第30話「ヨクト」


 どこかの廃墟と化したオーケストラ会場。


 ステージの指揮者台に、男が立っていて、赤黒い指揮棒を降っている。

 ステージには、暗黒石で出来た演奏者たちが、古びてオンボロになった楽器を弾き、クラシックを奏でている。


 会場の入り口から、コツコツと音を立てて入室する一人の男。『ジョン』と仮称していた例の囚人だ。

「…相変わらず酷いね演奏だな…。『指揮者(マエストロ)』。」

 そう言うと、暗号名『指揮者』と呼ばれた男は、振っていた指揮棒を止める。

 指揮棒が砂となって消えていくと同時に、演奏者たちも砂粒となって消滅していく。オンボロの楽器がガタガタと音を立てて、壇上に落ちる。


「…そう?これでも上達してきてると思うんだけどなぁ。」

 そう言って振り返った『指揮者』は、影になって表情が見えない。

「そっちだって、その薄気味悪い変装もうやめなよ。見てるだけで鳥肌が立つ。」

 階段をおりてくるジョン。

「そうか?歴戦の戦士っぽくてイカしてるだろ?」

 そう言うと、彼の顔面の皮膚が徐々に再生していき、真っ白だった頭髪が黒色を取り戻していく。

 長髪を後ろで束ねるジョン。

「どうだった?結構荒療治になっちゃったから、心配してたんだ。」

 指揮者の問いかけに、ジョンは答える。

「大丈夫。『彼女』の言う通り上手いこと繋がってくれた。」

「ならいいけど。…これ、次の作戦ね。」

 指揮者はこめかみに手を当ててからそう言うと、ジョンの耳の中で高音の耳鳴りがなる。

「…あぁ、OK。それじゃ、みんなに伝えてくる。」

 そう言って、ジョンは会場を去ろうとする。指揮者が彼をよびとめる。


「『英雄(カリスマ)』。」

 振り返るジョン。暗号名は『英雄』と呼ぶらしい。

「…慎重に。」

 指揮者の言葉に何も返さずに、背中を向けながら英雄は手を振った。




***



 それから幾ばくの時が過ぎて、カナ達は無事卒業式を迎える。


 学院のアトリウムにて、次々と卒業証書を受け取っていく学院生達。


「…学生番号111番『ヤシロヨクト』。」

「…はいッ‼︎」

 緊張でぎこちなく、アトリウムのステージへと登壇していくヨクト。その姿があまりにも滑稽で、みんなクスクス笑っている。

「わ…笑ってんじゃねぇッ‼︎」

 こらえきれずに赤面したヨクトが大声で皆んなに向かって怒鳴りつける。その瞬間、静かだった会場に大笑いが起こる。


 ひたいに手を当てて絶望しているボノ。彼の見てられない様子を見て額に手を当てるカナ。いつもの面々は遠慮なく爆笑している。


 卒業式はこうして、事をなく終えた。


***


 学院の入り口付近にて。

「…にっしても、あんたほんとよく卒業できたわね…。」

 笑いを漏らしながらヨクトに言うアリエッタ。

「っるせぇな…これでもギリギリで済むように今まで上手くサボってたんだよ。」

「とか言って、最後らへん顔面蒼白で追試ラッシュ受けてたの、僕知ってるからね。」

「おまッ…それは言うなって‼︎」

「も〜、最後までこんな感じなんだから…。」

 卒業式が終わっても、騒々しい彼らをミーナが困った目で見てる。すると、彼女の隣ですすり泣く声が聞こえる。サリアが、泣いている。


「…サリア?」

「…終わっちゃったぁ…。」

 啜り泣きながら言う彼女を見て、急に自分たちの青春時代が終わった事を実感する一同。

「な…何よあんた…急に…。」

 そう言うアリエッタも、少し涙声。サリアを抱きしめて二人で泣き出してしまった。

「うわぁああああ〜ん‼︎」


「んだよお前ら…んな大げさな…うおッ⁈」

 ヨクトの前に、なぜかお怒りの表情のダンが来て、ヨクトの胸ぐらを掴み上げる。

「ヨクトッ‼︎お前ッ‼︎」

「な…なんだよいきなり…。」

「カナに何かあったら、絶対ゆるさねぇかんな‼︎任務中はお前に任せたぞ‼︎いいな‼︎」

「は…はぁああああ⁈」

 ダンはそう言い残すと、ヨクトの胸ぐらから手を離し、背を向けて離れていく。

 鈍いカナは、状況を理解していない様子。


 そんなゴタゴタもあったのち、四人は帰ってしまい、カナ、ヨクト、ミーナの三人になる。

「…いっちゃったね。皆んな。」

「…あぁ、しばらく会えないな。」

 しんみりとしている二人を見て、ヨクトが言う。

「なんだよお前らまで…そんなしけたツラしやがって…。」


 ヨクトの心の中、『羨ましい』という感情が走る。

 彼にとっては、学院はそこまでの思い出の場所でもなんでもない。それ程までに大切な場所なんだったら、毎日抜け出したりなんてしないのだ。

 また、彼を孤独感が襲う。自分だけが、彼女達に共感できない。


 その時だった。


「ヨクト。」


 入り口の方から、ボノの声がして、振り返るヨクト。

「…教授…なんだよ?…あ、わかった。また説教だろ?最後の最後までよくもまぁ…。」

 ケラケラ笑いながら言うヨクトに対して、ボノは厳しい顔で見つめている。

 しかし、その直後、彼の表情が緩んでヨクトに言う。


「『卒業おめでとう』。」


 ヨクトは彼の祝いの言葉を聞いて目を丸くする。

「帰ってきたら、たまには顔くらい見せろよ。…それだけだ。」


 そう言って学院の中に戻ろうとする。ヨクトが大声で呼び止める。


「…教授ッ‼︎」

 立ち止まるボノ。ヨクトの方を振り返る。

「…俺…俺もう絶対腐らねぇからさ…その…なんつうか…言葉にできねぇんだけどッ…。」




 ヨクトは思い出す。

 自分がどれだけだらしなくなっても、いつも彼を引き戻して口やかましく説教して

くれる教授は、ボノだけだった。


 いつもいつも鬱陶しくはあったが、彼の行動の裏側には、かならずヨクトに対する愛情があった。

 ヨクトにだって、それはわかっていたのだ。しかし、そうとはわかっていても、彼は自分がどこに向かっていけばいいのか、わからなかった。結果的に、周囲に甘えてしまっていた。


 しかし、当たり前だが、大抵周りの人間や大人達は、そんな彼を気にも留めない。

 皆んな自分のことだけで、精一杯。それは、地上だけでなく、『ここ』でも同じなのだ。

 どれだけ賢くても、優れていても、結局人一人の力なんてものは弱い。

 漫画やテレビなどに出てくる慰みのために消費される偶像のヒーローのように、都合よく現れて、都合よく自分の弱さを認めてくれて、都合よく世話をしてくれる人間なんて、本当はいない。


 だからこそ人は、最後は自分の足で立ち上がらなければいけないのだ。


 彼だって、単なる馬鹿じゃない。そんなこと、わかっている。

 頭ではわかっていたって、自分がどうしたらいいのか、どこにいればいいのかが、わからなかった。

 最後に人を納得させるのは理屈じゃ無い、『心』だからだ。


 寂しくて抜け出してたんじゃない。ただただ申し訳なかった。

 自分がここにいてはいけないのだと、どこか無意識で感じていた。

 八方塞がりのこの閉鎖的な空の街で、どこにも逃げられないまま、ただただ『劣等感』に耐え続けることもできないまま。


 彼は先回りするかのようにどんどん自分を否定していった。

 度重なる挫折と、抗えない劣等感に苛まれ、自信をどんどん無くしていった。


 何を努力しても、周りに勝てない。必要のない存在。

 食らいついてでも叶えようとした夢ですら、無残に打ち破られた。

 親友は惨たらしく無言で自分を刺し続けるし、大見栄きって結んだ約束も果たせそうにもない

という無念。敗北感。

 そんな否定的な感情と反比例するかのように、無駄に有り余る生命力。


 そして最後に選んだのは、自らを笑い者にしてかろうじて椅子を確保するという『妥協』。

 彼はすでに自殺したと同じようなものだった。


 全部、そう、全部が惨めに思えた。

 人間としての最小単位『ヨクト』。それが自分だと、彼は自らを責めた。


 ずっと、ずっと苦しかった。

 『何かが決定的に違う』という、こびりつくような不自然が。

 『このままじゃダメだ』という根拠も無い罪悪感が。


 ずっと、ずっといなくなってしまいたかった。

 誰も知らない、どこか遠くへ。



「…ずっと見捨てないでくれて…ありがとうございました…。」


 か細い彼の涙声が、人がいなくなり静かになった学院の外で響く。

 自分の本心すら見失いがちになるほどの遠慮がちな彼は、本音を語ろうとすると、いつものような生意気な態度と一変して、急にしおらしくなる。

 それを隠すために、ダサさ極まりない捻くれ者を気取る。似合ってもいない偽悪を気取る。彼は、彼はそんなちっぽけな、そこらでたまに見かけるような、格好のつかない強がりな少年だ。


 溢れそうになる涙を堪えて、バレないように背を向けるヨクト。

 

 彼の言葉を最後まで聞いたボノも、満足した表情で振り返り、中へと戻っていく。



 その様子を、カナとミーナは、なんだか嬉しそうに見守っていた。







 教授室へと戻るボノ。

 机に置いてある、彼が若き頃の写真を手に取る。 


 そこに一緒に映っているのは、ヨクトの父だ。


「…ったく、お前と似て手のかかるやつだったよ。…ミロク。」




 そう言って、ボノはボロボロとこぼれ落ちる心地のいい涙を、手で押さえた。懐かしき、友人たちとの日々を思い出しながら。

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