第2話 魔王の言明

「さてと——」


俺が降り立ったのは魔王城ではなく、先代の《Ⅸの支配》<第Ⅴ支配階級>である世界竜クレヴァスが居城とする氷の城ニヴルヘイムの門だ。そこは冷気の霧で覆われ目の前の門ですら微かにしか見ることは出来ない。


しかし俺には露聊つゆいささかも問題はなかった。俺は1000を超える魔法を使える程、魔術における高い才を持ち合わせているがその中でも空間魔法には特に自信がある。視覚で捉えきれなくても、周囲にある物体が有することでそれ以上に正確な情報を得られる。


一歩、歩みを進めようとする……が俺は足を止め、空間魔法・超場伝達ルーシェの術式を創る。配下に伝えたいことがある故、遠方でも連絡できるこの魔法を行使する。


相手の脳内に直接声を送るそれは相手が寝ている場合や特別な結界内を除く限り、距離による制限やまたそれだけでなく相手がこの魔法を使用できるか否か、など一切のリスクを伴わない非常に使い勝手の良い代物だ。


——シェリー、つい今しがた第Ⅴ世界へ帰還したが氷の城ニヴルヘイムへ寄り道して帰ることにした——


——かしこまりました、ジュン様——


透き通るように可憐なその声が俺の頭の中を廻る。魔王が側近にして眷属であるシェリー・レーネルド。


——それから、——


ほんの刹那、俺はその後に続く言葉を躊躇った。


——どうかなさいましたか——


——いや、何でもない。それから6~14層の配下を15層の魔王城=開闊かいかつの間に集めておいてくれ——


——御心のままに——


それが何を意味していたのかは聞くまでもなかった。


「……くっくっ、見透かされたか。まぁ、よい」


超場伝達ルーシェの魔法を解除し、俺は再び眼前に広がる門へと視線を送る。冷気により地面にできた霜をサクッ、サクッ、と確かに感触が伝わる中、歩き始めた。門をくぐると先刻とは違う……否、これまで見てきたものとは違う景色が


数百と鎧を武装した人族が王城の堀や城内からそのてっぺんを見上げている。そこには、光り輝く白金の鎧を装着した団長らしき金髪の好青年が、純白の布の中心に紋章が描かれた横長の旗を城の頂に掲げていた。その城は禍々しい魔力の残り香を感じさせる。恐らく魔族のものであったのだろう。


しかし、あたりには魔族の姿が見られない。もしかすると既に……




『存在したかもしれない世界かのうせいか』




以前、<第Ⅵ支配階級>のレンから聞いたことがある。俺がいるこの第Ⅴ世界と第Ⅵ世界は近しい進化を世界が遂げたと。


魔族と人族のどちらが世界を掌握したかという違いを除いて。


ただ俺の世界に関しては、1000年前の大戦への俺の介入により魔族が世界の大部分を手にするという形が今なお続いているが人族が降伏した訳ではなくまだ争いが続いている。


「魔族は討ち滅ぼした。これで我ら人族に永遠の繁栄がもたらされるだろう!」


青年が声高にそう言い、また周りの人族は彼を称える。心からのよろこびが彼らの声やその表情から伝わってくる。


ある者は同胞と肩を組み勝利を共有し、ある者は酒を片手に笑い転げ、またある者は両手両足を使ってその喜びを踊りで表現していた。


そしてみんながみんな、声を団長が掲げる勝利の旗を見ていた。


しかし……彼らは人族のみの世界が唯一の平穏だと勘違いしているのだろう。所詮は愚者に過ぎない。人族だけの世界で一体次は何を犠牲にするのか。争いに争い抜く愚者は骨の髄まで毒に溺れるだろう。


クレヴァスめ、面白いものを見せてくれる。だが、茶番は終いだ。俺は、パチンッと指を鳴らした。するとその音が波及して広範囲の領域に施された幻術が徐々に解けていき、目の前の光景を俺の魔眼が捉える。


そこは元居た門の前ではなく、既に城の中の大広間であった。大理石の大きな柱が数本で天井を支え、他には何もない白い広間。


ただ正面にあるは一本の道。そこを通れと言っているようなものだ。素直にその道を進み、さほど長くはない廊下を経て現れたのは一つの大扉。


俺はそこで止まる。そっと手を当て、その重い扉を押した。ギギギィと音をたてながら、錆びつき古びた扉はゆっくりと開かれていく。薄暗い廊下は開かれ始める扉から漏れる光で少しずつ明るくなっていくのがわかった。そして扉が完全に開いた時……


本来ならば玉座の間など何かしらの部屋が待ち受けているのであろうが、目の前は……


見上げると、澄んだ空、光り輝く太陽。その下には、テーブル一卓とそれを挟んで椅子が二脚。


片方のそれには薄い藍色の髪と瞳をし、白と黄を基調とした清楚の中に確かに胸を強調した色気をも魅せる服に身を包む女性が、座って茶を飲んでいる。


「久しぶりだな、クレヴァス」


俺はそう言いながら彼女のほうへ向かい、もう一方の椅子に腰かける。


彼女は世界竜という名の通り竜であるが、普段は人間と似た姿でいる。その方が何かと便利なのだろう。


「やぁ、魔王様がこんな辺境の地に来るなんて珍しいね」


「その言い方はよせ、ジュンで構わない。今日は先代の貴様に話があって来た」


「興味深いね、でもその前に客人をもてなさせておくれ」


クレヴァスは席を立ち俺に茶を用意する。人を幻術にかける暇があるなら先に済ましておけ、とも思ったが彼女なりの様式美なのだろう。


「ではその話を聞かせてもらおうかしら」


今度は躊躇いなく、はっきりと言う。


「俺は世界の王となることにした」


一瞬クレヴァスの眉がピクリと僅かに上がった。


「それはそれは、なんとも想定していた以上の話で少しビックリしたが、私としてもありがたいことだよ。私の知る限り、この第Ⅴ世界は少々不安定でね。管理者は置いても聊か不十分だったんだよ。以前と比べると平和になったと思うけどまだまだだね」


「ここは他と比べて多種族が住まう豊かな世界だからな。俺が王となれば少しはマシにはなるだろう。世界樹もそれを願っているはずだ」


世界樹は各々の世界の根幹を為す大樹。生命が必要とする魔力や精霊を生み出し、同時に管理者に道を示す。王となることで世界樹にはさらに進化すると他の《Ⅸの支配》から聞いたことがある。


「私も王になろうとしたことはあるんだけど荷が重すぎた」


「初めて聞いた話だな」


「言ってなかったもの。そうね、つい2000年くらい前のことかしら」


ふむ。竜族にとっての時間感覚は他種族とはここまでずれているものなのか。寿命を考えると大まかに人族は100年から150年。魔族は300年から5000年。竜族は最低でも10000年は生きると言われている。


長く生きるものほど保有魔力があがるためこの世界で竜の存在が恐れられていることには納得がいく。


クレヴァスは視線を落とし、カップの中の紅茶に向けた。声のトーンもほんのわずかに下がり語り出す。あまり良いとは思えない過去のようだ。


「私はここより暖かく、人同士の交流が盛んな街で崇められていたのよ。竜の力で雨を降らせたり、作物を育てたり、魔獣から守ってあげたり、最初は人を助けてあげて人も私に感謝し望むものを献上してくれる。あんまり悪い気はしなかったかしら」


今とはまるで別人のようだ。こんな辺鄙で普通の人間にはとても耐え難い極寒の地。来客といえば数年に一度訪れる俺くらいなもので常に一人だ。


「でもね目立ち過ぎたのよ……私の存在は大きくなって、他の街の人たちに目を付けられ資源を求めて攻め込んで来てさ。はじめは降り掛かる火の粉のように追い払っていたんだけど民の心も次第に不安定になってきて今度は私が追い出されちゃったのよ」


ふふっと笑い声を漏らす。笑いながらも悲しさが隠しきれない表情をする。


「私に力が足りなかったせいね。それに私には信じられる人がいなくて一人で抱え込みすぎちゃったの」


民からの信用を失い、内から崩壊する可能性もあるのか。俺は果たして今の配下から信用されているのか……いやそれ以前に俺は彼らのことを信用しているのだろうか。


「結局、私に管理者という座は向いていなかったのかも知れないわね。だからこそあの時、あなたに負けてスッキリしたかしら」


「貴様のその想いは1000年前に俺が受け継いだ。安心してここから世界の行く末を見てるがよい」


「そうさせてもらうよ」


「貴様は——」


俺が言おうとすると続く言葉を遮られた。


「クレヴァスと呼んでくれても?」


「わかった、わかった。それでクレヴァス、君の竜眼から見て俺より強い者はいるか」


「ジュンと同じくらい強い人がいたら魔力を悟られないように隠れて過ごしてるんじゃないかな。そうだとしたら私の竜眼でもはっきりとはわからないわ。けれど天使には気を付けてね。私やジュンとは相性が悪いからね」


「天使が生まれつき有する、光元素エレメントに由来する恩寵グロリアはまさに天敵だな」


《Ⅸの支配》でいうと<第Ⅳ支配階級>ザフキエルが天使であったが彼女とは闘いたくないものだな。おそらく俺が本気を出しても勝つ見込みは4割程度だろう。


クレヴァスは視線を宙に這わせて考える。


「他には、ずっとずっと西の国に神に仕える神殿騎士テンプルナイトがいたかな」


「聞いたことがないな。神に使えるというからには天使なのか?」


「いや、人族だよ。私がまだ《Ⅸの支配》にいた時、とある神と闘ったことがあるんだけどね、一緒にいた神殿騎士テンプルナイトが強くて強くて大変だったよ」


俺の知る限り人族は勇者である<第Ⅵ支配階級>を除いて、弱くて脆い。まあこのことは然程気にならない。問題はがいることだ。


一般に神は下界に関わりを持たず、人間だけでなく、悪魔、そして本来、神に仕えるはずの天使でさえも架空の存在だと考える者は少なくはない。


「その神殿騎士テンプルナイトの団長に槍使いのマルキュレってのがいてね、彼女は特に強かったんだよ」


「槍使いか、魔術師としては分が悪いな。人族ならばすでに死んではいるがその名、記憶に留めておこう」


「彼女の家系は続いているかもしれないからね、気をつけてね」


「そうだな」


そう言うと、俺は用意されたティーカップの柄に手を掛け口元に近づけ紅茶を味わう。


再びカップをソーサーの上に置き、遠くを見て少しボーっとする。何処まで行っても青い空と緑の草原が続くだけのこの空間は不気味だがどこか懐かしさを覚える。戦争が起こる前にはこんな光景を見ていた気がする。


「何を考えてたの?」


「いや少し昔の事を考えてただけさ。もう行く、また今度そう遠くない日に会おう」


「うん、わかったよ。次はもうちょっとゆっくりしていってね」


「あぁ、そうさせてもらおう」


席を立ち、空間の影響を受けないよう少し離れて、結合転移ガルアテーションを使った。転移する瞬間までクレヴァスは軽く手を振り笑顔で俺を送り出そうとした。そして魔力のひとかけらも残さず氷の城ニヴルヘイムを去った。


「あーあ行っちゃたか。でもジュンには私の分まで頑張ってもらわないとね。他に私のお城に来てくれる人がいればいいのにな。ジュンみたいに私も配下を持とうかしら」





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俺は結合転移ガルアテーションで大森林の中心の拓けた更地に来た。ここはシドの森と呼ばれ、人の往来が殆ど無く、またとても広く、踏み入ろうとさえ考えるものが少ない森だ。


空間転移テレポーテーションを使い周りの景色が変わっていく。俺の領地は広い場所を必要とせず、空間の層を少しずつ変化させることによって15層のダンジョンのようになっている。


元居る空間とは近いが全く別の場所にある空間なので異次元空間ともいえる。空間魔法テレポーテーションを使えるものは簡単に踏み込むことができるが、結合転移ガルアテーションとは違い神話の魔法だ。使用者が少ない以前に術式を知るものがほとんどいない。


景色が完全に変わってそこは、≪15層—魔王城—開闊かいかつの間≫の前室。簡素な飾りつけのその部屋には黒く彩られた椅子とテーブルがあった。


そして椅子の隣には黒いドレスを着こなし、窓から入る風に金色の長い髪をなびかせている少女が立っていた。少女は俺を視ると、ドレスの両端を摘み軽く腰を落としお辞儀をする。俺は構わず椅子に腰かけた。


「おかえりなさいませ、ジュン様」


「ただいま、シェリー。何か変わったことはあったか?」


「全く問題御座いません。ジュン様の方はいかがでしたか?」


「なにいつも通りさ。アルティアのやつは弄り甲斐があり、ウィリディスとはお互いに魔力の探り合い。ザフキエルは何を考えてるのかさっぱりで、ラフィリアは眠そうだったが嫌いじゃない。そう何も変わってはないさ」


あいつらを見ていると時間の流れを忘れてしまうな。


「それで皆を開闊の間に集めたか?」


「はい、既に」


「そうか」


普段、表情をあまり変えることのないシェリーが少し微笑んで言う。


「ようやくですね。私たち配下はあなた様がこの世界を統べてくれることを長年待ち望んでいました」


「そうか」


「はい。私を創りし魔王様、その御力を全てのものに知らしめて下さいませ」


「その返答は皆の前で言おう。そろそろ開闊の間へ行く、皆が待っているからな」


俺はゆっくりと腰を浮かし、椅子の直線上にある大きな扉を開き先に進む。シェリーが後ろからついてきてるのを確認し廊下を通ると、そこにはまた大きな扉が構えていた。


「行くか」


扉を開けると、大きな歓声がその広間全体に響き渡っていた。開闊の間は、漆黒の大きな柱数本が広く大きな室内を作り、皆が前を見ているその先には、まさに魔王の座といわんばかりの禍々しい魔力に包まれた玉座があり、開けた天井から朱い月がそれを照らしているように見えた。


俺は普段は限りなく抑えている魔力を解放し、全身を黒いオーラで纏わせながらゆっくりと玉座へ進み腰を落とす。


さっきまで歓声が響き渡っていた開闊の間は、今や俺の魔力の圧力に畏怖し、静寂に包まれた。


しばらく沈黙した後、俺は口を開く。




「よく聞け、我が寵愛を受けし配下。俺は、




このとき、その場にいるすべての配下が、まるで息をすることすら忘れたように俺から目を離さず、いや離せず、畏敬の念に身体を震わせながら確かに悦楽に浸っていた。



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