第3話 その一方で

「ふむ。常理魔法じょうりまほうに関しては魔界で知られているものとそう変わりはないようだ。しかし——」


ここは叡智の源泉とも呼ばれるリエール王国最大の図書館だ。毎日1000人以上が利用するその図書館の魔導書の一郭で魔王は一冊の本を手にとって読んでいる。本棚に寄り掛かり長い脚を組み、右手を顎に当てながら片手で本を読むその恰好は周りの人々を魅了して視線を浴びせられていた。そんな視線をものともせず、魔王は魔導書に集中している。


異殊魔法いしゅまほうの記述がかなり多い」


異殊魔法いしゅまほうとは常理魔法の応用として種族や家系に固有の魔法だ。しかし多くの魔族は種族として術式の干渉を得意としていないため、異殊魔法を実戦で使うのは非現実だと切り捨て常理魔法を使うことが一般的だ。そのため異殊魔法をここまで研究している文献は稀有である。


「人族は異殊魔法を種族魔法としているのかもしれないな。そうだとしたらかなり厄介だ。異殊魔法は元を辿れば火・水・風・波・土・闇・光の七属性のいずれかに当たるが逆にこれらの派生系……無限の可能性がある。戦闘中に複雑な術式を瞬時に理解し、対応しなければならないのは至難の業だな」


一通り目を通し、読んでいた魔導書を閉じ元の場所に戻す。他に興味を引く書物はないか本棚を一段一段、端から端へ指をなぞりながら視線を動かしていると、魔王は一冊の本で視線を止める。そこは歴史本のコーナー。鋭い目をして魔王の手に取られた本のタイトルは『勇者伝』。勇者とは魔王と対をなす存在。剣聖の家系で特に活躍したものは英雄や勇者と呼ばれる。


「そうか、この世界にもいたのか」




*****




「ジュン、君は世界を一つの世界から広がる枝のようなものだとは思わないかい?」


「世界が増える理屈はわからないが類似した世界なら見たことがある。それが一本の大木から生える枝同士の距離が近いと表現しているということか」


「そうだね。世界樹はどの世界にも存在し、魔力の循環を機能させる不思議な装置。そんな世界樹から例えて世界の関係を言ってみたけどなかなか言い得て妙だよね。そうそう、類似した世界といえば僕らの世界も似ているよね」


「そうか?俺の第Ⅴ世界は魔族が支配する世界、対照にレンの第Ⅵ世界は人族が魔族を完全に滅ぼした世界のはず。似ても似つかないと思うのだが」


「その一点だけだよ。むしろそれ以外は本当によく似ていると思う。世界統一を為した以前では存在する種族はほとんど同じだし、使われている魔法も同じだし、我々が行なったことによる進化は違えど世界の構造としてはかなり似ていると思うけどね」


種族も性格も全く異なる魔王と勇者は輻輳空間ブラエノクスでそんな話をしたことがあった。


「そういえば僕は第Ⅵ世界で魔王なんて見なかったな。魔族を指揮するものはいなく統率が取れていなかったぽいけど君の世界は勇者はいたのかい?」


「どうだかな。大戦に介入した時は俺は理性を失っていて記憶が曖昧でな、人族を見たのは覚えているが勇者なんていたかは知らん。それ以降は人族と関わる機会なんてなかった。そっちの世界で魔王がいないなら俺の世界でも勇者はいないんじゃないか」


「それは残念だね」


「そうは思わない。俺が心から認められる勇者はお前ただ一人だけだ」




*****




「そんな会話もしたな。だが俺の言った通りこの世界の勇者はお前ほど立派なものではなかったようだぞ」


本に目を通すと、そこには勇者、剣聖の家系についてと大戦で活躍した最大の勇者アリアトス・アーベルンのことが書かれていた。


「『剣聖アリアトスはアベルの大戦にて魔族を圧倒し、人族だけの世界を築いた。平和が訪れたのは彼が大戦を終焉に導いた功績である。』か。誰だお前は……」


あまりの虚像に魔王も呆れ苦笑いするしかなかった。


「あの戦いが終わったのは戦争を始めたアベルをこの俺が打ち倒したからだ。まあそれを言っても仕方ないか。この本を見る限り、剣聖の家系は未だ続いているようだな。この近くの都市にある学園に通い、学園を卒業したら国王に仕えているらしい。いつかは会ってみたいな」


そこまで見るものもなく、もう本を閉じてしまった。本棚を離れ、大図書館を離れ、次の場所へ向かう。


結合転移ガルアテーションは使わず歩く魔王。その歩みには迷いがなく、すでに行先は決まっていた。


魔王は街の景観が魔界とそう大差ないことを確認し、人族にも目を向ける。すれ違う彼らの目からは光を感じられ、皆人間界でそれなりに満足した生活を送れているのだろう。


「これは」


不意に目に入った光は空からだった。手を頭上にあげ太陽の眩しさを隠しながら見えたのは微かな魔力の揺らぎ。その空間に存在するのはここリエール王国を守護する対魔結界。微かな揺らぎを彼の魔眼は見逃さなかった。


「結界の解析はあまり経験がなかったな。空間魔法が得意な俺の目を惹く結界はなかなか見られない」


魔王はルビーのような赤い目に魔力を込め、微かにしか捉えられない結界をよく見る。


「しばらくかかりそうだ」


結界は魔王ですら一瞬では理解できないほど複雑な構成をしていた。そして結界の作成者に気づかれないようにするには大胆には触れることはできない。


「少し時間がかかるが自動解析に移行しよう」


結界の解析を傍に魔王は目的地に向け歩き出す。大図書館付近の道はとても栄えているが、彼の進む道は段々傾斜が付き、丘の上へ登っていた。丘の上は木々が道に沿う形で両端並べられているがここ最近の人の往来はないように感じられた。並木道をさらに歩きその足が止まる時、魔王はある屋敷の前に立っていた。


「ここだな」


ポケットから手を出し、両手で屋敷の敷地の門を開く。その門から屋敷へは約100メートルほど。それが敷地の大きさ、そして貴族としての格の高さを表している。敷地内をまっすぐ進み、屋敷の空間を読み取る。空間を読み取れば人族の数と配置は手に取るようにわかる。しかしあちらも魔王の侵入を感知し、屋敷からは二人の男が出てきた。


「そこで止まれ。お前は何者だ、許可を得ているのならそれを示せ」


魔王はニヤリと笑い、目の色を変えた。


「目を見ろ」


まるで血のように朱い目は二人の男を魅了し、支配した。吸血鬼の特性だった。


「では貴様らの主人の元へ案内してもらおう」


「ぐるるぅぅ」


吸血鬼の支配を受けた人族は理性を失い言葉を話すことはできなくなったが命令を理解することはできた。踵を返し、屋敷の中へ進んでいった。


「スピルシェのようには上手くいかないな」


8席の中でも吸血鬼のスピルシェ・ダランベールは魅了のスキルに長けており、その一点で言うと魔王をも凌駕する。スピルシェによる支配は相手の理性を残し、操られているのかどうか判断するのは不可能に近いほど完璧なものだ。


「ぐるるぅぅぅ」


階段を登り廊下を進み一番奥の扉の前で二人の人族は魔王の方を見て呻き声を上げた。おそらく目的の場所に着いたのだろう。二人を端に寄らせ魔王は扉を開けた。中には女メイドが数人と執事が二人、そしてこの屋敷の持ち主にしてこの都市の領主クインツ・バルバロエ。


「何用かね。客人というには穏やかな雰囲気では無いな。それに後ろの二人、吸血鬼の支配を受けてでもいるかのように見えるが?」


「察しがいいじゃないか。そう俺は吸血鬼だ」


魔王は隠しもせず自身が人族ではないと言った。だがそれに対しクインツは眉ひとつ動かさず魔王の言葉を受け止めた。


「なるほどな。魔力を偽装しているのか。しかし私の前に現れて一体何のつもりだ?私を殺し、内から人族を滅ぼすつもりか?」


「この俺を前に臆しないとは豪胆な奴め。まあ良い。俺の名はジュン・アベル・レーネルド」


「アベルだと……?」


「こう言う方がわかりやすいか。俺は魔王だ」


魔王がそう言うと、クインツの後ろからクスクスと複数の笑い声が聞こえた。


「魔王ですって」


「吸血鬼一匹が?」


「とても弱いから結界に気付かれず入れたんじゃ無い?」


クインツは魔王の目を見て真剣な顔をしていたがそれ以外の者は皆そんなことを言って笑うだけであった。


「少し、立場を教えてやろう。重力改変ルビジェ・グラブル


重力改変ルビジェ・グラブルによってクインツ以外の重力を何倍にも増大させる。術にかかった全ての人族はその場に跪き、顔を上げることすら叶わなかった。ただ悲鳴をあげて魔王に助けを願い請う。先とは状況が変わり、立場をよく理解できたと確認しあとはクインツの言葉を待った。


「うちのものが失礼をしてしまった。まずは謝罪しよう」


クインツは頭を下げ詫びた。


「流石は領主クインツ、物分かりが良い。それでは本題に入ろう。俺は世界を統一するためにわざわざ人間界へ赴いたが、人間界での俺はまだ何の地位も持たない一般庶民に過ぎない」


「なるほど。要は国王と接近したく領主である私が持つこの地位が欲しいと言うことですかな。しかしこの私といえども国王との面会は許されてはいない」


「想定通りだ。お前にはそれ以上にやってもらいことがたくさんある。そのために俺の配下となれ」


魔王は異空間から黄金の短剣を取り出し、クインツの足元の床に投げ刺した。


「断れば?」


「ふふっ」


軽く笑い静寂の後、紫色のオーラが爆発的に漏れ出す。魔力を完全に消している魔王だが溢れ出すそれは魔力にしか思えない。しかしながらクインツが持つ魔力探知には何の反応もない。


分かることと言えば、もしそれが魔力であろうがそうでなかろうが作り出される威圧感はとても人族のものではないことくらいだ。クインツだけでなくその場にいる誰しもが瞬時にそれを理解した。


魔王の魔力は空間を破り、クインツの背後には異空間が広がっていた。振り向かずとも背後の異様な感じは元の自室とは違うのだろうと感じていた。風が吹き、異空間へ吸い込まれる感覚を感じながらもクインツは依然表情を変えずその場に佇む。


紫色の魔力はいくつもの円環となりクインツ目掛けて飛ばされる。円環はクインツの両手両足、腹部に首を捕え、次元の壁に貼り付ける。そしてクインツを縛る円環は次第に強まる。全身の血管が浮かび上がるほどに。


クインツは呻き声をあげながら時間で言うと一瞬であるのに無限に長く感じる時を苦しみながら、最後には四肢、首、胴が千切れ次元の狭間に飲み込まれた。


メイド達もその姿をしかと目にし、顔を真っ青にさせた。主人の肉片一つ残らずにあっけなく消えてしまったことに酷く慄いた。


しかし……


「わ、私は……」


場面は数十秒前、魔王が魔力を解放する前に遡っていた。その時と何ら変わりのない様子でクインツの体は傷一つなく魔王の目の前に立っていた。


「幻術……?しかしあれは明らかに現実のようだった」


冷や汗が止まらずまた口の中は緊張で乾燥し、目の前には息をすることすら許されないほどの高濃度な魔力。魔力である確証の無さがまた不気味さを掛け算させる。気分が悪い……というには生ぬるい状況にクインツは置かれていた。


「あなたの実力はわかりました。これ以上言葉は交わす必要はございません、配下になりましょう」


冷や汗をハンカチで拭き取りながら、しかしながらなんとか理性を保ちながらそう答えた。


「しかし私が剣聖のように頑固な存在でなくて良かったことですな」


「そうでもないさ。この程度で屈する愚者であった方が困りものだ。自身をそう思っているつもりかは知らんが、口元は心音を隠し切れてはいないようだ」


この状況下でクインツの口角は上がっていた。


「ははっ、偉大な偉大な魔王様のことだ。おそらくご存じなのでしょう。私はあなたと出会うことを望んでいました。私はずっと悩んでいた。魔族による侵攻は近い、国王は依然動かれる様子も無くただ結界の内側で安心し切っている。しかしあなたもご存知の通りその結界は絶対ではない。もはや人族の力だけでは未来はない。私はあなたのような絶対なる存在の御前に未来を見ました」


クインツは足元の短剣を抜き、手首を軽く切る。拳を正面に突き出し、流れる血を魔王に見せ忠誠の儀を果たす。


「この血、この命、最後まで魔王様の配下として役目を果たしましょう。リエール王国の都市グリューネが領主、クインツ・バルバロエが誓う。王よ、どうか私に世界の変遷を見せて下さい」




*****




「よく集まったレフィ、ラクリア。今後の計画をお前たちに伝える」


「「はっ!」」


クインツ達を下げさせ、レフィレトスとラクリアだけが魔王が座るその部屋に入りひれ伏した。


「クインツに書かせる紹介状を持って人間界の中心都市とも言えるエンデラにある人族最大の学園アルデイスへ編入することに決めた」


二人は主人のその唐突な発言に驚きを覚えたが、その言葉に異論するつもりは毛頭なかった。絶対なる支配者の考えにレフィレトスとラクリアは疑問を覚えることすら不敬に値すると考え、主人を信じていたのだ。


「御心のままに」



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