第6話 砂時計は落ちていく
≪???≫
男は一本道を歩いていた。一面に青く光り広がる花々がただ一つ、咲かずして両隣から照らされているその道を。
殺風景で変わりない景色を歩き続け、飾り気のない門が現れそれを潜ると数は少ないものの、高魔力を秘めた剣や弓、槍が飾られていた。そのどれもが希少度の高い素材で構成され普通ならば興味を示さずにはいられないが男は気に留めず歩みを進め、門を潜り抜けてしまった。
青く光るその花々が照らす先にあったものは——
両手に収まるほどの水晶に閉じ込められたある村のジオラマだった。
「この呪いはいつまでも俺の心の核に刻まれ続ける。だがその全てを飲み込んでやる」
それを見ながらも彼の意識はそこには無かった。永遠に過去に囚われた哀れな少年はこの1000年で何を手に入れたのだろうか。
はるか後ろに気配を感じた。こちらに進んできているその正体、空間を読み取ればそれが誰のものなのか一瞬で識別できるがその必要は全くもって無かった。なぜなら……
「ここにおられましたか、ジュン様」
若々しい青年の声が発せられた。彼は青年に背を向けたまま話しかける。
「レフィ、お前が唯一、15層よりはるかに離れた空間にあるこの16層まで
レフィレトスは魔王の初めての配下で、魔王が直々に育てた魔王軍最強の実力者だ。ここまで空間魔法を使いこなすことのできるものはそう多くはない。
「すみません、ですが聞いておきたいことがありまして」
あまり気乗りがしない。
「ジュン様はなぜ世界征服をなさるのですか」
「世界のバランスを保つためだ」
そのジオラマしか映らない眼は色々な感情を孕ませながら、小さくその言葉を振り絞った。
「無礼を承知の上でお聞きします……ジュン様は私どもを配下とお考えですか?」
「……」
「やはりジュン様は我々を見ておられないのですね……我々配下が、否、貴方様以外の存在がとても弱く矮小と感じさせてしまうからでしょうか」
レフィレトスは段々早口となり、本音を漏らすことを気にならなく、気にすることはできなくなってきた。
「レフィ、少し落ち着け」
「クレヴァス様やあの二神が貴方様に高い信頼を向けているのも貴方様のその一心を知っているからだとは承知していますが。こうして魔王として我々の上に君臨なされたにも関わらず、貴方様は全てご自身の力で為そうとしている」
完全にレフィレトスは止まることを忘れ、珍しく感情的になっていた。
「いやその一心しか持ち合わせていないからですか。自分を誰よりも憎み——」
「「レフィレトス!」」
16層全域を紫色の高濃度の魔力に満ちた空間に壊す。背を向けたままなので主の顔は直接見てはいないがその形相を理解するのに時間は要らなかった。
「も、申し訳ありませんっ!」
レフィレトスは自分が踏み込んではいけない領域に足を踏み入れたことに気付き、瞬時に跪き頭を下げる。
「……ですが私はジュン様が心配です。貴方様はご自身の体にはとても疎いと失礼ながらに思います。私どもは貴方様の、魔王の配下として永遠にいられることを望んでいます」
「……気に留めておこう」
踵を返し跪いているレフィレトスの真横を通り来た道を引き返そうとする。
「どこかへ向かわれるのですか?」
「クリエスタに外へ向かわせている。帰還するまでまだ時間があるからアルカナへ行ってくる。クリエスタが戻ってきたら15層の魔王城に守護者を集めておいてくれ」
「わかりました。お気をつけてください」
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「今ならとびっきり美味い血がお手頃だよー」
「にいちゃん、おいらんとこで食って行かないか」
人が賑わう大通りで酒屋・料理屋の客引きの声は一際耳に入る。この吸血鬼しかいない国アルカナに降り立った俺はその通りをまっすぐ進む。様々な店が並び建つ飲食街を目で掃くものが多い中、俺に視線を合わせるものも少なくは無かった。
ここアルカナは俺が直接結界を張り、吸血鬼以外は入れないよう縛りを施したことで少々有名であったのだ。
歩いていると服の袖を軽く引っ張られた気がして確認すると腰くらいの身長しかない少女が純粋な笑顔で見上げていた。彼女な名前はアリス、何度か会ったことのある吸血鬼の女の子だ。
「ねーねー魔王様!いつものやって」
「アリスは本当にあれが好きだな。いいだろう、よく見ておけよ」
俺は膝を着きアリスと目線が合うようにして目の前に手を出す。魔法陣が描かれると手には綺麗な青い花が現れた。その花の甘い香りは周りにいるものが足を止めこちらに視線を移さずにはいられないほど
「わあ、綺麗!魔王様ありがとう!」
アリスに花を手渡すとたいそう嬉しそうに笑った。
「さっすが魔王様だ!」
「惚れちゃうわ!」
「私ももらいたい!」
先刻までの建ち並ぶ店々を見るものが多い状況は変わり、俺とアリスを囲んで大勢の吸血鬼が釘付けになった。その中でアリスの後ろ奥に会釈する女性がいたがおそらくアリスの母親なのだろう、俺は「気にするな」と軽く目で合図し、立ち上がる。
「もう行っちゃうの?私のお家で遊ぼうよ!」
「ふふっ。出来ればそうしたいのだがな、今はあまり時間がないのだ」
アリスは俯いて気を落としてしまったので、俺は彼女の頭を撫でる。
「そう項垂れるな。そうだ、次会ったときは俺がいいものを見せてやろう」
「いいもの?」
「ああ、いいものだ。だから我慢してくれるか」
「うん!楽しみにしてる!」
*********
長い長い大通りを進んだあと、角を右に曲がると見えてくるのは、薄暗く人気のない細い通りに明るく光る一軒の店。ツクヨミと書かれた看板が視界に入る。アルカナに来ると必ず寄って行く料理屋だ。中へ入ると一人の老人に出迎えられた。白髪・白髭、物静かな態度だが魔力は衰えず寸分の隙をも感じさせない立ち振る舞いだ。
「いらっしゃいませ、魔王様」
店はこの老人一人で回している。奥に目を向けると客が数人いるのにも関わらず手を止めてわざわざ出迎えてくれたようだ。そのまま彼に連れられるようにして奥の席に座った。
「では少々お待ちください」
そう言うと老人は厨房に戻っていった。
俺はこの時間が嫌いじゃない。何もせず、料理がくる期待に心踊らせながらただ静かに待つ。そんな中、他の客は食事を楽しむ、その空気感は心地良い。
すっかり店の雰囲気に浸っていると——
「お待たせしました」
わずか数分でそれは来た。テーブルにはステーキを中心に様々な料理が並べられ、最後にワインが置かれた。
どれも食欲をそそるものであり何から食べ始めようか悩むところだが、ナイフとフォークを両手に持ち構え迷わずステーキに手を伸ばす。一口サイズに切り分けたステーキを一つ口へ運ぶ。口の中へ届くと肉の旨味とガーリックの香りを残しやわらかく溶けていく。
吸血鬼はニンニクが弱点という伝承があるが何故こんなに美味しい食材が苦手なのかまるで理解できない、むしろ好物とさえ言えるだろう。二口、三口とその手は止まることを知らない。
俺としたことが肉に夢中になりすぎてしまった。次に他の料理も食べていくがどれも美味い。長く生きて色々なものを食べたきたがツクヨミは一番と言っていいほど料理が格別に美味しい店だ。
最後に残ったのは、いや残したのはやはり肉だった。ワインと合わせて頂こうと思って最後に取っておいたのだ。これもやはり美味い。肉と相まってより深みのある味が生まれる、最高の相性だ。
最後の一切れまで食べ終わるとワインを飲んで口の中をさっぱりさせる。
「店主よ、今日もとても美味かった」
「有り難き御言葉」
「お代はいくらだ?」
「その御気持ちだけで十分すぎるほどです。私めが魔王様から対価を頂こうとする気など全くもって御座いません」
毎回こうでは俺も快くはない。働きには正当な対価が必要だ。
「褒美だ、受け取れ」
売れば数年は生活に困らないほどの金を得られ、また大魔術を行使する触媒となったり、魔法武器として使えばそれは一級品となるだろう。
「これほどのものは頂けません」
「命令だ、素直に受け取るがよい。お前の作る料理にはそれくらいの価値があると思え。どうしても納得が行かぬのならその鉱石の価値分、俺にこれからも料理を出してくれ」
「有り難き幸せ。これからも魔王様のためにこの腕を振るいます」
店主は深くお辞儀をして礼を述べた。
ドアを開け先程の細い通りに出て、これからどうしようか考えた。腹も膨れ、満足したのでこのまま帰ろうと思っていたら、女性の叫び声がした。大通りから離れた方向には、体格が大きいものから小さいものまで集まった四人の男が一人の女性を取り囲んでいた。
やれやれ、人がせっかくいい気分でいるのに。少しだけ不愉快だ。野良犬を追い払うくらい手伝ってやるとしよう。
「諦めなお嬢ちゃん、ここじゃあ誰も助けやしないぜ。大人しく俺たちの言うことを聞き——」
巨躯の男はそれを言い終える前に、言葉を失った。全身からは汗が止まらず、固唾を呑む。物音一つさえ出すことを惜しむ。全員が恐ろしいほどの殺気を感じ、動けなくなっていたのだ。仮に後ろを振り返ろうとしたものならどうなってしまうのかなんて容易に理解出来たのだろう。
俺はただ魔眼で捉えているだけ。それにも関わらず、一人、また一人と足が震えて立つことすら出来なくなっている。だがこれでは男どもが邪魔で仕方ない。
「お嬢さん、こちらへ」
出来るだけ怖がらせないように配慮した優しい言葉使いで言い、彼女に手を差し伸べ大通りのある方へ連れて行く。男どもの姿が見えなくなるくらいまで離れると手を離した。
「ここまで来れば大丈夫だ。あの光が見える方まで行けば大通りに出られる」
「ありがとうございます!何かお礼をさせてください」
「俺はここで彼らが追ってこないか見張っておく。気にせずあなたは行きなさい」
本当は面倒なことに巻き込まれたくなく早く帰りたかっただけだが。
「本当に本当にありがとうございます!もしよろしければお名前だけでも教えていただけないでしょうか」
「……ジュン・レーネルド」
名を聞き、走り出した彼女が遠くまで行くのを確認すると
「民を救っていただきありがとうございます」
背後から現れたのは先程の男どもではなく、鋭い眼光に髭の上からでもわかる表情が崩れないように固く引きしまった口をした中年の男だった。
「なに、気まぐれだ」
「お帰りなさるようでしたので私の要件はまた次の機会にいたします」
「そうしてくれ」
これ以上巻き込まれたくないから
「ですがこのことを前向きに考えておいてください。現アルカナ国王代理である私からのお願いです、否、我々アルカナに住むもの全ての総意です。魔王様にアルカナ国王になっていただきたいと思います」
最後にとんでもないことを言いやがる。しかし王となると決めた今、断る理由はない。
「いいだろう、考えておこう」
まったく、まだ世界征服らしいことしていないのに早速一国の支配者となるのか……
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