第四章
「よろしかったら、試着していただいて結構ですよ」
目に留まった、黒色と茶色の淡いチェック柄のネルシャツを手にとっていると、後ろから女性のスタッフに声をかけられた。仕事帰りに寄った、T駅ビル五階のメンズファッションフロア。ファストファッション以外の服屋に入ったこと自体久しぶりで、試着室に入るのも気が引けてしまう。会釈を返して、ひとまず棚に戻した。店内にはクリスマスに関連したポップソングが流れ『僕はずっとずっと一人で生きるのかと思ってたよ』などと、歌っている。
コード決済の残高を確認しようと、スマートフォンを取り出した。画面を点けると、そんな気があったわけではないのに、例のメッセージアプリを開いてしまう。通知はない。それでも、あるトークルームを開いて、指が勝手にやりとりを遡っていく。最初のメッセージ。
『今日は遅くまでありがとうございました! とても楽しかったです〜 またご飯行きましょう、帰り道お気をつけて!』
『こちらこそありがとうございました! いろいろお話できて楽しかったです、ぜひまたお願いします! 広場リベンジしたいですね笑、カズキさんもお気をつけて!』
それから、さらに数十分後。やりとりは続いた。
『無事帰りつきました〜 リベンジしなきゃですね笑、食べ物もいろいろありそうで気になりました! 今度は映画とかも行きたいですね、ヒロくんのおすすめ映画気になる〜』
『僕も無事に着きました! 食べ物もいろいろあって、去年はケバブのお店とかもあったと思います笑、映画も行きたいですね! 気になってる新作いくつかあります〜』
ここまでが、あの日交わしたメッセージのやりとりである。次にカズキさんから返信が届いたのは、翌日の朝だった。
『おはようございます、無事に帰れたようでよかったです! ケバブとかもあるんですね、ますます気になります笑、お!どんな作品ですか?』
『今日は朝から寒くて、コート着なかったの少し後悔してます……笑』
この二通が、ほとんど間を空けずに届いていた。一時間ほど空けて、返信を書いた。
『おはようございます! 広場はお店結構いろいろあったと思います、飲み物も去年はホットチョコレートとかも美味しかったですよ〜 邦画のサスペンスでベストセラー原作の作品です! 来月頭公開らしくて カズキさんは気になってる映画ありますか?』
『今日は確かに上着が欲しい天気ですね……体調崩されませんよう!』
それから、およそ九時間ほどが経ったその日の夜、返信が届いた。
『お疲れ様です〜 ご飯もいろいろ食べられるんですね、ホットチョコレートいいですね!いろいろ目移りしちゃいそうです笑、最近ドラマばかりで映画あまりチェックできてなくて……へー面白そうですね! やっぱりサスペンス系がお好きなんですね笑』
『電車降りた後が思いやられます笑、ヒロくんも大丈夫でしたか?』
このメッセージを受け取った時には一足先に帰り着いていて、ほとんど読んだと同時に返事を送ることができた。
『お疲れ様です! リベンジ、近いうちに行きたいですよね〜 サスペンス好きです笑、コメディ系でも来年公開のが一本気になってます! ドラマも最近面白いですよね、どういう系を観られるんですか?』
『僕はなんとか大丈夫でした笑、夜も暖かくして寝たほうがよさそうですね!』
そして次の日も、朝からメッセージが届いた。
『おはようございます! 寒くなりすぎないうちに行っておきたいかも笑 コメディもいいですね!一時期ハマってコメディ映画ばっかり観まくってました笑、ドラマは最近は感動系が多いですね!サブスクで観てます〜』
『今日も寒そうですね〜 コート忘れないようにしないと笑、ヒロくんも寒くないようにね!』
この時にはもう、カズキさんとのやりとりが朝と夜の習慣のように感じられていた。やはり少し間を置いてから、返事を書いた。
『おはようございます〜 冬本番になるとワインどころじゃないかもですね笑 そうなんですね!コメディはいくらでも観れますよね〜笑 感動系いいですね!最近はサブスクでいろいろ一気観できて便利ですよね』
『僕も暖かくします! インフルエンザも流行ってるし気をつけないとですね〜』
しかしこの日の夜、メッセージは届かなかった。返信を受け取ったのは次の日の朝だ。
『おはようございます! 返信遅くなってすみません〜 でもホットワインは寒い日ほど一際身に沁みるかもね笑 そうなんです!いくらでも観れるから止まらなくて笑 まさに休みの日に一気観することが多いですね〜懐かしいやつとかも観直したり!』
まだ一度きりのことと、大して気には留めなかった。その朝のうちに、返信を送った。
『おはようございます、大丈夫です! 確かにそうですね、そういう意味では寒くなった方が楽しめるかもですね〜笑 コメディ止まらなくなるの分かります! 休日に一気観、いいですね〜カズキさんのおすすめドラマ気になります!』
そして、この日以降メッセージのやりとりは日に一度のペースとなった。それでも、文通のような、日記のような言葉の交換はしっかりと続いていた。ひとつひとつの話題にしっかり応じることを意識するうち、ドラマや音楽の話題とか、好きな俳優やミュージシャンの話題とか、やりとりの度に文章の嵩は少しずつ増していった。面倒に思われてはいないか、と心配に駆られる反面、それでも素直にやりとりを楽しんでいたある日、カズキさんはメッセージをこの文章で締めくくっていた。
『またご飯行っていろいろ話したいね!』
その時には、こんな文末には大して気も留めず、いつものように届いたメッセージに几帳面な返事を書いた。
しかし、それから一週間、カズキさんからの返信は届かなかった。その間、送った文面を何度も見返したりしたが、たとえば気分を害してしまいそうな言い回しなどは、何度読んでも見つけられなかった。
そして一週間、さらに一日が過ぎた日の夜、耐えかねて、このメッセージを送った。
『お疲れ様です! 体調など崩されていませんでしょうか?また食事など行けたらと思いましたが、ご都合いかがでしょうか?』
そして、その下に並んでいるのが、その夜のうちに届いたカズキさんの返信である。
『お疲れ様です〜 いきなり返信止まっちゃってすみません! ちょっと仕事などでバタバタしていて……来月頭にはひと段落すると思うので、ご飯行きましょう!』
すっと、肩の荷が下りたような気持ちがしたのを覚えている。翌朝、返事を書いた。
『おはようございます! 全然大丈夫です、こちらこそ長文送ってしまってすみません……来月頭了解です! ぜひお願いします〜』
『お疲れ様です! いえいえ、ヒロくんとのやりとり楽しいから長文も嬉しいです〜 本当返せてなくて申し訳ない……来月、言ってた映画観に行こうね!』
そして再び、五日間の空白がある。やりとりの再開は、今度はカズキさんのメッセージによって切り出された。
『お疲れ様です〜 全然連絡できてなくてごめんなさい……ようやく仕事が落ち着きました!急だけど、今週金曜の夜とか予定どうですか?』
『お疲れ様です! いえいえ大丈夫です、ひと段落されたんですね!よかったです〜 金曜の夜僕は空いています!』
『おはようございます! ではご飯行きましょう〜何食べたいですか? 映画もやってたら行きたいけど、どうかな〜』
『お疲れ様です〜 前回行けなかったあのパスタ屋さんとか、どうですか? この前話したサスペンスもの、調べたら金曜の夜やってるみたいです笑』
そして、以降のメッセージは、朝または夜といった決まった時間帯ということもなく、ばらばらのタイミングで送り合っている。必要な確認だけを取るために、さながら業務連絡のごとく。
『いいですね!では、パスタにしましょう〜 映画もやってるんだ!じゃあパスタ食べて映画にしましょうか』
『了解です! 映画は二〇時半からの回で二十二時過ぎまでなんですが大丈夫でしょうか?』
『大丈夫だよ〜 じゃあエレベーター前で七時集合とかでどうでしょう?』
『七時にエレベーター前了解です! チケットは予約しておきますね〜』
『ありがとう! 楽しみです〜』
それでも、こうして言葉を交わせているということ自体に、そして時経たずにもう一度会えるという希望に、どうしようもなく胸は高鳴り、心は満たされるのだった。それが当たり前の暖かさではないことも、今はもう充分に理解していた。
棚に戻した例のネルシャツをもう一度手に取って、会計へと向かった。先程、声をかけてくれた従業員の女性が、レジに回って対応してくれた。
「ありがとうございます、良い感じでしたか?」
試着のことを言っているのだと気づくのに、少しだけ時間がかかった。
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