第9話 地下迷宮編 Ⅴ

リディエスたちとの地下迷宮攻略を行った日の翌日。普段は近寄るものがほとんどいないその迷宮に踏み入る存在が一人。その者は迷宮を迷いなくサクサクと進む。立ちはだかる魔物を物ともせずただの人睨みで空間を爆ぜさせ一瞬で跡形もなく灰塵に帰す。ものの数分で地下階段を見つけその歩みは迷うことなく迷宮の奥へ入っていくのだった。


永遠に広がる闇より暗い漆黒。人の目ではそれ以外を認識することができない深い漆黒。人はそれを……


暴食の悪戯リベルト——まさかここにそんなものがあるとはな」


独り言ではない。彼、魔王ジュン・アベル・レーネルドが向けた言葉は永遠の闇が込められた空間の中心に立つ人物に対してだった。


都市エンデラに位置する大迷宮。その地下23層、踏み入れたものは極僅かと言われる領域。足をつくことができる地の道が途切れた先は、上も下もどこまでも広がる闇。およそ半径一キロの巨大な円柱のようだ。


魔王の目ですら認識できない闇の中だが、魔王の空間魔法は空間を把握する能力もある。目で見えていなくても辺り一体の動静、それだけで無く細部の様子まで読み取ることができる。


光の反射を極端に制限する闇に浮かぶは黒いドレスに身を纏い、銀色の長い髪を持つ少女。彼女は顔を上げ目を閉じ何かを考えている様子でずっと浮かんでいる。


「そうやって何もかも盗み見る気か?昨日俺たちの行動を覗いていたつもりだがこちらもお前の存在には気がついていた。自分だけの専売特許だとは思わないことだな」


俺も浮遊魔法を使用してゆっくりと銀髪の少女へ近寄る。常に術式にかける魔力を一定にしなければならない分、一定の高さで浮遊し続けるのは難しいがその器用さを銀髪の少女同様、魔王も有している。


魔王の声に反応して、銀髪の少女は目をそっと開けこちらに顔を向ける。天頂で一結びされ腿まで届くほどストレートに伸ばされた綺麗な髪と同じ銀色、長く上を向くまつ毛を動かし現したのは綺麗な宝石のごとく銀色の目。見えないはずだがその目は魔王の位置を正確に捉えていた。


「あなたは……ジュン……ね?」


透き通った声が心地よく脳内に響き渡る。


銀髪の少女は魔法でずっと俺たちを監視していた。名前を知っている辺り会話も全て聴かれていたのだろう。


「ああ、そうだ。お前は何というのだ?」


「うーん。じゃあミノシアって呼んでね」


銀髪の少女、ミノシアは表情は変えずにしかし柔らかい声で親しげにそう言った。


「私もこの国に来たのはつい最近。どこか一人になれる場所を探してこの迷宮を見つけた」


「この迷宮は1000以上の歴史を誇るリエール王国最大規模だからな。にもかかわらず攻略は捗っていなようでここまで深く潜れる存在は珍しいらしいな」


「そう、不思議」


それは同感だ。この大迷宮があるのは都市近郊。対魔族の結界があるから地上までは登ってこないものの魔族の巣窟を抱えてよくこれまで生活できたものだ。


「ところでジュンって……」



『人族じゃないよね』



唐突にも放たれたその言葉は一瞬だが魔王の呼吸を止めさせた。バレた……のか?魔力は完全に抑えたはずだ。ラクリアの魔力も魔法で人族のそれに偽装させた。


まさか俺の魔法が完璧ではなかったのか。俺は1000年もの間魔法を研究し続けた探究者。ただ強力な魔法を習得する一介の魔術師とは違う。術式を改良しより効率的に、他者に干渉されないように、そして解読されないように研究してきた。なのに何故?


それとも魔族を感知できる強力なスキルを持っているのか。人族の種族魔法は異株魔法と予想される。何か特別な魔法を有している可能性もあるのかも知れない。


「でも安心して。私友達いないから誰にも言わない」


「勝手に話を進められては困るな。そんなに俺が人族には見えないものか?」


「……詳しくは言えない。でも人族じゃないことはわかる」


どうやら本当にバレてしまっているらしい。隠しても無駄のようだ。


「誤魔化すことは不可能か……しかし悲しいな。あったかと思えばいきなり仲間外れか」


「ううん。私もこの国では同じで仲間外れ」


「そうか。だが人族ではあるようだな。何故こんな場所にいるのか聞いてもいいか?」


「うーん。あんまり答えたくない……でももう少しジュンと話したいから言える範囲で言う。昨日ジュンのことを見ていたのは偶然。本当は別の子を見にきたの」


「知り合いか?」


「会ったことはない。でもこれから出会う運命」


妙な言い方だ。これから会う予定ならわかるが運命というところに何かあるのだろうか。


「それでそいつを見てどう思った」


「まだわからない。でも私は彼女たちと違ってその子の選択を尊重する」


「さっぱり見えてこないな。俺のことを覗き見るくらい肝の座った面白いやつがいると思ってきたがこれでは拍子抜けもいいところだ」


まったくだ。敵というには弱々しく見えるし、味方というわけでもなさそうだ。


「とんだ無駄足だった。暇じゃないんだ、もう帰らせてもらう。どうせ昨日の出来事を全て見ていたのだろう?今回は見逃してやる。だが俺の正体を明かしたらどうなるかはよく考えて胸の内にしまっておくことだ」


俺はミノシアに背を向け来た道を引き返そうとする。迷宮内では一般に視認できる範囲の除いての転移が制限されている。最短距離で戻ろうがとても億劫な道のりだ。何の成果も得られず戻るのは本当に割に合わないな。


「ねえ……待って」


背から声をかけられた。ミノシアが俺を引き留めようとしたのだ。


「あのな、俺はあまり気分が良くない。だから——」


ビュッ。俺の顔の真横を漆黒の一閃が通り過ぎた。それは間違えなくミノシアから放たれたものだった。


「せっかくここまで来たんだから私と遊んで。言ったはず、私は友達がいない」


明らかな戦闘意志。だが魔王も満更でもない様子。


人間界にいられる貴重な時間を割いてここに来ている。そうさせた張本人に出会い何か得られると思っていたが当人は訳のわからないことを言うだけ。流石の魔王も機嫌を損ねる案件だ。


だからこそ。そう。だからこそ、もっと単純な方法で語れるなら早く実行してほしかった。これは一番わかりやすく、そして俺の得意分野だ。


「仕方ないな。少しだけだぞ」


「うん。嬉しい」


僅かに口角が上がり初めて表情が崩れた瞬間を見せた。しかし間髪開けずにミノシアは俺に手をかざす。彼女の黒いドレスの袖からは数十を超える黒い生物が勢いよく放たれた。


「これは——」


「コウモリ」


黒い生物、コウモリは数匹が束となり漆黒の槍に変形する。同様にコウモリ全体があっという間に槍を形成し、彼女の背には十数個の魔力を帯びた槍が位置取られた。


「出現させたコウモリ自体がお前の魔力の現れなのだな」


「そう。可愛い」


属性は闇元素エレメントだ。人族にしては珍しい属性だな。しかしこの感じは常理魔法ではない。闇元素を受け継いではいるが本人の影響を大きく受けた異株魔法だ。


常理魔法であれば俺は術式を見ただけで大まかな魔法の特性を分析することができるが異種魔法のような無限の可能性に包まれた魔法は瞬時の解析は難儀だ。


考える暇すら与えずミノシアは魔力の槍を全弾発射させた。


「空間魔法——次元投擲ルビジェ・アンソフィ


同じく背後に魔法の槍を現出させる。薄紫色の魔力を帯びた魔力の結晶、同じく闇元素の魔法で異種魔法である空間魔法。


この場で装う必要はない。火元素は闇元素に続いて俺がよく使う魔法でそれだけでも選ばれし魔王配下を屠ることが可能なほどだが、複数属性持ちがバレているこの状況で最早隠しはせん。


両槍は中心で各々衝突し相殺される。だが僅かにミノシアの方が優勢だ。彼女の槍一本に対し魔王の槍が二本消費される。


次元投擲ルビジェ・アンソフィは威力自体は魔王の持つ魔法の中ではかなり劣りはするが発動までの時間がずば抜けて早い。一本一本はミノシアの槍の威力に負けるが、倍の数を持って対処すればいい。膨大な魔力を持つ魔王だからこそできる業である。


ドレスの袖から放たれるコウモリの数は減ることなくむしろ勢いを増してきた。そしてコウモリたちは即座に魔法の槍に変換され魔王に向けられる。


俺はその2倍、4倍と生成する薄紫色の槍の数を増やし迎え撃つ。


「キリがない。煩わしさを感じ始めた」


「ならこれを打ち破って」


「今からそうするところだ」


右手は天に上げて次元投擲ルビジェ・アンソフィを生成する。そして左手はまっすぐミノシアに向けた。


風神ネービル


魔王が放つは風元素の上級魔法・風神ネービル。眼前に映る全てを吹き飛ばす強力な魔法だ。


流石のミノシアも余裕の笑みが消える。コウモリたちは勢いを止められ、さらに周辺の場が乱されたことでミノシアは魔法を構築することに苦悩する。形成は逆転し始め、次第に魔王の魔王の槍がミノシアに届き始めて行った。


「これほどの異元素の上級魔法を同時発動できるなんて」


ミノシアは驚いた様子でその言葉を溢した。無論簡単にできることではない。魔王ですらかなりの集中力と精神力を要することだ。


「素敵」


思わず溢したその言葉には愛好の感情が含まれていた。


そして同時に突然ミノシアは浮遊魔法を解除した。


このタイミングでそれを行う理由はおそらく、よほど風神ネービルが嫌いだったからだろう。状況を変えるにはこうするのが手っ取り早い。俺がミノシアと同じ立場だとしてもそう選択するだろう。


そして、その結果がどうなるかは明らか。背中から倒れた彼女の身体は重力の影響を受け自由落下を始めるのだった。


ドレスのスカートをひらひらさせ、まるで深い海に飲まれるようにゆっくりと落ちていくのであった。場の乱れから解放され、魔法行使が意のままになる。落ちゆく間、彼女からは漆黒の光が放出され、地と水平に倒れながら落ちる姿は美しさが感じられるようだった。


「俺からは逃げられない」


槍を形成したコウモリの大群の対処に煩わされ数秒遅れて魔王は彼女の後を追う。永遠の闇の奥深くに落ちる彼女の姿は指一本見えないほどであるが彼の目は空間を見る目。確かに彼女を捉えていた。


コウモリの発生源に迫って加速する魔王。ものの数秒で彼女の姿がうっすらと見え始めた。


「空間魔法——次元投擲ルビジェ・アンソフィ


無限の槍が彼女へ向けられる。もはやコウモリの槍では対処できないほどに放出される彼の魔力にミノシアは以前コウモリを増やす他ない。


二人の距離は次第に縮まり、わずか20メートルとなる時。ミノシアから放たれるコウモリを模した魔力が絶大に跳ね上がった。


「何っ!?」


その数およそ10000。これまでの百倍以上だ。流石の魔王も驚きを覚えた。


10000のコウモリは彼女の前で一つになろうとする。瞬時に作られた形は漆黒の魔獣。全身をアダマンタイト級の硬さを誇るゴツゴツの鱗で覆い、巨大な顎、鋭利な歯、獰猛な眼光を持ちこの世界で誰もが恐る存在。


「龍よ」


ゴオアァーー。と重々しく咆哮をすると漆黒の龍は真上へ飛び立つ。ビューと風を切り向かう先は急降下中の魔王。咄嗟の出来事に思わず油断していまい、魔王は対応に遅れてしまった。


「グァッ!」


魔王の体は大きく口を開けた黒龍の餌食になってしまった。上顎と下顎に生やした鋭く巨大な牙に体を貫かれ捕えられた。そのまま暴食の悪戯リベルトが発生している巨大な円柱空間を駆け上がる。


魔王の体はどんどん加速されあっという間に天井が見えてきた。その間黒龍から逃れることはできず、加速を知らない龍により彼の身体は天井へ打ち付けれ、強い衝撃をもたらした。


天井は破損し石の破片が重力により落ちていく。先の魔王とは対照的にミノシアはゆらゆらとゆっくり天井付近へ上がってきた。


「押してダメなら引いてみるべし。前に誰かが言ってた」


表情を一切変えずミノシアは言った。


「どう?良かった?」


「……ふふっ」


天井を貫き埋もれる魔王が最初に見せた反応は笑いだった。


「ふふっ、くはっはっははは!」


暴食の悪戯リベルトに響きわたる魔王の笑い声。恍惚、期待、憎悪、激怒、様々な感情が入り交い、場を震わせるその声はあまりにも不気味。人族のものではない、魔族、とりわけ魔王という表現が似合う恐ろしささえ感じさせる。


「はっはっは。あー実に面白い。そして……」



「嫌気がさす」



一瞬見せた高いテンションとは裏腹に今の魔王の荘厳で威圧感が強い態度は瞬時に空気の温度を変えた。


「俺はこの世界最強の存在。それが何だ、この様は。ヴェルエーヌの時もそうだったが油断が過ぎる」


ヴェルエーヌとの戦闘では一瞬生じた隙を突かれ片腕を持っていかれてしまった。これでは魔王としての矜持が許さない。


「ここ300年は実戦をほとんど経験していんかったから勘が鈍ったか?まさか俺にも驕りがあったとは。これから少しずつ慣らしていかねばならないな」


「ジュンの言っていることよくわからない」


「すまない、少々一人語りをしてしまった。さてと⎯」


俺は黒龍の牙に触れる。そして空間を破り消し去る暗黒の魔力を生成する。黒龍よりも黒く、暴食の悪戯リベルトよりも黒い。世界の全ての闇を凝縮したかの如き暗黒の魔力は形を持ち始める。


「空間魔法——空間消去ルメリックバリシュ


最高暗度を宿した最強の反魔法にして攻撃魔法、空間消去ルメリックバリシュは龍の牙に触れた瞬間に消し飛ばした。


龍の一部ではない。龍が有する空間を瞬き程度の一瞬の間で完全に全消滅させたのだ。


「信じられない。本当に驚いた」


ゆっくりと天井から身体を離し、ミノシアと同じ高さで浮き止まった。


「すまないな。ようやく体が温まってきた」


「ジュン強い。私の想像以上」


「随分と舐められていたようだな。だがお前もなかなか強いではないか。俺はこの国に赴いて日が浅いからわからないがその力この国においても一流だな?」


「私はこの国で仲間はずれ。よくわからない。でもここから見てて思った。あなたはわからないけどあなたを除いたら、この近くで私よりも強い人間は見当たらなかった」


「だろうな」


おそらく彼女は、第七天ザインはあるだろう。間違いなく魔族においても珍しいほどの強者だ。


「それじゃあ続きをやろうか」


「うーん。今日はもういい。とっても楽しかった」


「そうか」


温まった体とボルテージは一瞬で冷めた。物足りなさを感じながらも魔王としてもこれ以上の戦いは利益よりも損の方が大きいと納得する。たとえ地下迷宮といえど本気で戦えば地上からでも気づかれるだろう。


「それじゃあ私はもう帰る」


彼女の周りを囲うようにコウモリが集まっていく。


「最後に……ミリスのこと可愛がってあげて。私は彼女の選択に従う」


「姓は何という?」


「ファルトン、ミリス・ファルトン。何も知らないはぐれ魔女」


コウモリがミノシアの体を完全に覆い、彼女の姿の一切が見えなくなる。そして魔力で作られたコウモリは次第に形を失い、ミノシアと共に消え去った。


「ミリス・ファルトンといったか?」


つい先日であった少女の名と一致する。とても偶然とは思えない。しかし魔女ミリスと一体何の関わりがあるのだろう。魔女についてもあのミノシアについてもまだまだ知らないことが多すぎる。


「世界に疎すぎる。まずは情報を集めることから始めなければならないな」



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