第二章

「それで、ヒロくんは?」

「えっ?」

「クリスマスの予定、あるの?」

 フォークに巻きつけたペスカトーレを持ち上げた時、隣に座るヨシさんの低い声に尋ねられた。口に運ぶの手を一旦止めて答える。

「いや、僕もないです」

「よーし、同士だ」真向かいのトモさんが、長い指でスプーンとフォークを器用に扱ってジェノベーゼを巻きつけながら応じた。なんで嬉しそうなの、すかさずヨシさんが、苦笑いの口調で突っ込む。それから、再びその大きな身体をひねって、がっしりした輪郭に対して小さめの丸い眼鏡をこちらに向け直した。

「あの人と会ったりしないの?ほら、ずっとやりとりしてたっていう。シンさん、だっけ」

「いや、あの人は。一回、会ったんですけど」

「あ、そうなの」

「はい。それこそ、ここでパスタ食べて」

「へえ」

 そして、その体格に似合った豪快さで、ペペロンチーノの皿の中に大きな一口を巻き作っていく。代わるように、今度はトモさんに尋ねられた。

「雰囲気とかはタイプだったんでしょ?」

「まあ。ただ、実際にこう、話してみて」

「あんまり、だったんだ」

「はい」

「あるね、そういうの」

 横長の眼鏡をかけた几帳面な顔立ちが、苦々しく表情を歪ませてみせたのが、窓を背後にした逆光の中でも分かった。T駅ビル九階からの展望は、周辺に建つ高層ビルの天辺だけが覗いているばかりで、あとは冬の澄んだ青空だけが広がっている。昼時から少し遅れたタイミングで、店内はまばらだった。それでもこの後の予定、ひとつ下のフロアに入っているシネコンで観る映画の時間まで、まだ一時間もある。

 ふと、彼に送った最後のメッセージの文面が、思い出された。

『また行きたいですね〜 ちょっと年末にかけて仕事が立て込んでいるので、落ち着いたらまたご連絡します!』

 細かい語尾等までは記憶していないが、そのような内容を書いた。その日のうちに『了解です!』というような返信が来て、それ以来、トークルームさえ開かないまま二週間が経つ。予定を尋ねるようなメッセージも届かなかった。意地の悪い話だが、表現を「年末にかけて」としたのが効果したのかもしれない、と思ったりした。

「じゃあヨシさんは?ふたりでフレンチ行ってディナーとか?」

「しないよ、そんなの」

 トモさんの問いかけに、三人の中で唯一彼氏のあるヨシさんは吹き出しながら答えた。

 最初に、アプリで「友達」を探していたヨシさんがトモさんと親しくなり、そこに「映画好き」のコミュニティでヨシさんとマッチングした自分も混ぜてもらう形で、今の関係が出来上がった。それぞれ四〇代、三〇代、二〇代と、年齢が離れていたことも、良かったのかもしれない。

「あ、分かった」トモさんが声を上げた。「クリスマス広場でしょ」

「行かない、行かない」ヨシさんは頭を振って、続けて否定する。「あれって、もうやってるの?」

「やってます、今月から」

「そうなんだ」ヨシさんは骨太な腕を挙げ、腕時計を見る。「今、もうやってる?」

「いや、今は。たぶん、夕方五時くらいからだったと思います」

 トモさんが、どちらにともなく尋ねる。「あれ、三人で行ったのって去年だっけ」

「そう、去年」ヨシさんが答えた。「今年も行こうよ」

「今年、最終日にあの人が来るんでしょ?」

「あの人って」

「あの、バイオリンの人。テーマ曲作ったっていう」

「何のテーマ曲?」

「いや、だからクリスマス広場の」トモさんはしばし動きを止め、目を細めて宙を見つめた。が、思い出せなかったらしく、首を傾げただけで再びパスタに目を戻した。「なんて人だっけ。来るらしいよ」

「あの人ですよね、顔は分かります」

「有名な人だよね」

「最終日って二十五日?」

「そうそう」頷いてからトモさんは、今度はパスタを巻く手元を止めないまま、向かいのヨシさんに顔を挙げる。「だから、彼氏さんと来ればいいのに」

「いや。そもそも、あんまり好きじゃないんだよ、向こうが。そういうの」

「そうなの」その時、巻き終えたのか、それとも驚いた拍子か、トモさんの手が止まる。「えっ、じゃあ何もしないの、クリスマス?」

「もう、たぶん。昔はやってたけどさ」

 ヨシさんは対照的に平然とした様子で、テーブルの上のペーパーを取って口髭の辺りを拭いはじめる。見ると、いつの間にか目の前の皿には輪切りの唐辛子ひとつ残っていない。

「ケーキは買うでしょ、さすがに」

「ないと思う。去年買わなかったもん、確か」

「そうなんですね」

 長らく用意していた一口をようやく食べ終えたトモさんが、口を開く。

「でも、クリスマスなのに何もないって、恋人って感じじゃなくない?」

「そんなもん、なんじゃないですか。誕生日とかなら、まだしも」

「えー、そうかなあ」腑に落ちない様子で、トモさんはヨシさんに尋ねる。「そうなの?」

「まあ、あんまりないかな。付き合ってるっていう感じは、もう」

「それってさ、もう友達みたいな感じなの?」

「ここと同じってこと?」

 ヨシさんはしばらく黙って、苦笑いとともに答えた。「それは、ないかなあ」

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