第5話 クレッセントが満ちる時

《11層最奥》


コツ、コツ、とヒールを鳴らしながら黒いドレスの少女が長い廊下を歩いている。彼女は長い黄金の髪を触りながら大きくため息をつく。


「はあ。いくらジュン様の命令といえど、ここ11層にはあまり行きたくないのよね」


同じ主人を持つ配下として不満はない。しかしながらクリエスタ・ヴァレット、11層を守護する彼女は率直に言って嫌いだ。


コン、コン、コン、と扉をノックする。


「失礼するわ」


中へ入ると正面にエグゼクティブデスクが置かれているのが見えるが椅子には誰も座っていない。特段広くないその部屋全体に視線を動かせる。


どこにいるのかしら。


自分の視界には誰も映らない。視線を左から右へなぞるように移し、次は天井を見上げる。しかし誰も映らない。人の陰一つ見当たらない。


うしろかしら?


「あら残念。私は初めからここにいたのよ」


シェリーは嫌悪感をあからさまに示し正面を向き直す。


「つまらないことで時間を取らせないでくれるかしら」


「あなたならこの程度の惑わしは見破れると思ったのよ。少なくとも空間魔法を得意とするあのお方なら騙されることはないわ」


ちっ、舌打ちした音が拡散した。本当にいちいち鬱陶しくて嫌いだ。さっさと要件を済まして帰りましょう。


「ジュン様からの言伝を言い渡します」


「愛しの君から!?承りましょう」


主が関わる話になると調子良く素直になるクリエスタ。不用意に突っかからず、私はジュン様が仰られたことを伝えた。


「そうですか、ジュン様も人使いの荒いお方ですこと」


「無理だって言うのかしら」


「そんなわけないでしょう。ジュン様が私を頼ってくれるのなら何だって引き受けましょう」


「そう、良い心構えね」


伝えることは伝えたかしら。私は踵を返し少し歩みを進め空間転移テレポーテーションを起動させた。転移するまでの僅かな時間、クリエスタを流し目に、別れの挨拶をかけた。


「では、近い日にまた会いましょう」


「……


……


……


……行きましたか。器の人形風情が……御方の寵愛を受けるのは私だけでいいのよ」





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《15層最奥—乖紅かいこう


「わー!広ーい!」


軽く遊び疲れた俺は特別にヴェルエーヌを連れて俺の階層にある大浴場へ来た。それを目にすると脱衣所を抜け、中へ走り出し大声ではしゃいだ。


「ガキか!服を脱いでから入れ」


俺は脱衣所で服を脱ぎながらヴェルエーヌに言った。彼女を乖紅かいこうへ連れてきたことは何度かあるがここは初めてだったか。しかしながらこうして俺の作った居城に興味を示されるのは悪くはない。


「仕方ないわね。変身チェンジ!」


ヴェルエーヌが手を上げそう言うと、全身が光に包まれ光が消えたら服が無くなり、白い肌が露わになった。髪も解け普段とは違った感じに新鮮さを覚える。


中々便利なものだな。術式が見えなかったが無式魔法なのだろうか。魔法は実戦を想定して習得したり編み出したりしていたが、案外こういった魔法が役に立つかも知れないか——いつになるかは知らんが。


脱衣所を抜けると大きな浴槽が広がっている。段違いに3つありそれらは繋がっていた。ヴェルエーヌが一番奥の下段のそれに勢い良く飛び込んだので、俺は向き合うようにして静かに湯に浸かった。


「はあー」とため息を漏らし、疲れも吐き出せそうな感じがした。傷が染みるとかなんとか叫んでいる向かいのうるさいやつを無視して目を瞑り気を休める。


しばらくすると周りが自分以外居なくなったのではないかというほど静かになった。あれが静かにできるのだろうか。不思議に思い再び目を開けると、膝に手をつき前屈みに、吐息が当たる距離で彼女は俺の顔を見つめていた。小柄だが引き締まった腰や、服の上からはわからないがスタイルの良さが窺える胸、近くで見ると気付かされる麗しい顔。彼女が魅力的に感じるのは疲れているからだろうか。


「どうかしたか」


「よく見たら魔王ってかっこいいね」


「そうか」


そのまま俺の隣に座り、湯に浸かった。


「どうかしたかしら」


無意識の内に俺はヴェルエーヌの顔を見ていた。こいつはこんな顔をしていたのか。


「いや大したことではない。ただ、数百年の付き合いになるが俺もお前もお互いのことは露知らずかと思ってな」


「そうね……」


大概、数年に一度ヴェルエーヌの方からやってきて勝負を挑んでくるから遊んでやってる、そんな関係にすぎない。俺のことをどれだけ知っているのかはわからないが、こちらはどこに住んでいるのか何故俺に付き纏うのか全くわからない。


「じゃあさ……お互い一個だけ気になること質問し合わない?それがどんな内容でも本当のことを答えるの」


「いいだろう。では俺から質問させてもらおう」


「何でも聞いて頂戴!」


俺は声色を変えて真っ直ぐ言う、



「……」


「どうした、なんでも答えるんじゃなかったのか?」


少し意地悪だったか。種族名を教えることは自分の情報の大部分を教えることと同じ。彼女がどこまで自身の情報を教える気があるのか試しただけに過ぎないから質問を変えてやろう。


「いいよ、特別に教えてあげる。ヴェルの種族は……」



「……神血族だよ」



聞いたことない種族だ。見たことない悪魔だから少数であるか世俗との関わりを断った種族であるとは思っていたが、まさか知らない種族名を聞かされるとはな。神に由来する種族であるのか?


「神血族?それは——」


「質問はここまでだよ!」


仕方ない。


「次はヴェルの番ね!ヴェルが聞きたいのはさっきのことなんだけど、どうやって腕を治したの?いくら治癒魔法でもあんなに早く治せるはずないと思うよ」


「お前と空間魔法を中心に遊んだのは初めてだからな、当然の疑問だろう。簡単に言うと俺は現時点の空間を保存し、未来時点における情報を好きなタイミングでそれに改竄することができる」


あまり知られたくはなかったがそれが約束だったからな、仕方あるまい。


「始めに閃光レネミルの魔法を使っただろ、その時の俺の空間を保存していたからあの場で腕を治せたのさ」


「そんなのズルじゃん!」


「そうでもないさ。あの魔法は単に空間を保存するだけで膨大な魔力を要しさらにそれを維持することなぞ、一介の魔術師が何人集まろうとできやしない。お前の傷を治したのもその魔法だが基準点が、俺の右腕を復元した時だから、その肩の傷までは治らなかったんだ」


隣に座るヴェルエーヌの肩を見る。


「ヴェルにはそんな難しいことはできないや……」


「わからないぞ。なぜ空間魔法を使えるものが限りなく少ないのか、それは空間魔法を使うには甚大な魔力が必要でとても実戦向きとは言い難いからだ。しかし先の戦いで見せた光熇槍刀グレイスフィアだったか、あれを使えるということはかなりの魔力を有しているのではないか?」


魔力量は数値でいうと100,000を超えると特段困ることは無いだろう。あれだけの魔法を使えるのならば、150,000を超えていても驚きはしない。


「ヴェルの魔力量は300,000くらいだよ」


「ほう、お前には驚かされてばかりだな。この世界でシェリーを除いてここまでの魔力量を持ったものに出会ったことはない。いずれ俺を超えるかも知れんな」


「いずれなんかじゃないわよ。次戦う時はヴェルが勝つんだから」


互いに顔を合わせて笑う。何かがおかしかったからではない、純粋にその言葉と次の機会が楽しみだと感じたからだ。


「ヴェルエーヌは面白いな。お前といる時だけ俺は自然に、そう気負うことなくいられる」


そう、かつてのように。


「ヴェルもだよ!」


俺はゆっくり立ち上がり、ヴェルエーヌに手を差し伸べる。意味がわからない風の顔をして俺の手を取り、俺は結合転移ガルアテーションを使う。


「まって!転移するの!?ヴェル服着てないんだけど!」


「安心しろ」


「え?」


俺は笑いかけて言う。


「俺もだ」


「いやあぁぁぁー!」


転移しあたりが次第に見えてくる。外、と言う表現は正確ではないか。単に城の外であってここは俺の領域テリトリーだから閉ざされた空間だ。目の前にあったのは、


「なんだ、露天風呂じゃない」


湯気を放つ虹色の温泉が、先ほどのものより大きく視界いっぱいに在った。


「まあ、入ってみろ」


俺は先に湯に浸かり勧めた。ヴェルエーヌが湯に足を入れ、肩まで浸かると肩の傷が光り、その傷は急速に癒えていった。


「この湯は高濃度の魔力を含んでいる。低位の悪魔にとっては毒だが我ら高位の悪魔にとっては傷や魔力を回復させる、俺が造った温泉だ。気に入ってくれたかな」


「へー、いい趣味してるのね。助かるわ」


俺は然程ダメージも負っていることもなく、魔力もほとんど消費していないがヴェルエーヌの魔力が回復するまではしばらく待っていよう。


そのまま空を見上げる。15層の空には一日中朱い月を中心に星々が輝いている。それにしても所詮は創られた空間か……だが他の世界の存在を知り交流のある俺からしたら内と外との境界線を考えること自体が無駄かもしれない。


目を閉じると急に睡魔に襲わた。吸血鬼は悪魔の中でも極端に睡眠を要しないのは事実だが一体どれくらい寝ていないのだったか——



*********



——魔王——


——魔王、魔王!——


「魔王!」


寝ていたのか。何か夢を見ていたような気がしたが上手く思い出せないな。


「どうかしたか」


「もう魔力戻ったわよ!」


「そうか、では行こう」





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《シドの森》


「じゃあそろそろ行くね」


「ああ」


上目遣いでこちらを見て何か言いたそうにしている。俺が何か言うのを待っているように思えるが何を望んでいるのかよくわからない。


「絶対また来るからね」


そうかおそらく寂しいのだろう、全く仕方のないやつだな。手を伸ばし軽くヴェルエーヌ顎を持ち上げる。


「餞別だ、受け取れ」


彼女の唇にキスをする。ヴェルエーヌは顔を真っ赤にし照れた。顔を反らし俺に見られないようにしたが彼女が今どんな顔をしているのかは容易にわかった。


ヴェルエーヌ顔を軽くパンッと叩き、何となく落ち着こうとする。再び顔を向けたときには普段通りの彼女が見られた。


「またね!」


最後にただそれだけを伝え、手を振りながら笑顔で結合転移ガルアテーションを使いその姿が消えていく。


「俺も帰るか」


俺も空間転移テレポーテーションでその森を後にした。そして再びシドの森に静寂が訪れたのだった。



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