第2章
第1話 待っていたのは幽霊屋敷
「……」
「……」
馬車に戻ると、先程とは別種の重苦しい静寂が馬車内に漂っていた。
うねの雲は真っ黒い雨雲に飲み込まれて、今ではしくしくと涙を零すように雨を降らせている。バシャンッと、車輪が水溜りを弾く音がした。
本当なら、メリアを村に届けて別れるはずだったんだけど。
自分の身すらままならないとはいえ、あのまま彼女を放置していくなんて非道な真似できはしなかった。
なので、一緒にヴィルの家に向かっているのだが、なんと声をかければいいのかわからず、会話らしい会話はない。馬車の天井を打つ雨の音。ガラガラと回る車輪の音だけが響いている。
重苦しい空気と、分厚い黒雲を伴って向かうのはクルク男爵領に隣接する領地。クラウド子爵領だ。
つまるところ、ヴィルが領主を務める地……らしい。
見た目、10代後半か、よくて20代前半なのだが、領主って。跡目を継ぐにしても早すぎやしないか。
けれど、老執事からそれとなく聞き出したヴィルの情報は、クラウドという家名と子爵位であることだけ。詳細は不明なままだ。
本当ならもう少し突っ込んで訊きたかったんだけど。
胸の内で嘆息する。臆病な自分が恨めしい。
とはいえ、外見はともかく、中身が本人じゃないと知られるのは、何もわからないこの状況では悪手に過ぎる。それとない会話で、怪しまれない程度に訊き出せたのがこれだけだったのだから、仕方がない。
そもそも、ただの高校生に上手な交渉を求められても困る。生徒会どころか委員会に入ったこともなく、部活は帰宅部オンリーなのだからコミュニケーション能力なんて磨く余地がない。
徹夜ぶっ通しでギャルゲー1本全ヒロイン攻略っていうなら余裕なんだけど……この世界では俺の才能は早過ぎるらしい。
ぶっつけ本番。
誰ともしれない身体を使って、他人の家で家主として振る舞わなければならない。
よくよく考えなくっても詰んでいる気がするが、現実は待ってくれなかった。馬車は進む。行きたくないと願ったところで、止まりはしない。
まぁ、ゴリ押しだなぁ。
極力話さない。必要なことだけを言って部屋に籠もる。それしかない。
なに。部屋で籠もるだけならば、俺は得意なのだ。1日食べずに寝て過ごすことだってできる。思わぬところでギャルゲーで培われた耐久力が役立つようだ。胸を張って誇れないのが悲しいけれど。
うんうんと頷く。
これならいけると腕を組もうとしたのだが、片手が捕まっていて動かせない。そのせいで、もう1つ問題があったんだと思い出す羽目になってしまった。
右手を寄せると、ぎゅっと力を込められる。手の平の傷が痛んだ。
「……」
光を失って、人形のように虚ろな蒼い瞳。
死んだようにも見えるほどその横顔は青白いが、喉は動いている。細く、微かな呼吸音が拾えた。
なにより、俺の手を握ってくる雪のように白く冷たい手は、死人のような彼女とは思えないほどに強く握りしめてくるのだから、生きているのは間違いない。
……ないのだが、触れ合った肌から伝わってくる、絶対に離さないという意思に悩まされるのだ。どうしたものかって。
『傍に居て……』
縋るように、手を取られてからずっと。
メリアは離してくれなくなってしまった。
雨で増した湿度のせいか、それとも上昇した体温のせいか。手の平から汗の雫が溢れる度に、離したい欲求は増していく。けれど、勝てないまま。離れないまま。
開いていたはずの距離すら縮めて、腕が掠めるような近さ。
家を、家族を。
失くした辛さを思えば、誰かに縋りたくなってしまうのもわかりはするのだが、このままヴィルの家に辿り着いてはたして問題がないのか。出迎えた
はぁ……。
お先真っ暗闇の未来。雲行き同様、未来にまで暗雲が立ち込めているのは、先行き不安でしかなかった。
そうして悶々と、はたまた鬱々と。
気を重くしながらも、答えが出ないままに頭を使い続け、知恵熱でも出たんじゃないかってぐらいおでこが熱くなってくる頃には、外は予期した未来を暗示するかのように真っ暗になっていた。
いつ陽が暮れたんだろう。
小窓が切り取った世界は塗りつぶしたキャンバスのように黒かった。
空にはまだ雲がかかっていて、しとしとと雨が窓を叩いている。
俺の居た世界のように空を幾重にも張り巡らせる蜘蛛の巣がない代わりに、街路を照らす街灯もない。
月明かりのない夜はただ暗い。それだけで、先が見えなくて、心の中に不安を植え付ける。芽生える。
不安に不安が重なる。
未来の暗闇。現実の暗闇。
濃くなる黒に、知らず繋がっている彼女の手を握り返してしまう。
ぴくり、と震えた気がした。
反応に引っ張られて、メリアを振り返ろうとしたのだけれど、馬車が大きく籠を揺らして動揺する。
停まる。
馬車の外から水溜りを踏む音がバシャリ、バシャリと聞こえてきた。
「着きました」
御者が扉を開けると、そう声をかけてきた。
「行こうか」
「……はい」
開いた入り口から、雨で下がった外気が吹き込んできた。
今、この世界の季節はなんなのか。わからないが、冬にも似た肌を刺す寒さに震えそうになる。
冬に繋がる出口から目を背けるように、顔だけ振り返る。
メリアの顔は変わらず表情を落としたかのように無機質で、感情という物がごっそりと抜け落ちていた。それでも、俺の手だけは離すことなく、結果的に彼女をエスコートするように馬車を降りることになった。
雨水で
小降りながら、頬を打つ雨がそれに拍車を掛ける。
「それでは、私はこれで」
そう言い残して、御者は馬車の台に乗り込むと、手綱を握って馬を鞭打つ。
「えぇ……」
呼び止める間もなかった。
半端に伸びた手だけが、行き場を無くしてぷらぷら揺れる。
モンスターとか、魔物とか。
そういう異世界にありがちなファンタジー要素がないとはいえ、明かりのない夜道の馬車駆けが危ないのは、車を運転したことのない俺でもわかる。
だから、泊まっていくとばかり思っていたのだけれど、その逃げるような速さに呆気に取られてしまう。
交渉1つないとは思わなかった。
「それだけ、一緒に居たくなかったのか?」
可能性は……なくもない。
クルク男爵の屋敷に、あの部屋に。
あの状況で居るような人物なのだから、ヴィルという男が1秒も一緒に居たくないような人柄の可能性は否めなかった。
御者中、仕事以外で口を開かなかったのは、寡黙な仕事人間だからと思っていたのだが……本当ならちょっと落ち込む。避けられてるのが俺ではないとしても、ぶつけられる感情は変わらないのだから。
ただ、他の理由。その可能性にも若干心当たりというか、目の前にあるというべきか。
「幽霊屋敷だもんなぁ……」
背を丸めて、恐る恐る見上げた先には貴族の家――とは、とても思えない寂れた屋敷があった。
不気味に揺れる木々に囲まれ、壁はひび割れ、蔦が絡まっている。
泣くような木々のさざ波に身体が竦み上がる。
ここに泊まれって言われたら、俺も逃げるかなぁ。
後ずさるが、
本当にこれが
ホラーは苦手なんだってぇ……。
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