀髪メイド。険しい目を向けてくる彼女に、俺は両手を上げて降参を示すしかなかった。

 冷や汗が止めどなく流れ落ちる。

 この険悪な空気をどうしようかと思っていると――バフッと顔にタオルを投げつけられた。


「……ここは貴方が入っていい場所ではありません」

 白で視界が塞がれる中、耐えるような声が印象に残った。

 さっきまでの怒りとも違う、水の中で溺れ藻掻くような苦しみに似たなにかを感じた気がした。

 他人にはわからない。

 なにか、大切にしている物に安易に触れてしまったような、そんな感覚。


「ごめん」

 だから、素直に謝った。

 怒られたからとか、怖かったからとか、そういった保身による謝罪ではなく。

 やってはいけないことをしてしまったと。

 そう、思ったから。

 ヴィルとは関係なく、俺として謝った。


 なんだか居た堪れなくって、頭からタオルがかかったまま俯いてしまう。

 視界が塞がっているのが、逆に良かったのかもしれない。

 銀髪メイドがどんな顔をしているのか。あまり見たいとは思えなかったから。


 けれど、無造作に。

 掛けられた時と同じような乱雑さで白から黒に視界が色を変える。

 真っ暗な廊下で。

 年季の入った扉の前で、後ろに手を回した銀髪メイドがなんとも言えない表情をしていた。

 怒りとは違う。

 困惑と疑惑。戸惑いで揺れる銀月の瞳に、俺の心の方が動揺で波打ってしまう。


 なんでそんな顔をするんだ。

 ただ、謝っただけなのに。

 ヴィルというのは悪いことをしても謝罪1つしない糞野郎だったのか。それとも、あるじだから? にしては、銀髪メイドの態度はご主人様に向けるには辛辣に過ぎるのだが。


 どうしたものか。

 思うが、どうしようもない気もするし、どうでもいい気もした。

 どれだけヴィルとは違う行動を取ったところで、中身が違うなんて気付けるはずもないのだから。

 そう、だから、と。

 不安を呑み込む。言い聞かせる。手の汗を握り込む。


「……、ご案内します」

「してくれるの?」

「見ていないと、不安ですから」

 暗に監視すると言われているのだろうか。

 心配ではなく不安という辺りに、彼女の心情が現れているようだった。


 失敗だ。

 けど、結果的には良かったのかもしれない。

 自分の部屋がわからないのを誤魔化す必要もなくなった。

 自然な流れ……とはとても言えないけれど、疑念が確信に変わるほどのことでもないだろう。

「……ふぅ」

「なにか?」

 ぶんぶんと首を横に振る。

 安堵の息すらつけない監視状態だった。

 訝しむ銀髪メイドの視線に、はは、と愛想笑いで返す。頬が引きるけど、しょうがないと諦めた。



 ■■


「……はぁー」ようやく吐き出せた息は、どうにも長く、重く感じた。

 ベッドに腰掛けると、尻が沈む。そのままどこまでも沈んでしまいそうなぐらいに、身体中が重かった。


 銀髪メイドに通され、ようやくヴィルの寝室に辿り着くことができた。

 ちなみに、場所はあの執務室っぽい部屋とは真反対の突き当り。

 2分の1かぁ、と。

 案内されて、己の運の無さを悔やんだのも仕方ないニアミスだった。


 外から見れば幽霊屋敷に見えても、流石は貴族の部屋というか。

 元の家よりは豪華な作りをしている。

 物が多いわけじゃないが、シックな調度品が並んでなかなかに洒落ていた。どうあれ、自分の部屋とは思えず、落ち着かないのは変わらないのだが、シングルより少し大きい程度のベッドにはまだ親しみを覚える。

 やっぱり、根が庶民なんだなと異世界に来て染み染み思う。


 とはいえ、肩の荷が下りたのは、ベッドが落ち着くからではなく、1人になれたからというのが大きかった。

 服を引っ張られる感触はない。

 当然、座ったベッドの後ろに誰かが居るということもなかった。


「ま、しょうがないよね」

 我ながら白々しく、不可抗力だと言っておく。しょうがない、しょうがない。


『濡れたままでは風邪を引いてしまいます』

 俺を部屋に案内して早々口にした、銀髪メイドの台詞である。

 そろそろと付いてきて、そのまま当たり前のように居座ろうとしたメリアの首根っこを掴んで連行していった。

 流れるようなドナドナ。

 その慣れた手際と容赦の無さに唖然とするしかなく、子供のようにぐずるメリアを見送ることしかできなかった。


 まぁ、見た目誘拐っぽいが、理由は至極真っ当で。

 なにより風呂への連行だ。

 流石に男の俺が付き添うわけにもいかなかった。ので、呆けたままに、小さく手を振るしかなかった。

『まってぇ』と両手を前に出して、涙目で引きずられていく様は、なんだか実の子供を里子に出すような心苦しさがあった。……あったが、いざ1人になると空気まで軽くなった開放感に、まぁいいかって。


 暗い部屋。

 微かな月明かりと、卓上に揺れる蝋燭の火だけが部屋を照らす。

 電気のない世界。

 停電の時に蝋燭だけで凌いだことがあるので、今は不便だなと思える程度だけど、これが日常となるなら違和感が強くなっていくのかもしれない。それとも、そんなモノを覚える暇もなく、俺の普通として刻まれてしまうのか。


 思うと、なんだか、はぁーってなって。

 上手く言葉にできない感情を投げ出すように、ボフンッと背中からベッドに倒れ込む。

 ゆらゆらと、天井で淡い明かりで揺れている。

 常夜灯にも通じる明るさだからだろうか。適度な暗さの室内は、眠気を誘ってくる。

 肉体的にも、精神的にも疲労は限界だった。

 1人になった気安さもあって、視界がボヤけていくのがわかった。


「おき、てない……と」

 この世界のこと。ヴィルのこと。銀髪メイドのこと。メリアのこと。

 考えなきゃいけないことは数えきれないほどあるのに、意識は落ちるように消えていく。

 あぁ、と。

 最後はどうでもよくなって、でも思う。

 次に目が覚めたら、のベッドで寝てたらいいな、て。



 そして――

「うおっ!?」

 目が覚めたら、淑やかに眠る金髪美少女の、無防備な寝顔が視界一杯に広がっていた。

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