第3話 銀髪メイドに疑われている

 憎悪にも似た敵愾心をぶつけられることなんて、これまでの人生でなかった。

 向けられる初めての感情に亀のように首を縮める。

 怒りとか、不機嫌とか。

 そういった日常の中でも感じる類の物ではない。それは、非日常にある物で、よくバトル系漫画のキャラが『殺気を感じる』というが、こういうことを言うのかもしれないと、実感と共に肌で感じ取る。


 というか、ヴィルはなにをしたら雇っているメイドに、こうまで負の感情をぶつけられるのか。一目見ただけで嫌われ方が尋常じゃないってわかるのは相当だ。

 感情の矛先が俺ではなくヴィルというのは多少の慰みにはなるが、今まさに敵意の刃を向けられているのは俺である。理不尽さと共に誰とも知れないヴィルを恨めしく思う。


 一頻り睨まれてびくびくしていると、肩の力を抜いたように銀髪メイドが瞼を閉じた。

「……お客様でしょうか?」

「お、お客?」

 何事もなかったように尋ねられて、切り替えの早さに付いていけなかったが、遅れて言葉の意味を理解する。

「ですです」

 と、頷く。手の平でメリアを指し示す。


 薄く開いた銀色の瞳が、疑り深く俺を注視してくる。

 なんか、怪しまれてる?

 その程度はここに来る前から承知の上とはいえ、遠慮のない視線に思わず瞳を逃してしまう。堂々とゴリ押すなんてのは到底無理があった。


「…………。

 では、私の方でご案内させていただきます」

 なにやら物言いたげな沈黙が挟まったが、余計な指摘はしない。なにが居るかもわからない、濁った池に興味本位で腕を突っ込む思慮のない子供の時分は過ぎ去った。

 それは、言い換えれば保守的に、臆病になったとも取れるけど、今はいい。


 とりあえず、銀髪メイドの態度から読み取れるのは、ヴィルの信用がないという1点。

 俺が連れてきたのに、女の子を任せておけないというのが言葉にせずともその細まった瞳から伝わってくる。


 でも、任せていいのかなぁ。

 会ったばかりの、人となりすら知らないメイドに。

 今の状態のメリアを任せていいものか悩む。……悩んだけど、怯えた見知らぬ女の子を連れ帰ってきたという客観的事実を思うと、傍から見て俺の方が信用ないのは明白だった。

 しかも、メイド服を着ている。使用人でもなんでもないのに。

 俺が無理矢理着せたわけじゃないけど、銀髪メイドさんから見て不審以外を抱きようがないなって我ながら思ってしまった。


 なら、いいのか。

 相手は同性で、メイドで。

 俺に対する態度こそ使用人のそれではないが、メリアに向ける眼差しは些か同情的に映る。なにを想像しているのか考えたくはないが、最初の出来事を思えば的外れでもないのだろう。


「なら、よろし――ぐぇっ」

 強く後ろに引っ張られて、倒れそうになった。油断していた首ががくんっと揺れて濁った声が漏れ出る。首筋が痛む。

 振り返ると、目尻にこんもりと涙を溜めたメリアが屈むようにして服の裾を下に引っ張っていた。千切れる千切れる。


「メイドに任せていい?」

「……っ(ぶんぶん)」

「でも、ずっと一緒ってわけには、さぁ?」

「一緒に居て、ください」

「でも、ね?」

「駄目……ですか?」

「……えぇっと、嫌?」

「……っ(こくこく)」

 そっかぁ。……どうしよ。


 困ったと、まだズキズキする首の後ろを撫でながら銀髪メイドを伺うと、どういうことかと銀の瞳を丸くしていた。

 言葉を失う。まるで、今この状況が信じられないように、呆然としている。

 暫く放心したように立ち尽くしていたが、さっと足を踏み出す。

 長いスカートを揺らしながら、俺の後ろで縮こまるメリアに近付いた。

 頭を屈め、縮こまったメリアに合せて膝を折って目線を揃える。その対応は泣く子供を慰めようとする大人そのもので、俺には辛辣な銀髪メイドの優しさが見て取れた。


「ご主人様……ヴィル様の傍を離れたくありませんか?」

「……は、い」

「それは、脅されているとか、そういうことではなく?」

 めっちゃ疑われてる。疑心しかなかった。

 こめかみがピクつく。思われてもしょうがない状況な気もするが、本人を前にして堂々と本音を晒し過ぎではなかろうか。

 俺のほうが泣きたくなってくる。


「もしそうであるのなら、仰ってください。

 例え、真実を明かしたとしても、ご主人様にはなにもさせはしません」

 諭すように、また語った言葉に真実味があるように、力強く言い切る。

 まるで悪役そのものの扱いだ。

 ヴィルがどう思われているのかが如実に垣間見える。

 悲しいなぁ。

 思うが、メリアには幼子に接するように優しいので、今は任せるのが良いだろう。

 彼女が説得してくれれば、メリアも俺を離してくれるかもしれないし。


 そう思ったのだけれど、

「脅されて、なんて……いません」

 薄い唇を震わせてメリアが言う。

「私は、ヴィル……様に助けてもらって。

 でも、村の皆も、お母さんもお父さんも、いな……っ。

 助けてくれ、たから……」

 嗚咽混じりに話す言葉は稚拙で、まとまりがなかった。

 言葉を重ねるごとに、抑えきれない感情が涙になったかのようにボロボロと零れ落ちる。


 きっと、口数が極端に少なかったのはこうして、溢れそうになる悲嘆を吐き出したくなかったからで。

 心情を想像すると胸に詰まされる。鼻がつんっと水気を帯びる。

「そう、……ですか」

 正面からメリアと向かい銀髪メイドはなにを感じ、思ったのか。

 俺には知る良しもないが、説得には失敗したなと悟るには十分な反応だった。「承知しました」と口にすると、スカートを撫でて立ち上がる。


 下腹部の前で手を重ねる。

 1歩、2歩と立ち位置を調整して、俺の前に回り込んできた。真正面から銀に輝く虹彩を向けられて、たじろいでしまう。

 けど、その慄きは、より大きな驚きによって上書きされる。


「申し訳ございませんでした」

「は、や」

 戸惑いが音になる。

 腰を折り曲げ、真っ直ぐに伸びた背中を晒す。

 あまりに綺麗な謝罪に目を奪われて、またその行動に驚いてしまい、思考回路が錆びついたように動かなくなる。


「思い込みで誤解をし、失礼な態度を取ってしまいました。

 伏して謝罪致します。

 罰をお与えになるというのであれば、なんなりと」

「ば、罰なんて与えないけど。

 それと、頭上げてくれない?」

 現状を頭で理解すると、女の子に頭を下げさせている状態こそ精神的にくるものがある。

 上げて上げてと両手を上下させると、「ありがとうございます」と感謝を告げられた。


 再び見えた顔はやはり愛想なんてなかったけれど、少しだけ風当たりは弱くなったような気がする。

「それでは、私はお客様の部屋を用意させていただきます」

「あ、はい」

 お願いしますと、条件反射で言うと踵を返してスカートを翻す。

 その所作は無駄がないというか、格好良いなぁとその後姿を見て思っていたら、カツンっと一際大きな足音を響かせて立ち止まる。

「念のため、ですが」

 ――変なことはなさらぬように。


 冬の空気に晒された鉄に触れたような硬質な声に、「……はい」と頷く。

 信頼に足るとは認められていないらしい。

 ヴィル、この屋敷の主で、領主じゃなかったっけ? と頭の隅で思ったけれど、有無を言わさぬ気配には抗えそうもなかった。

「……もしかして、屋敷のヒエラルキー最底辺なのでは?」

 まさか、ね?

 思うが、否定する材料はなかった。 

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