第3話 村人たち

 海辺から一時いっときほど歩いたところに裏山がある。そこに速風の髪を捨てようと布袋を背負って早夜は小屋を出た。

 すると村人と出逢った。

 村では働き者で通っている三十半ばの男だ。

 やはり早夜と同じように右腕に波の入れ墨をしていた。

 それが青い腕輪の様に見える。


「ああ、早夜、今日はどうした? 海にこなかったじゃないか。具合でもわるいのか?」

「いや、客が来たんだ。あとで皆にも紹介する」

「そうか。客ねえ、どこからのだ? 隣の村か?」

「いや……わりと遠くからなんだ。前に遠出したときにできた友達」


 下手に隠しておくよりも、速風が村にいることは言ってしまった方がいいと判断した早夜は、嘘をまじえてそう言った。

 村人はそれで納得したようで、海に出てこなかった早夜の心配も消えたようだ。


「早夜、後でおれのところにも来い。今日とれた貝と魚を分けてやる。多少、砂抜きもしてあるからすぐに食べられる」

「ああ、ありがとう、おじさん」


 早夜はぺこりと頭を下げると、足早に裏山へと向かった。

 裏山のわきには、大きな川が流れている。

 それは海の方へと流れて行く川だ。


 川を横目で見つつ、山に入って暫くどこに速風の髪を捨てようかと迷った。

 すると、聞きなれた声がする。


「何をしておるんじゃ」


 若い、男の声だ。


「あ、遠呂智おろちか」


 だれも見えない。声が青々とした木々の間から響いて不気味だったが、早夜にとっては友達の声だった。彼は遠呂智と言って、この山に住む青年だ。話し方は年寄り臭いが、二十歳くらいの年ごろに見える。

 しかし、早夜が小さい頃からその姿は変わっていない。


「ふん。何を捨てようとしておるのじゃ」

「遠呂智こそ姿をみせろよ」


 そう早夜が言うと、ざっと頭上の木々がざわめいた。

 視線を上に持っていき青葉を見て、元に戻したときには、遠呂智が目の前に立っていた。

 獣のような赤毛に金の瞳。瞳の色はたまに村に来るときには黒に変わっていることもあった。早夜とそう背たけも体格も変わらない。


「ああ、久しぶりだな、遠呂智」


 早夜は目を細めて遠呂智を見た。

 遠呂智とは小さいころからの付き合いだ。

 遠呂智の正体は早夜以外だれも知らない。


「そうじゃな。ところでその袋に入っているものはなんじゃ」


 遠呂智があまりにも興味深々だったので、早夜は少し警戒した。


「何も言わないで、ここに捨てさせてくれないか?」

「中を見せてみろ」


 遠呂智は有無を言わせずにその布袋を奪い取った。


「あっ」


 思わず声を出して非難する。

 遠呂智は中を見ると、「ふうん」と一つ頷いて、納得したようにそれを手に取った。


「これ、わしにくれ」

「え、うん、いいけど……。でも髪の毛だよ? そんなものどうするんだ?」

「お主がどうやってこれを手に入れたのか分からんが、これは貴重なものだ。わしの山で処理を引き受ける」

「引きうけてくれるんなら有難いけど。その髪のことは、村の人には言わないでよ。約束してくれ」

「ああ、約束じゃ」


 遠呂智はそう言うと、布袋を持って来た時と同じように少し目を離した隙に消えて行った。




 村へと戻り、帰る道の途中で朝に会った村人のところへと寄り、貝と魚を分けてもらう。ついでに隣家の真緒おばさんの家に行って速風の着る物を調達してきた。

 真緒おばさんの家は、隣といっても早夜の小屋からはかなり離れている。


「旦那の着物だけど、これでいいかい?」


 真緒から差し出された着物は、濃緑色の使い古したものだった。

 真緒の夫も大柄な男だったので、ちょうどいい。


「ねえ、真緒おばさん。さっきの人、速風っていうんだけど、髪の色はだれにもしゃべらないでね。本当にお願い」

「ああ、分かったさ。しょうがないね。でも何かあったら追い出すのが一番だよ」


 早夜の身を案じて真緒はそう忠告した。


「大丈夫、悪い人じゃないよ」

「それでも村の外からきたもんはわざわいを呼ぶ。気を付けるんだよ」

「分かった、おばさん。それと着物ありがとう」


 早夜は真緒に礼を言うと、着物を持って自分の小屋へと歩き出した。

 小屋の外ではクロウが昼寝をしていた。それを微笑ましく見て扉に手を掛ける。

 小屋の中に入ると、そこにはあぐらをかいて板の間に速風がいた。

 頭にはきっちりと布が巻かれている。

 早夜は顔をほころばす。


「きちんと巻けているじゃないか」

「ああ。適当だが髪は隠れたと思う」

「うん、ちゃんと隠れてるよ。それなら暫くはごまかせそうだ」


 そしてさっき村人からもらってきた貝と魚を台所へ置き、着物を持って速風の正面に早夜は座った。


「これ、着物を貰って来た。隣のおばさんの旦那さんの。会ったらお礼を言っておいてよ」

「承知した」


 速風は着物を手にとると、それを開いた。


「これを着るのだな」

「着かた、分かるか?」

「ああ。たぶん」


 そういうが、速風はその場で腰帯をほどき、ばさりと群青色の上等な着物を脱ぎだした。着物の下に着ていたものも脱いで、早夜が持ってきた濃緑色の着物に手を通す。そのときに見えた速風の厚いしなやかな筋肉に覆われた身体を見て、早夜は綺麗だな、と思った。

 自分は本当に細くて頼りない。筋肉だって速風のように綺麗についているわけではなく、腕だって早夜は細かった。

 力比べをするまでもなく、速風には敵わないだろう。


 最後にするりと帯を巻くと、もう、どこからみても豪族にはみえなかった。

 ただ、一つ、速風は白と赤の首飾りだけは外さずに自身で身につけた。


「何かの手がかりになるかもしれないし、だれかに取られると困るから」


 という理由らしい。

 靴は早夜が脱がせていたので、足は裸足である。みすぼらしい格好の中で、その綺麗な首飾りは目だった。

 しかし、これくらいはまあいいかと早夜は妥協する。

 村の男たちも勾玉の首飾りをしているものだっている。ならばあまり悪目立ちもしないだろう。何よりも取られて困るものは身につけておくのがいい。


「昼から村の仕事に顔を出すから。そのときに速風を村のみんなに紹介するよ」

「ああ、なにからなにまで済まないな」

「それと、俺のことは早夜って呼べよ。「そなた」とか言うなよ? 怪しまれるから」

「承知した」

「うん、じゃ、昼飯でも食うか。それから村に出よう」


 早夜は朝の残りの粥に貝を入れて再び火にかけ、それを速風と食べた。


「誰かと一緒に飯を食うっていいよな」


 ぽつりと感慨深気に早夜は呟いた。


「嫁をもらえばいい」

「ははっ。こんな甲斐性なしの男のところには誰も来ないさ」

「そうか? 早夜は面倒見がよくていい伴侶になると思うがな」


 そう思い、速風はどうなんだろうと早夜は思った。


「速風は奥さんとかいたの?」

「覚えていない」

「あ……っ、そうだったけ」


 速風こそいい伴侶になる男だろうな、と早夜は思ったが、口には出さずにいた。

 何故か照れ臭かったからだ。

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