第26話「自分」

 彼らがまだ10歳の幼い頃。


 いつものように、ヨクトとグレイブが喧嘩に明け暮れている。

 いつもと違うのは、今回はグレイブの取り巻きがいない。


「いででででででッ‼︎ いでッ‼︎ いででっ‼︎」


 おそらく先ほどまで劣勢だったであろうボロボロのヨクトが、グレイブの後ろからしがみついて、彼の頭に噛み付いている。

 噛まれた場所から、徐々に血が滴ってくる。相当力を込めて噛んでるらしい。


「待て! 待てって! それ以上は……それ以上は……すっごぃ! 死んじゃうぅ‼︎ 死んじゃうぅってぇ‼︎」

 グレイブの情けない声が響く。

 それでもヨクトは噛むのをやめない。滅茶苦茶な表情で形相で噛み付いている。


「俺の『負け』だ! だから離せ‼︎」

 それを聞いて、ニヤッと笑ったかと思えば、全身の力が抜けて、白目を向きながらヨクトは地面に落ちる。


「……やっ……と……一勝……」

 冷や汗を流しながらグレイブは、仰向けになっているヨクトの顔を覗く。

 ヨクトは、すでに気絶している。グレイブは、最後の最後で『勝ち』をもぎ取ってから気を失った彼を、不思議そうに見つめていた。



 それから少し時間が経ち、ヨクトは目覚める。

「……ってて……」

 気づいたら、隣にグレイブが頭に噛み跡を残したまま座っている。


「……テメェ、何居座ってやがんだ」

「見てやってたんだろうが。むしろ感謝しやがれ」

 ヨクトは、不思議そうな表情をしながら上体を起こす。グレイブは、相変わらず目を合わせず、遠くを見ている。


 しばらく黙ってる二人。ヨクトは、なんとなく気まずそうだ。

 先に口を開けたのは、グレイブだった。

「……オメェよ。なんでいっつもそんなしぶてぇんだ。クソ弱ぇし、なんもできねぇくせに、無駄に根性だけ有り余ってやがる」

「なんでって言われても……」

「ムカつくんだよ。弱ぇくせに立ち向かってきやがって…俺達の未来なんてどうせ決まってんのに、キラキラしやがって……」

 今回の喧嘩の発端は、ヨクトが図書館から持ち出した複製本を貧民街のベンチでおっ広げてるのを見たグレイブが、彼に難癖をつけたことから始まった。

 同じく貧民街に居住し、その場にいるだけでハンディキャップを背負っているはずのヨクトを、彼は腹の底で嫉妬したのである。

 そして同時に、目を輝かせながら読書に励むヨクトを見て、彼は羨望のような物を感じていたのだ。


 彼の問いかけに、ヨクトは少し考えてから、こう答える。

「……負けたくないから……かな……」

「そりゃあ喧嘩にゃあ負けたくねぇだろうな。そんなん当たり前だ」

「うーん……チゲェンだよ……そういうんじゃなくて…なんつーんだろうなぁ……」

 言葉が出てこなくてもどかしそうにしながらしてると、的確な言葉が思いついたようでこう言う。


「……『自分』になのかな?」

「『自分』に……?」


「あぁ。ばあちゃんがいっつも言うんだ。『自分から逃げてる奴は本当に幸せにはなれない』って」

「……わけワカンねぇよ。自分から逃げるってなんだ?自分はここにいるだろうが。頭おかしいんじゃねぇのか?お前のばあちゃん」

 祖母をバカにされて、少しムスッとするヨクト。

「……はぁ?テメェ人の家族バカにしてんじゃね……」


「けど……」


 ヨクトの言葉を遮るように、グレイブはさっきまでの無表情とは変わって、雲が晴れたかのような笑顔で言う。


「……なんかいいな。それ」






















「俺も、いつか見つけれるか?『自分』って奴」


 自堕落な性格で諦めがちなグレイブは、恥ずかしそうにしながら言う。


「見つかるんじゃねぇの?」


 と、ヨクトは不適に笑って言う。


 二人はこの頃から、少しずつ手を取り合えるような仲になっていった。


 しかし、二人ともいつしかそんな『自分』から無意識で逃げてしまうようになってしまっていた。



































***



「俺……あいつのこと、ほっとけねぇんだ‼︎」


 割れた窓ガラスから飛び出して、ヨクトは一目散にグレイブの方へと駆け抜けて行く。

「お……おい待て! 早まるな! ヨクト‼︎」


 無数の棘がまた放出される。かすり傷を負いながらも、ヨクトは間一髪のところで避けながら、グレイブの元へと駆けて行く。

 何故か、彼に棘は直撃しない。まるで、神にでも取り憑かれたかのようだ。


 グレイブの元にたどり着き、彼の体内から飛び出てきた槍を両手で押さえつけながら、彼は声をかける。

「グレイブ‼︎ お前……どうしちまったってんだよッ‼︎」


 その時、上空から大きな赤黒い刃が振り下ろされていることに気づく。

 しかし、カナが飛び出してきて、赤黒い刃を真っ二つに切り裂く。

 そしてそのまま、ヨクトを抱えてその場から離れる。


「わ……悪りぃ! でしゃばった!」

「さっきの借りだ! 切り抜けるぞ!」


 極太の棘状の双剣のような神器を構えて強く握りしめるカナ。甲冑部分に掘られた脈が、赤く輝き出し、刀身からは稲妻が大きな音を立てて散っている。ヨクトはそれをみて、青ざめる。


「カナ!……俺……俺……!」

「わかってる! 殺すつもりなんか毛頭ない! あいつを元に戻す方法を……死ぬ気でさぐり当てるぞ‼︎」

 ヨクトはそれを聞いて、目を見張る。

 カナはヨクトの方へ振り返り、不敵に笑って語りかける。



「作るんだろ? 『優しい世界』‼︎」



 ヨクトはそれを聞いて、全てを思い出す。

 どれだけ気取ったって、本物の涙は、堪えることなんかできない。

 みっともなく涙を垂れ流しながら、彼は強く、誓うように返事をする。


「……おう‼︎」


 カナは、グレイブの方に飛びかかる。繰り出される様々な攻撃を、無数の斬撃で無力化し、またもや彼の装甲を高速で削いで、本体が露わになる。


 出てきた本体の元へ、ヨクトが駆けつけて、彼の体を掴み、思い切り力を込めて引っ張る。


「……お前よぉ……相変わらず頭悪りぃんだよ……一人で突っ走りやがって……」


 ヨクトが大声をあげて、気合を込める。グレイブの装甲が、粉々になって、彼の本体が引き剥がされる。



「……『幸せ』ってやつ、見つけに行くんだろ⁈ グレイブ‼︎」





***


 

「カナ……俺……地上を生き返らせたい」

 展望台の柵から地上を見下ろす幼き頃のヨクト。


「納得いかねぇんだ。なんで格差があるんだ? なんであいつらは先代のとばっちりを受けなきゃいけないんだ? あんまりじゃねぇか! 地上では日々争いが絶えないっていうけど……きっと、それだけじゃ無いだろ!!」

 物悲しげな表情で、カナに必死に訴えかける。

 

「……ヨクト、私たちがアガスティアに生まれた理由、なんだと思う?」

「……ここに生まれた理由?」

「アガスティアの大原則の一つ、『博愛主義』。全ての人類を愛し、誰一人欠けない世界を創造しようとする志を、アム様は私達に伝えようとした。世界が既に壊れきっていることを十二分に理解していたんだ。……だからこそ、このアガスティアを作り、私達を先導者として、今一度この世界に人が本来理想とすべき教えをもたらそうとした」

 カナは展望台から、目前に広がる景色を眺める。

「だがしかし、未だその教えは地上の全区域に広まる事なく、結果として各地で争いが勃発している。そんな現状を打破するには『葬人』になるしか無い。世界の問題を誰よりも間近で体感し、紛争を食い止めるのは、この仕事しかないからだ」

 カナは俯いきながら続ける。

「私はこの滅び行く世界に救済をもたらす。そうじゃなきゃ、私は……」

「だぁーッ‼︎ 長ぇ‼︎ 要するに、お前の言いたいことはこうだ‼︎」


 まどろっこしく語るカナの話を遮り、ヨクトは彼女の言い分を端的に言い表す。



「『優しい世界を創る』ってことだろ?」



 ヨクトは不適な笑みを浮かべ、呆気にとられているカナに言う。


「混ぜろよ、俺も。その『野望』最後まで付き合ってやらぁ」

「……『野望』?」


「あぁ。『夢』なら、幻みてぇですぐ消えちまいそうだろ?だから、『野望』だ。なるぜ、俺も葬人に。親父やお袋みてぇに、人を『生かす』人間になるんだ」


 それを聞いてたカナは、急に吹き出す。

「……お前じゃなんだか頼りないな」

「はぁあ⁈ 人がせっかく乗っかってやってんのに‼︎」



「まずはもっと色んな知識をつけなきゃな。あと、腕っ節も強くならなきゃ。グレイブなんかに簡単にやられてるようじゃ務まらないぞ?」

「わ、わかってらぁ‼︎」
































「でもよぉ、お前それ、本当に叶えちまったら、もう人じゃねぇな。」


「はぁ?……何を言って……」








「お前、それ多分『神様』ってやつだよ」





























 意識を失ったままのグレイブが、横たわっている。

 横には、息切れをしながら尻餅を付いているヨクトと、警戒を解かずに神器を握りしめてるカナ。


「……や……やったか?」

「……意識は……」


 カナがグレイブの元へ近づこうとした時、急に彼が白目を向けたまま顔をこちらへ向け、甲高い叫びをあげた。

 カナとヨクトは反射で耳を塞ぐ。


 瞬く間にまた例の鉱物が彼の体を覆っていき、膨張して行く。そのスピードは、さっきの比じゃない。


「は……はやッ……‼︎」


 まだ武器にすらなってないが、腕にできた巨大な塊をこちらに振り下ろしてくるグレイブ。

 カナはとっさにヨクトを庇おうとする。

「カナッ‼︎逃げ……」


 二人は、攻撃に逃げられないと思い目を瞑る。

 しかし、いつまでたっても自分たちの体は砕けない。なぜだ?と思い恐る恐る二人は目を開ける。


 そこには、グレイブを背にした状態で、両手を広げて二人をかばう大柄な鎧の男がいた。


 カナは、男の鎧が『神器』であることを瞬時に理解する。鎧の男、『エヴァン』は二人に声をかける。


「……よく持ちこたえたね」


 すると、入り口の方角が一瞬輝き、極太の光線が轟音を鳴らしながらエヴァンの背後を通過する。光線はグレイブの巨大化した装甲を一瞬で貫き、粉々にする。


 グレイブの体からは、もう鉱物が生成されない。彼は意識を失ったまま倒れている。


 入り口の方から、巨大なレールガンのような神器を担いだ青年『アルジャーノ』が、コツコツと足音を立ててこちらへやってくる。


「すでに虫の息だったみてぇだな。拘束するぜ」

「だ……誰……」


 そんな疑問を解消する前に、彼の体にも限界がくる。

 助けが入り安心したヨクトの意識は、そのまま徐々に薄れていき、ついに事切れた



***



 幼き日の記憶が蘇る。

 それは、意識のある幼少期の頃より、もっと前、彼がおそらく赤ん坊くらいの頃のことだろう。


 今となってはもう忘れてしまった『二人』の影が、彼の記憶の映像に映っている。


「ねぇ、あなた。なんで『善人』って名前にしたの?』」

「あぁ? 決まってんだろ。とにかく、『思いっきりイイヤツ』になれよって意味だ」

「なにそれ……相変わらず大雑把ね……」


 記憶の底に眠る母の腕の中の感覚は、とても優しくて暖かい。

 忘れていた温もりを、夢の中ではっきりと思い出すヨクト。


『あぁ、大丈夫。俺はまだ空っぽなんかじゃない』


 彼は夢の中でそう思ったが、目覚めた頃にはもう忘れてしまっていた。





***





 病室で目覚めるヨクト。滅多に患者なんか入院しない病室だが、清潔さが保たれている。

 さっきまでの夢のことは、一切忘れてしまっている。

「……あれ……ここ……」


 妙な重さを脇あたりに感じで、ふとベットの横に目をやる。

 そこにはつきっきりで看病してたであろうカナがベッドに突っ伏して、スヤスヤと眠っている。

 それを見て、二人とも助かったことを確信し、安心するヨクト。


 病室のドアが音を立てる。

 ヨクトが扉の方に目をやると、エヴァンが病室に入ってくる。


 −−−−なんでだろう、この人、見たことがある。

 ヨクトはそう思う。しかし、どこであったのかは思い出せない。


「……目覚めたようだね」

 エヴァンはポケットから認識票を取り出し、ヨクトに見せる。


 認識票にはこう書かれている。

『天空都市アガスティア直属 地上統制部隊 葬人 第7番隊 隊長 エヴァン・クロスフォード』


「私はこういう者だ。以後、お見知り置きを」

「……葬人……隊長⁈ はぁッ⁈」

 ヨクトは恐れ入り、顔色は青ざめる。そしてそれよりも、大事なことに気づく。

「……第7番隊って……まさか、あんた……」

 ヨクトは思い出す。

 昔、幼い頃、両親がいなくなった時、ヨクトの家に来た純白の隊服を着た痩せた男。

 堪えきれなくなった涙を流しながら、チヨに向かって『申し訳ございません。』となんども繰り返していた男だ。千代は、『仕方ない』といった様子で、ただ悲しげな目でその男を見ていた。

 その光景が、幼いヨクトの記憶に強く残っていたのだ。


 随分、大柄な体格になったもんだ。ヨクトは声に出さずに、心の中で思った。理由はわざわざ聞かなくたって想像がつく。相当鍛えたのだろう。


「……本当に大きくなったね。ヨクト」


 名前を呼ばれて、なぜか涙が出そうになった。なんでか、彼の声は優しく心に透き通ってくる。人柄が滲み出ているのだろうか。


「この子(カナ)から聞いたよ。どうやら君も葬人に志望してるみたいだね。」


 ヨクトはとっさに言い返す。

「違う!俺は……向いてねぇんだ……俺には……」

それ以上は、ためらってなかなか言わないヨクト。悔しそうに歯を食いしばっている。


 エヴァンはそれをみて、優しく微笑んで彼に言う。

「……神器が適合しない、だろ?」

 ヨクトは、心底驚いた顔をする。このことは、誰にも打ち明けたことがないからだ。無論カナになんて、言えるわけがない。大見栄張って彼女を支えると宣言した手前、言い出せなかったからだ。


 だけど、時間は刻々と近づいてくる。彼はそんな焦燥感と、無力感に今まで苛まれ続けて来た。


 訓練所での彼の『職場体験』の記憶が蘇る。訓練所では、隊員としての適性検査の一貫で、本人に適合する神器のデータを解析し、インターン生に開示するのである。

 しかし、彼からは神器のデータが解析されなかった。『検査装置のバグか?』と、開発者も散々頭を悩ませたが、答えはわからなかった。


 今まで、どれだけバカにされようとも、どれだけ努力が裏目に出ようとも、彼はくじけなかった。 

 夢を叶え、なりたい自分を実現し、幸せを掴みに行くために、自分に負けないために、雑音なんて彼にはなんともなかった。

 暴力にも、馬事雑言にも彼は耐えて来た。


 しかし、最後の最後で神は自分を崖から突き落とした。


「……なんで、それを……」

 その後、エヴァンから発せられた言葉に、彼は驚愕する。

「おばあさんから君のことを聞いてたんだ……それに、君のお父さんもそうだったからな」


 エヴァンはチヨから受けた脳内通信の内容を思い出す。自信のつかない彼を勇気付けるよう、彼は頼まれていたのだ。


「親父が?……嘘だ……そんな奴が隊長なんてできるわけ……」

「できたよ。あの人は、神器が使えないのを、自身の肉体と技術のみでカバーした。何もかもがあの人は異端だった」

 ヨクトはゆっくりエヴァンの方を向き、目を合わせる。彼は親のような暖かい眼差しでヨクトを見ている。


「幸い私の隊が今、喉から手が出るほど人員が欲しくてね……」

 エヴァンは立ち上がり、ヨクトの方へ近づいて行く。紙切れを渡す。

「……私の周波数だ。何かあったらいつでも相談に乗るよ」

 エヴァンは彼にそう言い残して、部屋を出て行く。


 ヨクトは、もらった紙を両手で握りながら、じっとそれを見つめている。



「……カナ……起きてんだろ?」

 心なしか、ヨクトの声は震えている、

 ヨクトの方とは反対の方に顔を向けて寝ていたカナ。その目は、いつのまにか開いている。

「……なんだ、気づいてたのか。で、結局どうすんだよお前は」

 カナが起き上がり、ヨクトの方に目をやる。

 カナは目を丸くする。ヨクトが握る紙に、水滴がポタポタと落ちているからだ。 

 カナはそれを見て、我が子を見守るような目で微笑む。彼女は、何も言わない。


「……俺さ……もっかい頑張ってみてもいいかな……また……バカみてぇに……」

 ヨクトは両手をカタカタと震わせながら、鼻づまり気味の声でカナに言う。

 カナは優しい声で彼に答える。

「……お前の『魂』がそう言うんなら、きっと合ってるよ」



 

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