第5話 乙女ゲームのヒロインが片時も離してくれなくなった

『一緒に村まで来てくれませんか?』

 屋敷を出る時、服の裾を掴まれて上目遣いで懇願された。

 それは別々の馬車に乗る直前。

 本当なら俺は、メリアと別れてこの身体、ヴィルの家に向かうはずだった。付いていく理由なんてないのだから。


 どうしてそんなことを言い出したのだろうか。

 それは馬車に乗って、一緒に揺られていてもわからないままだった。

 メリアは隣に座って、小さく身を縮めるだけ。

 話さない。けれど、離してもくれない。


「迷惑じゃないよ」

 どうせヴィルの家に向かったところでやることはない。というか、どうするべきか決められていなかった。

 振る舞い方もなにもわからない。

 どんな性格だったのか。普段、どういう風に過ごしていたのか。家族とは、どういう関係なのか。

 知らなきゃいけないことは沢山あって。

 でも、事前に知る方法はない。


 なので、メリアの提案は渡りに船というか、家に帰りたくない子供の寄り道というか。

 現実から目を逸しているだけ。

 それでも、なにをするべきか指針もなく闇雲に行動するよりは、彼女を家に送り届ける方が建設的で、意義があるように思えた。

 そうであっても、メリアからお願いされるのは謎なんだけど。


「本当……ですか?」

「ほんと。

 嘘ついてるように見える?」

「ご、ごめんなさいっ」

 母親に叱られたように早口で謝って、顔が下を向く。

 その謝罪は何度も確認したことへの謝罪か、それとも嘘をついてると思っていたからか。

 まぁ、前者だろうが、もしも後者だったら悲しすぎる。


 にしても、なんだかなぁ。

 メリアって、こういう性格キャラじゃなかったはずなんだけど。

 どうにも、隣でおどおどしているメリアと、ゲームのメリアとの乖離が大き過ぎる。

 まるで別人だ。


 もちろん、ゲームと混同する気はない。

 この世界が乙女ゲームと似ているからといって、ゲームそのものではないのはわかっている。そこまで盲目にはなれないし、子供でもない。

 どれだけ近しい存在でも、イコールでは結ばれない。"イコール"と"ニアイコール"のようなものだ。


 ただ、根本的に違うとはいえ、だ。

 ニアであっても近しいのだから、性格が似ている方が自然なような気がする。


 ゲームのメリアはもっと快活だった。

 乙女ゲームの主人公らしく前向きで、優しく。田舎暮らし特有の元気さがあって、朗らかな笑顔を絶やさないような、見ていて気持ちの良いヒロインだった。

 それが現実では、常に周囲を警戒して、怯えている小動物のようだ。野生のリスを彷彿とさせる臆病さがある。


 無理もないとは思う。

 太陽のような性格に月が重なり影を作る。そうなるに足る理由があるのだから。

 まだ昨日のことだ。

 傷付くには十分過ぎて、立ち直るには時間が足りない。

 原因があって、理由もある。

 だから、おかしなことではないのだけれど、こうも人は変わってしまうのかと思ってしまう。

 ゲームはゲーム。

 元からこんな性格だった可能性もあるけれど、気にはかかる。


 馬車が揺れる。合わせて、服の裾が引っ張られた。

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいけど」

 なんだか迷子の子供を相手しているようだ。

 服の端っこを小さく握られているが、彼女の腕が伸びる程度には距離がある。

 けれど、空いている向かいの席には座らず、わざわざ窮屈な思いをしてまで隣に座る。

 傍に居たいのか、そうじゃないのか。なんとも、ちぐはぐな態度だ。


 懐かれた……というには、怯えがあって距離もあった。

 俺がどう思われているのか、相変わらず不透明なまま。

 わかるのは、彼女の蒼い瞳が不安定に揺れていて、怯えているように見えること。そして、下唇を浅く噛み、なにかに耐えるように身体を震わせ、悲壮にも似た雰囲気を漂わせていることぐらいだ。


 どうして、そんな顔をしてるんだろう。今にも死んでしまいそうな顔を。

 泣きたくなるような目に合った。けれど、助かって、家族の元に帰れるというのに喜びの気配を感じさせない。

 むしろ、馬車が進むに連れて、その顔色は青く、白くなっていく。

 どうして、と幾度目かの疑問を心の中で重ねる。


 その答えは村にあって。

 到着した時、己の浅はかさを恥じる。

 そして、現実逃避と小さな善意なんて、軽い気持ちで同道どうどうしたのを後悔した。



 ■■


「お、父さん……、おかあ、さん……っ」

 嗚咽が漏れる。すすり泣く声が響く。

 なにかがひび割れるような音が頭の中で反響した。


 きっと俺はまだ現実味がなかったんだ。

 乙女ゲームと酷似していながらも、違う世界だとわかったような態度を取っておきながら、心のどこかで納得しきれていなかった。

 それこそ、夢かなにかで。

 目覚ましが鳴れば、呆気なく自分の部屋に居て、この出来事すらも忘れてしまうと。心のどこかで、思っていたんだ。


 想像も、理解も。なによりも、知ろうとする意思が足りていなかった。

「……、……」

 焼け焦げ、無惨に崩れ落ちた家の前で声もなく涙を流し続けるメリアを見て、ようやく悟った。

 ここは乙女ゲームに近い現実で――バッドエンドを迎えた世界であるということを。


 白馬に乗った王子様は現れなかった。

 助けてくれる人なんておらず、終わりを迎えたはずの道の先。ゲームでは存在し得なかった、バッドエンドの更に先を俺は見せられていた。

 モニター越しではなく、直接、瞳を焼くように。


 この世界はゲームではない。

 悲惨な運命を迎えながらも、歩き続けるしかない現実だ。

 見たくないからと、スキップも早送りもできはしない。Ctrlキーなんてないし、AltF4でゲームは終了しない。


 だから。

 メリアの暮らしていた村が焼かれ、彼女の両親を含めた村人全員が居なくなっていたとしても、なんら不思議ではなかった。

 だって、現実なのだから。

 悲惨であっても、世界はそれを押し付けてくる。やり直しは……できない。


 陽の光を遮るように、分厚い雲がかかる。

 あれだけ天気が良かったのに、まるで不幸を際立たせるように深い影が差してきた。これが演出だというのなら、この世界を作った制作者は性格が悪すぎる。


 メリアの家だった瓦礫の前で、心が壊れたように彼女は動かない。

 蒼い瞳が溶けたように目から涙を零し続け、だというのに声1つ上げない。その顔は死人のように真っ白で、今にも息絶えそうなメリアを直視できず、空を扇ぐ。

 黒い雲。今にも大粒の雨を降らしそうな陰鬱とした空模様のせいで、心にまで影を落とすかのようだった。


 心がひしゃげるような痛みに喘ぐ。

 逃げ出してしまいたいと、そう思う。

 けれど、平和な日本で半端に培われた道徳心がそれを許さない。良心に苛まれ、メリアから離れることすらできず、苦痛を訴える心に喘ぐしかなかった。

 だから、逃げる機会を逸した。捕まってしまった。


「いか、ないで」

 手に触れた、氷のような冷たさに背筋が震えた。

 寄る辺を求めるように、メリアが俺の手を握る。

「はなれないで……」

 最初は弱々しく。

「しなない、でぇ」

 段々と強く。絶対に離さないというように。

「てを、……つないで」

 立てた爪が肌を薄く突き破る。


「傍に居て……」


 焼けた家を見ていた蒼玉が俺を捉える。

 光が消え、海の底のように暗くなった瞳の中に、沈むように俺が囚われていて。

 縋るメリアの手を俺は……振り払えなかった。

 ただ痛みだけが、血の雫となって泣くように手の平から流れ落ちる。



 ――後から振り返ってみれば、きっとここが最初で最後の選択肢だったんだ。

 ウインドウ画面なんてなく。

 選択肢のアイコンも出てこなかったけれど。

 メリアから逃げる、最初にして唯一の分岐点……――



 ◆第1章_fin◆

 __To be continued.

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