第二章 平穏

第5話 海へ釣りに行く

 早朝、暁をぬけたころ、まだ薄暗い時刻である。

 早夜は起きるとすぐに隣で寝ている速風を起こした。

 速風も昨日は早くに寝ていたので、起こされても二度寝をしたいとは思わなかったが、外を見てまだ暗い空に驚いた。


「おはよう」

「おはよう……また夜ではないか」


 両手で顔をぬぐい、起きぬけの寝ぼけまなこで早夜に言う。


「そうだよ、朝飯の魚を捕りに行くんだ」

「魚か。まあ、良いよ」

「良いよって。行かなくちゃ食べ物がなくて腹が減るだろ?」

「それもそうだな」


 早夜と速風は手早く普段着に着替える。早夜は薄い紺色の着物、速風は濃緑色の着物。

 それと速風は白髪を隠すために、頭に布を巻いた。

 二人は手早く顔を洗うと、早夜は二人分の竿と餌、魚を捕る為に必要なものを用意した。

 それを半分速風に持たせると、小屋を出る。外はまだ薄暗いが、風が気持ち良い。

 クロウがわん、と朝の挨拶とばかりに飛びかかってきた。


「ああ、今日の朝飯は海岸食べような」

「わんっ」


 クロウは本当に言葉がわかっているように早夜に答えた。


「頭の良い犬だな」

「ああ。クロウは本当に人の言葉が分かっているんじゃないかと思うくらい、頭がいいよ」

「なら今まで一人でも寂しくは無かっただろう」


 速風が笑む。しかし早夜は苦笑して本心を答えた。


「うーん、でも今が一番楽しいかな。やっぱり言葉を話さなくちゃ、な。その方が何倍も楽しい」

「そうか」

「うん。じゃあ、行こうか」


 早夜は速風を促して海へと歩く。

 そのあとをクロウがとことこと歩いてついてきていた。



 海岸は昇ったばかりの朝日を受けて、いつもの通りに金の粉をまぶしたように輝いていた。早夜は自分の小舟を見つけ、それに速風を乗せて櫂で沖へこいで行く。クロウは海岸で留守番だ。

 沖へ出ると舟の上で胡坐をかき、釣り糸を垂らしながら早夜は速風の様子を窺った。手なれた動作で餌をつけ、浮きとおもりをつけている。


「速風って釣りは問題なくできるみたいだね」

「そのようだ。それはありがたいな。早夜に必要以上に迷惑をかけずに済む」

「迷惑だなんて思ってないけどね」


 くすりと笑った早夜だ。実際、速風を見つけてから、早夜の人生は変わった。

 いつも一人だったあの小屋に、人がいることがとても勇気づけられる。朝起きて、おはようと言うと、おはようと返してくれる人がいる。飯を一緒に食べて、美味しいと語り合える人がいる。何かこころが甘いもので満たされていく。それが何故か泣きたくなるほど幸せで、胸がいっぱいになる。


 速風の方も、早夜という存在が生活する上で必要不可欠な存在となっていた。自分は自分のことさえ分からない。それに何ができて何ができないのかも。故郷のことも。

 早夜によると自分は豪族ではないか、と言われたが、いまいちぴんとこない。  

 もっと気ままに好きに生きてきたような気がする。


「あ、釣れた」


 早夜が声をあげた。速風が隣を見ると、一匹の魚がぴちぴちと尾をふって糸の先で暴れている。早夜はすぐに小舟へとその魚を入れると、手なれた動作で針を魚から取り出し、海の中にある網の中へと入れた。

 すると、速風の浮きもちょん、と動いた。

 とっさに竿を振る。

 そんな動作も難なくでき、早夜のように魚をつることができる。


「わたしも釣れたよ」


 ぴちぴちと竿の先で揺れる大きな魚。

 笑顔で言うと、早夜が「俺の魚よりも大きい」と仏頂面をする。

 その彼の顔を見て、速風は盛大に笑ったのだった。




 日が高くなる前に二人は多くの魚を捕って村に帰った。

 他にも釣りをしていた村人はいて、一緒に村長の家の前まで来て、それを差し出す。


 むしろの上に置かれた魚は、みな新鮮で綺麗な目をしていた。今捕ってきたばかりだからだ。

 村の食糧は、一旦すべて集めてからみんなに配ると言う、配給制だった。

 森で捕った獣も、木の実も、全てみんなに平等にくばる。

 とくに今は初夏だったので、森からの収穫も多かった。

 多くの魚をとってきた二人に、朝の配給に集まった人々は相好を崩す。

 つい最近まで不吉な嵐の元凶は速風だと、うそぶいていた輩も、今日の成果に速風を見なおした。食べ物の力は凄い。


「早夜はやっぱり釣りが上手いねー」

「ねえ、ねえ、ぼくと遊んでよー」

「うん、またこの前の小石のやつ見たい」


 村の子供たちが早夜を褒めていた。そして「あそんで」と彼の袖をひっぱる。

 早夜は子供たちに笑顔を向けると「しょうがないな」と言って足元の小石をいくつか拾った。

 小さい子供たちに好かれ、早夜は手を引かれて村長の小屋の前で子供たちと遊び始めた。小石を使った手の遊びを子供たちに見せ、三人の子供の笑い声が村長の小屋の前で響いた。


「早夜は子供に好かれているのだな」


 感心したように速風が村人に言うと、村人もそれに同意した。


「そうだな、大したもんだ。子供に好かれるのはいいことだ。おれなんか怖がられてばかりだよ」


 そう言って笑った。

 ある村人も、


「早夜は数年前に両親に死なれてからずいぶん苦労したんだと思う。気の良いヤツだよ」


 と早夜を見て感心した。


 ああ、と感嘆の息が漏れる

 早夜はこんなにも村人に好かれている。


 それは早夜という人物の人柄を考えれば、当たり前のことだったのかもしれない。

 自分にもよくしてくれた、と速風は思った。

 子供たちと遊ぶ早夜の顔は、とても幸せそうに見えた。


 速風は早夜という人物に自分が拾われて、本当に良かったと心から思う。

 他の人間に拾われていたら、売り飛ばされていたり、不吉だと村を追放されていたりしただろう。

 そしてどこにも行くあてがなく、飢えて死んでいたかもしれない。

 それを考えると早夜は命の恩人だ。


 早夜の小さな丸顔が楽しそうに笑っている。

 それが速風の胸に、幸せを感じさせた。


 好きな相手が幸せそうな顔をしているのは、見ていて気持ちがいい。


 そう考えて、はたと思考停止する。

 好きなのか? わたしは早夜が。

 まさか嫌いではないだろう。何とも思っていないというのも嘘になる。ならきっと好きなのだ。

 結論が出ると何かさっぱりして、速風は子供と遊ぶ早夜を優しい目で見守った。

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