神様のおねがいは

@rabbit090

第1話

 ここはユートピアで、私はそこに暮らす住人である。

 もちろん、ちゃんとユートピアであるから不満など、ない。

 

 はずでしょ?

 いや、嘘でしょ?

 長年私が探し求めてきたものってこれだったの?と、そんな疑問が毎日、私の中を渦巻いている。

 結局、私は依然として何か満たされないという感情に覆われている。

 なぜ?

 せっかく、抜け出してきたのに。

 嫌なことばかりが存在する世界から、私は。

 「今日もいい天気ね。」

 「…そうですね。」

 「あら、どうしたの?何か疲れることでもあった?でも、大丈夫でしょ?ここでが、嫌なことなんか全部どうでもよくなってくるもの。」

 「確かに、そうですよね。」

 「そうなのよ。」

 おほほ、という効果音が付きそうな勢いで、彼女は去って行った。

 呑気そうにいつも、皆が話しかけてくる。けれど、私はいつも、危機感を覚えている。

 きっかけは、

 「うそ…。」

 まさか、こんなことになるとは思わなかったのだ。だって夫が死ぬなんて、想像したことすらなかった。元気だったし、あまり好きではなかったけれど、彼は私にとっての社会の、全てだった。

 というか、そういう契約で始めた結婚だったのだし、それが突然、何もなくなるという形で終わりを告げるなどとは、思ってもみなかった。

 だが、本当はうっすら、危ういとは感じていた。

 彼は、いつもの朗らかな微笑みではなく、ここ最近は何かに取り憑かれたかのように睡眠をとれていなかった。だから、私が彼の母親であるかのように隣りに寝そべって、一緒に惰眠をむさぼった。

 でも本当は、私はそうやってぐうたらと過ごしたかったわけじゃなくて、都会に出てあこがれの職業について、ってところまでは良かったんだけど、続かなかったのだ。

 なぜ続かなかったのか、その時は分からなかったけれど(いや、分かった気になっていたけれど)、今はもうはっきりと理解できている。

 私は、あのような過酷な環境で、暴力に震えながら毎日を過ごすことなど、できなかった、それだけだったのだ。

 つまり、私が弱いってことだろうけれど、そんな私を、助けてくれたのが夫だった。

 夫は割と大きな会社で働いていて、私は昔の会社の同僚の伝手で知り合った。

 相性は、良かったと思う。

 だって、彼も私も、何も求めていなかったから。

 ただ、普通に呼吸ができて、普通に生きることが許されて、そんな生活がしたかっただけなのだ。

 だから、幸せだったはずなのに、彼は、死んでしまった。

 そして私も、同時に何かを、失ってしまった。


 「ねえ、一緒にお茶でも飲まない?」

 「いいですね、ご一緒します。」

 ここでは、こういう誘いは絶対だった。

 確実な安全と、心穏やかな毎日、それを保つためにはやっぱり必要だったから、断ることはできない。

 ここのことは、チラシで見た。

 実験的な町で、暮らす人間を募集している、と。

 私はそのチラシの、夢のような、快適な暮らしを、とかなんとか、そんなフレーズに魅かれたのだと思う。

 迷うことは無かった、そして入居するための審査に落ちることもなかった。

 なのに、

 「さっきから大丈夫?ちょっと体調悪いんじゃない?」

 「はい、ダメだったら病院行きます。」

 「そうね。」

 と、ここではちょっとでも何か自分に異変があったらその兆候をつかまれる。

 そうやって、治安を保っていた。

 みんなのコンセンサスを守るために、それは、大事なことだって思っていたのに。

 

  息苦しいの。

  嫌なの、私は、夫を生き返らせて欲しい。

  私は、多分ここにいたいわけじゃない、じゃあ、どうしていつも、不満ばかりを持っているのかしら。

  ねえ、どうして?

 

 目覚めると、いつものように川のせせらぎが聞こえる。

 緑豊かな場所に造成しているから、こうやって植物に囲まれる毎日を送れる。

 でも、

 「私、逃げるわ。」

 決めたのだ。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。

 敵なんていない、私には、生きているという事実しか、ない。

 

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