T駅広場のクリスマス

あべ泰斗

第一章

「わかってますよ。顔もよくないし、体もこんなだし」

 その男、マッチングアプリで自分を「シン」と名乗った彼は、視線を落とし、ふっくらした体型と対照的なぼそぼそとした少し高めの声で、独り言のように言った。

「そりゃ、モテなくて当然なんですけどね」

「いやいや」

 フードが付いた紺色のアウターを羽織った、そのずんぐりした身体を猫背で小さくして、分厚いクリームの層が乗った薄紅色のストロベリードリンクをくるくると混ぜる。言葉が思い付かないからと、黙っているわけにもいかなかった。

「だけど、シンさんみたいな感じのほうがやっぱり、好きな人は多いじゃないですか」

「だから、タイプにモテないんですよ」

 県の中心地であり、交通における心臓部と呼べるT駅、いまや娯楽複合施設と化したその巨大なビルの三階のカフェは、夜九時を回ってもなお殆ど満席状態であった。

 両隣のテーブルにはそれぞれ若い女性の二人組が座っていて、お互いに話し声は当たり前に聞こえているが、この状況でもシンは「こちらの」話題を持ち出すことに躊躇いを見せなかった。そういえば、先ほど夕食を共にした上階のパスタ屋でも、彼はそうだった。

「似た者同士っていうか。細めの子は、細め同士ってことが多くて」

「そうですか?」

「そう、だから痩せたいんだけど。はは、こんなん飲んどいてホザくなって感じですよね」

 彼は丸い顔に苦笑いを浮かべて自虐的に呟き、またストローをマドラーのようにして、手持ち無沙汰に回した。グラスにはまだ、ドリンクが半分ほど残っている。同い年と聞いたから、もう社会人になって三、四年は経っているはずだが、その雰囲気は大学生くらいのようにも見える。

「だから、羨ましいです」

「えっ?」

「ヒロさん。すらっとしてて、カッコいいです」

「いや、そんな」

「モテそう。顔もかっこいいし」

「モテないです、全然」

 この身も蓋もない褒め方も、パスタ屋での会話から変わり映えがない。得意な気持ちを通り越して億劫ささえ感じつつ、嫌味を自覚しながら素直な言葉をぶつけたくなる。

「もうちょっと肉つけたいなって思いますよ」

「いや、そのままがいい。絶対」

 そんなことは自分で決める、と反射的に浮かんだ言葉を飲み込むべく、目の前のコーヒーを一口含んだ。

「服もかわいいですね、それ」

「これですか?」

「うん。すごいかわいい」

 日常的かつ着古していない服、として程々に気を遣って選んだ、淡い色味のデニムシャツである。とはいえ、もう何年着ているだろう。人と会う時にも「それなりに」恥ずかしくない装いとして着られるから、重宝している冬の服だ。

「でも、たぶん適当に買ったやつですよ。ファッションとか、あんまり分からなくて」

「そうなんですか?」お構いなく、彼はこのシャツの胸元あたりをじっと見つめたままで続ける。「似合ってます、かわいい」そして吸い付くように、太めのストローを咥え込んだ。

「ファッションとか結構、お好きですか?」

「いやあ、僕もそんなに。他人のを見るのは好きだけど」

「そうなんですか」

「サイズもあれだし。こんな体型でおしゃれしたって、仕方ないじゃないですか」

「そんなことないですよ」

「ダメですって」

 どういうわけか、少し勝ち誇ったような口調になって、彼は言った。


・・・・・・・・・・


 カフェを後にして一階に降り、夜更けの列車を目指す雑踏が行き交う大改札の前まで来たところで、ふと、シンが立ち止まった。

「なんか賑わってますね」

 彼の視線は、建物の北口の方へと向いていた。見ると、ずらりと並んだガラス張りのドアの外、ちょうど「駅前広場」のある辺りに、ただ移動しているだけとは思えない、うじゃうじゃした混雑の人影が、そしてそれを浮き立たせる青色の煌々とした電飾が、確かに窺える。

「イベントとかですか?」

「あっ」彼が、思い出したように声を上げた。「あれじゃないですか、クリスマスの」

「ああ、クリスマス広場」

「今日からですよね、確か」

 毎年この時期になると、T駅の駅前広場には、さながらアミューズメント・パークのようなイルミネーションが施される。まるごと電飾で覆われた巨大なクリスマス・ツリーが広場中央で眩しく輝き、光るトンネルのように連なったアーチの電飾が建てられたり、街路樹たちに纏わせた色の変わる電球がグラデーションを映し出したりして、広場全体が華々しく輝くのである。

 その中央には「出店」のような、軽食や飲み物または土産品を扱う洒落た商店がずらりと並び、飲食のできる長いテーブルと椅子が用意され、ツリーの足元に設けられたミニステージでは日替わりのピアノ演奏などが披露される。イベントはクリスマスの二十五日まで続き、毎年この期間は毎晩のように、駅前広場はごった返しの賑わいを見せる。

「ちょっと、覗いてみます?」

「ああ、えっと」

 彼の提案に、反射的に言葉が濁った。その躊躇が、器用な言い訳を考える一瞬をくれた。

「ちょっと明日の朝、早くて。だから」

「あ、そうですよね」

「すみません」

「いえ、全然」

 シンは平気な様子で、丸々した体の向きを北口から改札の方へと戻し、小さく頭を下げた。

「じゃあ。ありがとうございました、今日は。ほんと楽しかった」

「こちらこそ。ありがとうございました」

「また近いうちに行きましょ、ご飯」

「そうですね、是非」

 そして「シン」は、左手でポケットから定期入れを取り出して、右手を小さく振った。

「じゃあ、またね」

「すみません」

 そのまま彼は改札を通り、振り返ることもなくその先のエスカレーターへと姿を消した。似通った背広姿の会社員たちが、彼の面影を押し流すように、その同じ改札をくぐって行く。

 振り返って、北口の方を向いてから、どうして「すみません」などと口走ったのか、彼は気に留めなかったようだったが、ひとり思わず考えてしまった。あの瞬間、自分は何かしらの確かな意味をもってその言葉を口にしたような、そんな気がした。

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