第2話 幽霊屋敷の銀髪メイド

 息と唾を呑み込む。緊張で喉が鳴る。

 メリアと繋いだ手の平が、これまでとは異なる理由で汗をかく。


 これが格差社会なのか。

 男爵であったクルクの屋敷は、一目見ただけでもわかるぐらい無駄に豪勢で、やたら大きかったのに。

 夜だというのに、カラスが鳴きそうな不気味さを漂わせる屋敷が本当に貴族の、それも子爵の物なのか疑いたくなる。

 爵位に財産が伴うなんて思ってないけど、あまりの隔たり、現実に頬が引き攣る。


「人……住んでるよね?」

 暗闇の中。辛うじて窓は認識できるが、生活を思わせる明かりはどこからも漏れていなかった。

 廃墟と言われたら信じてしまいそうだ。


 クルク男爵を殺した復讐に、遠回しに殺そうとしてるわけじゃない……よね?

 疑いたくなる。けど、多分、違うんだろうなぁというのも理解している。


 逃げたい。超、逃げたい。

 竦む足が訴えている。

 けれど、じゃあここから逃げたからといって、別の場所に行く宛はなかった。

 知らない身体で、知らない世界に放り出された俺にも、メリアにも。

 退路はない。となると、恐怖があろうとも進むしかなかった。


「……このまま立ってるわけにもいかないし」

 小雨ながら、まだ雨は降っている。

 俺はともかく、女の子であるメリアを寒空の下、濡れたままというわけにはいかなかった。


 瞼を持ち上げて、前を向く。

 出迎えるのは錆びて、蔦の絡まった鉄の扉。僅かに傾いていて、風に揺れてギィ……と軋む音が恐怖を煽ってくる。

 嫌だなぁ。つい、メリアの手を強く握ってしまう。で、思い立つ。


「あー……そろそろ、離さない?」

 頬をかいて、絡めた左手を持ち上げる。ぷらぷら、と俺と彼女の間で揺れる。

 繋ぎっぱなしの手。

 まるで、接着剤でくっ付いてしまったようなそれを、引き離していいかと尋ねてみる。


 流石にこのまま屋敷に入るのはなぁ。困ってしまう。

 心情的にも、現実的にも。

 例え、これが元の世界の家だったとしても、女の子と手を繋いだまま家に帰るというのはなかなかにハードルが高かった。家族にからかわれるのは当然で、自室に逃げたとしても落ち着かないに決まっている。

 加えて、知らない家に帰るともなれば、気まずいなんてレベルじゃないと思う。……いや、知らない家に帰るっていう日本語そのものが変なんだけど。


 おかしな状況だなと改めて実感しながら、どうにかこうにか喰い付いて離れないメリアの手から解放されたいのだけれど、

「……っ」と手の甲に棘が刺さったような痛みが走った。

 彼女の爪が、歯を立てるように噛み付いていた。


「……っ。……っ!」

 言葉はない。

 けれども、いやいやと子供のように首を左右に振って、縋るように空いていた右手で手首を掴んでくる。

 蒼玉の瞳には薄い水の膜が張り、今にも雫となって零れ落ちてしまいそうだ。


 手の痛みではなく、全身から溢れるその嘆願に「うっ」と呻いてしまう。

 離さないといけないのに、離せない。

 正しいことをしようとしているはずなのに、罪悪感が心を締め付ける。

 くしゃりと泣きそうな、歪んだ顔を見ていると俺が悪いように思えてしまう。


 こうなると、正否も善悪も関係ない。

 雨と汗で濡れた首筋を手で拭い、明後日の方向を見上げる。

「い、……いんだけど、よくな、い……と、いうかぁ」

 煮えきれない言葉をどうにか絞り出す。

 しどろもどろになって、口にすべき言葉が見つからなかった。


 だって、しょうがない。

 可愛い女の子に泣きそうな顔で手を離したくないと言われて、否否いないななんて冷たく突き放せる血も涙もないことができるはずもなかった。

 そも、ギャルゲーばかりの人生。

 リアルの女の子との接点なんて、クラスの女子ぐらいしかなくって、女慣れとは程遠い俺ではあまりにも経験値が足りていなかった。ヒロインの攻略人数だけなら3桁は超えるのに。1次元しか違いはなくても培った経験は役に立たないらしい。


「あの……せめて、服の裾にしてくれない?」

 本当にせめて、だ。

 裾でもどうかと思うのだけれど、まだマシだろう。

 事情は異なるとはいえ、手を繋いだまま家に帰るなんてバカップルみたいな真似は精神衛生上したくはなかった。服の裾なら……まぁ、迷子の保護にも見えなくはない、かも。……かも。


 どうだろうと暫く見守る。

 瞼を伏せ、瞳を泳がせる。微細に動く指先がくすぐったい。

 そうして、迷いを見せていたけど、硬くもこ……くっと頷いてくれて安堵する。未練を感じさせるゆったりとした動き。産毛を撫でるような感覚にうひっと変な声が漏れそうになった。

 彼女の指先が離れる――と、これまでの緩慢な動きが嘘だったように、しゅばっと服の裾を掴んできた。ぎゅっと耐えるように目を瞑る。皺が寄るのもお構いなしに、破けそうなほどに引っ張られて。

 つんのめって倒れそうになる。が、堪える。


 まぁ、まぁ、まぁ。

 あまりよろしくない気もしないでもないが、さっきよりはまだ良い方だろうと無理矢理に納得させる。


「じゃあ」

 と、足を踏み出す。

 倒れてこないか不安を覚えながらも鉄門をそっと押すと、金属の擦れる不気味な音を鳴らしながら呆気なく動いた。

 両腕を広げて出迎えるように開く。その呆気なさが逆に怖さを増していく。

 行きはよいよい帰りは怖いというか、帰らせてくれないというか。

 ミステリーやホラー映画に通じる『踏み入れたが最後』感があった。


 帰りたいなぁ……と、半ばホームシックに陥るも、そもそも帰り道なんてわからない。あるのかさえも。

 だから、前に進むしかなく。

 時折、くい、ぐいっとメリアとの歩調が合わず後ろに引かれながらも、砕けた石畳の上を歩く。長年手入れされていないのか、石畳を突き破るように雑草が生えている。異世界であっても、雑草の繁殖力の強さは変わらないらしい。


 さざめく木々に見られながら、屋敷の入り口。石の段差を踏んで登る。

 縦に長い、半円に窪んだ場所に扉があった。黒く、傷のある扉がやけに重そうだ。

 インターホンなんて電子的な物は存在しない。

 どうやって来客を知らせるんだ?

 不思議に思いつつも、とりあえずノックでもするかと叩こうとして、はたと止まる。


 そもそも、自分の家なのにノックがいるの?

 わからん。

 普通、こういう時どうするんだろう。ゲームを思い出してみても、そんな細かい描写があるはずもない。場所の移動なんて、暗転した次の瞬間には変わっているのだから、ゲームは便利で、不親切だった。

 そういうとこも描写してくれよとリアリティに欠けたゲームに内心、理不尽な文句を思いつつ、とりあえずノックをする。


 コンコンッと石でも叩いたような、響かない音。

 これ、中に届いてないよね? と、思いつつもう1度。やっぱり反応はなかった。

 そもそも、人が住んでるのかすら怪しい外観だ。誰も居なくても不思議ではない。


 物は試しとドアノブを捻ると、あっさりと開いて目を丸くする。

「これはこれで」

 なんか、やだなぁ。

 音もなく、案内人も居ないというのに、招かれている感が怖い。本当に幽霊とか居るんじゃないかと不安になってしまう。


 木の軋む、薄気味悪い音を背景に屋敷の中に踏み入れる。

 中は真っ暗で、明かり一つも――

「へふぃっ!?」

 ない、と思った瞬間、人魂のような明かりが小さく左右に揺れながら動いていて心臓が竦み上がった。

 息が詰まる。


 ま、まさか本当にお化けが……ッ!?

 サーッと血の気が引く音が鼓膜を掠めていく。カタンッ、カタンッと音を立てながら近付いてくる揺れ動く人魂に、鼓動の速度が早くなっていき、

「……ご主人様?」

 ランタンを手にした銀髪のメイドが、訝しげに目を細めていた。


 人だった。メイドだった。

「幽霊、じゃない……よね?」

「なにを仰っているのかわかりませんが」

 冷たく、辛辣な言葉。

 とても、ご主人様と呼んだ相手に向けるべき言葉ではなかったが、とりあえず、生身の人間だと分かって安堵する。よかった。


 銀髪のメイドはランタンを床に置くと、スカートを摘み見本のように綺麗なお辞儀カーテシーを魅せる。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

「あ、あぁ……えっと、はい。

 ただいま、です」

 臨機応援でゴリ押しすると決めていたのだが、いざとなると言葉は出てこなかった。

 というより、見目麗しい銀髪メイドとかファンタジー過ぎる存在に『ご主人様』と呼ばれている事実に緊張してしまう。動悸がして、手首をぎゅっと握りしめる。


 お辞儀で下げた頭を持ち上げ、姿勢を正した銀髪メイド。

 髪と似た輝きを秘める銀の瞳は鋭く、声音同様、敬いは見受けられない。

 むしろ――

「……はじめまして」

 俺の背に隠れるようにしていたメリアが、消え入りそうな声で銀髪メイドに挨拶をする。

 見れば、人見知りするように顔だけ覗かせていて、あまり礼儀正しいとは言えなかった。


 まぁ、でも。

 今日だけはしょうがないよなと、小言の1つでも言われたらフォローしようと思ったのだが、銀髪メイドの反応は予想外で、豹変するように目を見開いた。

 大きく、丸くした銀月の瞳にメリアを映す。

 ぎりっと、苛立つように白い歯を剥き、噛みしめる。銀の短剣のように鋭く細めた瞳を、俺に刺すように突きつけてきた。


「やはり、貴方は」

 吐き捨てるように言う。

「――最低です」


 あぁ、とようやく悟る。

 先程までギリギリに隠されていた感情。剥き出しになったその正体は敵愾心だ。

 憎悪にも似た侮蔑を向けられて、返す言葉もなく。

 息をするのも忘れて、耐えるように胸元を強く握りしめるしかなかった。

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