第2話 配下の暇
「あの時計塔の針が18時を指す頃に再び会おう」
そう言って広場を解散した魔王は人知れずリエール王国に溶け込み姿を消していった。魔力の痕跡を一切残さず、いかに配下と言えど見つけることは困難なほどだ。
「もう見えなくなっちゃったね」
「そうですね。ジュン様は気配を消すのがお上手ですから」
「じゃあラクリアたちも行こう!」
ラクリアは魔王に貰った金貨を握り締め、その手を空高く上げた。
「わかりました。どこから行けばいいのか迷いますが、まずは正面にある道を進んでみましょう。興味深いお店が何軒も並んでいますから」
「いいよ!楽しみだね!」
二人は真っ直ぐ進み大勢の人族が行き交う通りを見ることにした。長い長い一本道の両端には、隙間が見えないほどぎっしりと様々な店が並べられている。八百屋から武器屋、アクセサリーショップに魔法石を売っている店など本当に多種多様な一本通りだ。しかしいくら結界に覆われ外界との関わりを遮断している人族と言えど、幾分か魔族と似たことを考えていることがわかる。
「私の故郷でもこの景色は見たことがあります。懐かしさとほんの少し心にくるものがありますね」
街並みが
「レフィレトスはジュン様の最初の配下なんだよね?ジュン様と会うまではどこで何をしていたのー?」
その問いかけにレフィレトスは言葉が詰まりそうになるが、ラクリアの純粋さがレフィレトスにそれを答えさせる。ウサギのぬいぐるみを腕に抱き、人形のように綺麗でそして幼い顔で見上げるラクリアはまるでこどものようだとレフィレトスの目には映っていた。
「ふふっ。あの頃の私は何も知らず、本当に愚かでした。私は大戦の最中に生まれましたのですが親のを愛を、その顔さえも知らず、ただただ毎日をどうやって生き抜くことができるのかを考えていました。心の弱さが表れていたのでしょうね……私は自分の無力さに恐怖し、神を信じることにしました」
レフィレトスは時計塔のはるか先の丘に視線を向けて、胸の奥から込み上げる感情を抑えるが、彼の目はその気持ちを語ってきた。
「丁度あのような教会に私はいました。神に祈り、神託を待ち侘びる日々。その間にも街は破壊され、人は殺され、とうとう私一人が残りました。このまま私も殺され、何の価値も無い人生が終わりかける。そう、終わりかける前に……ジュン様が手を差し伸ばしてくれたのです」
そっと目を閉じて、教会から顔を逸らしラクリアの方を見る。
「すみませんね、私のつまらない過去の馬鹿話をしてしまって。ジュン様と会う前の私は生きていると言い難いほど、対照的に今の私は充実しているので先の発言は忘れてください。気を取り直して今は遊びましょう」
ラクリアは何か満足しない顔をしていたがレフィレトスは彼女の手を取り、商店街へと進んだ。二人はまず大きな綿菓子を売っている店に寄った。
「ねーねー!あれ食べてみない?」
「いいですね。魔界では見ないので私も気になります」
一見他の店と変わりないがそれは多くの人間からの注目を得ていた。二人は長蛇の列に並んで待つことに決めた。初めはどれくらいの時間がかかるのだろうかと不安を感じていたが、100人近くいたその列はわずか15分程度で先頭が見えるほどとなっていた。
「思ったより回転早いんだね」
「そうですね。良かったです」
前に並ぶ人族の会話を聞いているうちに二人は前へ進んでいた。何やらこの店は『ばえ』というもので有名らしい。魔界では聞き覚えのないその単語はレフィレトスとラクリアにはさっぱりわからなかったが大雑把な意味は捉えることができた。そんな『ばえ』る綿菓子が一体どんなものなのか期待に胸膨らませていると、とうとう二人の前に並ぶものがいなくなった。
「いらっしゃい。何にしますか?」
人族で言うと齢30くらいの壮年の男性店主が注文を聞いてきた。どうやらこの店はこの男性一人で回しているようだ。
「実は私どもはこの地に来たばかりでわからないことが多いのです。何か店主のおすすめがあればそれをお頼みしたい」
「おぉ!観光客の方ですか。んー、そうだな。悩ましいがやっぱりこのリエールわたあめが一番人気かな」
「ではそれをお願いします」
「まいどあり!」
左手で代金を渡し、右手で綿菓子を二つ受け取り、一つをラクリアに渡した。にこやかに笑い、ラクリアはその綿菓子を自身の顔の横に並べていった。
「すっごくおっきいね!」
その愛らしさに思わずレフィレトスも笑みをこぼした。甘い香りを漂わす虹色の綿菓子に、ラクリアは顔を埋め食した。レフィレトスからは最早ラクリアの顔が見れないほどその綿菓子は大きかった。
「ラクウマ!」
「何ですか、その単語は」
「ラクリアが美味しいと感じた時に出る言葉だよ。このわたあめ本当に美味しいからレフィレトスも食べてみなよ」
そう促され、レフィレトスも口に綿菓子を運ぶ。
「本当ですね、確かに美味です。しかしこれは貴重な砂糖をふんだんに使っていますね……魔界ではとても考えられないことです」
「そうだね。砂糖なんて滅多に食べられなかったよね」
「ええ。それをこの価格で買えるのですから人気が出るのは語らずとも分かりますね。しかし店主はどうやって砂糖を得ているのでしょうね」
手を顎にあて、綿菓子の味に関心しながらその疑問を考えていると、ラクリアからの返事が聞こえなくなったので隣にいるラクリアを見るとそこにラクリアはもういなかった。
「あれも気になる!」
少し小さな声でそれが耳に入ったのは彼女が遠くでレフィレトスを呼んでいたからだ。手に持っていた綿菓子はいつの間にか消えており、レフィレトスは少し呆れながらも、微笑した。
「はいはい、時間はまだたくさんあるのであなたに付き合いますよ」
それから二人は数時間この街を思う存分遊び尽くしたのだった。
*****
太陽は沈みかけ、橙色の空が世界を創る中、時計塔の針は17時30分を指していた。二人はすでに待ち合わせの場所の『始まりの広場』に着いていた。感傷的になる空の色を前にして二人は黙り込んで、考え事をしていた。レフィレトスは言うまでもなく、子供と変わらぬ見た目、いや言動もそう思わせる一端があるが……ラクリアも人族の一生を超える100年以上の年月を生きる魔族であった。普段はああだが心の内に抱えるものもあるのだろう。
「ねえ、レフィレトス……」
「何ですか?」
「ラクリアを向かいに来てくれた日のことを覚えている?」
「はい、鮮明に。あれは酷く雪が積もり世界が真っ白になった頃でした。私とジュン様と、同じく8席である
ラクリアは俯き、長い髪がまるで顔を覆うように垂れ流された。だが横顔が隠れながらもどんな目をしているのかは理解できた。
「そうだね。ラクリア、あの時本当に嬉しかった。何の価値も無いゴミみたいな人生……せめて心のない人形のようであれれば良かったと何度も思ったの。でもそんな人生をジュン様が壊してラクリアを救ってくれたの」
「ジュン様はとてもお優しいお方ですからね。他人の過去をお気になさらず、種族や能力の差なんて些細なことだと考えていらっしゃる。ですがそれがどうかなさりましたか?」
「ラクリアは……そんなジュン様に恩返しがしたいとずっと考えているの。ねえ、教えてレフィレトス。ジュン様の過去について何があったのか」
僅かにレフィレトスの眉間に皺が入り、次に放つ言葉に迷いを覚える。数十秒、間を置いて重い口を開き、低い声で言葉を発する。それはその内容が軽い気持ちで言うことは決してできないということをラクリアに伝えるものであった。
「これはジュン様と契約している2神に聞いた話なのですが、ジュン様は過去に全てを失ったのです。仲間も居場所もその矜持さえも……何度も何度も、精神が狂ってしまうほどに。そのせいで心を閉ざし、他人を、自身に劣る存在として切り捨てた。全て自分が解決すればいいと思えるほどに強くなり。そう、ひたすらに強くなった。しかし、どこまでいっても、世界を変える力を手にし仮にそれを行なってもなお消えない自分への憎しみに葛藤なされているのです」
レフィレトスのその言葉にラクリアも軽はずみに返答することはできなかった。主人がどれほどの痛みを背負ってきたのかはもちろん自分なんかには理解できないが、想像を絶することはわかる。
無意識にも抱き抱えるウサギの人形を皺がつくほど強く握り、心が痛むのを表現していた。ラクリアは何度も口を開けて言葉を発しようとするがそれは音とならず、ただ時間が過ぎるだけだった。そして数分経ち、
「ラクリアは……ジュン様の心の痛みを取り去ってあげたい」
その言葉を言うのにどれだけ勇気がいることか、レフィレトスにはよく理解できた。
「私もです。今はジュン様の世界征服の手伝いに全力で取り掛からなければなりませんが、それが終わったら必ず」
「うん!」
やっとラクリアは顔を上げた。満面の笑みを浮かべてレフィレトスの言葉に同意した。ひと時の会話は終わり、時計塔の針は18時に差し掛かっていた。主人の姿を探していると、二人の頭に声が届いた。
——聞こえるか、レフィレトス、ラクリア——
——はい、お声届いています——
——すまぬが今から俺が言う場所に来てもらいたい——
——分かりました——
——では、丘の上にある教会の方へ向かってほしい。おそらく時計塔からも見えるだろう。その近くにクインツという貴族の領地がある。そのクインツの屋敷を新たな集合場所としよう——
——急いで向かいます。失礼します——
「どうやら、ジュン様は何かなさっていたようですね。主人に待たせるような真似はしたくないのでラクリア、急ぎましょう」
夕日が沈む方向に二人は走り出し、魔王の元へ向かう。
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