第20話「激痛」

 ヤシロ家のリビングにて。

「……ヨクト……ヨクト!」

 テーブルの上で昔の思い出から抜け出せないでいるヨクトに、彼の祖母が声をかける。

「……あ、ぁあ! なんだ?」

 ヨクトの家系は『ヤシロ』と言う一族だ。かつての東洋にあった島国の民族の家系で、その血を色濃く受け継いでいる。

 彼の祖母は『ヤシロチヨ』訳あって両親のいないヨクトの親代わりの存在だ。

 彼女はもう高齢のためか体が思うように動かないので、ヨクトが彼女を介護しながら生活している。アガスティアの医療技術は、致命傷すら完璧に治療できるほど優れているが、老化は食い止められないのだ。


「あんた、人の話聞いてたかい?」


 荒っぽくヨクトを呼びつけたチヨは、ベットに上半身を起こした状態でいる。

 老化により弱っているはずの彼女だが、そんなことを感じさせないような厳しい目つきでヨクトを睨みつけている。


 ヨクトは恐る恐る、鋭い眼差しを向けてくる祖母の問いかけに答える。

「え? あ、あぁ。ごめん……で、なんだって?」


 実はヨクトはちゃんと会話の内容をわかっている。もちろん、彼のこれからのことだ。


「教授から連絡があったよ。あんたそんな様子で、学院出たら一体どうするんだい」

 ヨクトは弱った表情を見せる。今日は教授から、幼馴染から、そして最終的に祖母からこの手の話をされているからだ。


「どうするも何も……俺でもできる仕事をやるよ。そんなおっかない目しなくたって……」

「あんたは本当にそれでいいのかい?」 

 ヨクトは痛いところを突かれた表情を浮かべる。

「……ばあちゃんだって、俺がいなかったらどうやって暮らしてくんだよ。こっから通える仕事の方がいいに決まってる」

「死にかけのババア盾にしてんじゃないよ。いつからそんなセコい男になったんだ」

「……ッ‼︎ ……そんなつもりじゃ‼︎」

 言葉に詰まったヨクトは、乱暴に席を立つ。

 あからさまに逃げようとしている彼の背中に向けて、祖母はこう言い残す。


「『自分』からは逃げられないんだよ」


 ヨクトはそれを聞いて、一瞬立ち止まる。


「自分を簡単に投げ捨てちまったら、あたしらは生きてない。……違うかい?ヨクト」




***


 ヨクトは自室に戻り、ドアを閉める。はーっと深いため息をつき、ベッドに飛び込む。

 彼の部屋は、ひどく殺風景だ。

 狭い一部屋に、ベッド、しばらく使っていない机、そしてしばらく内容が更新されていない小さい本棚。

 未練がましく、昔読んでいた文献を読み直した形跡がテーブル上にある。天井を見上げている彼の目は、やはり生気を帯びていない。


「……なんでこんな『いてぇ』の」

 

 その時、ヨクトの脳内でホワイトノイズがなり始め、途切れ途切れに誰かの声が聞こえてくる。やがてその声ははっきり聞こえるようになり、脳内通信の差出人は彼がよく知る人物だと判明する。


「あぁ?誰だこんな夜中に?……」

 聞き覚えのある男の声が頭の中に響く。ヨクトは目の色を変え、こめかみに手を当てて応答する。

「……久しぶりじゃねーかよ。なんだよ急に。え?明日?……わかった、朝に向かえばいいのな」

何やら彼は友人らしき人物と約束をつけて、その日眠りに入った。



***


 机の上に突っ伏しているカナ

 彼女はヨクトと同じ東部の貧民街に住んでいる。と言っても彼女は決して貧困層ではない。彼女がここに住んでいる理由は、少し複雑な事情があるが、ここでは伏せておく。


 カナの部屋のドアを、ノックする若い女性がいる。

 カナの姉のような、母のような存在である女性『ミッシェル』だ。茶髪のロングヘアで、20代後半くらいの大人びた風貌の女性だが、妙に軽い口調や態度が彼女の特徴である。


「カナ。カーナっ!……入っちゃうわよ?」

 おびただしい数の書物が重なった部屋に入ると、開いた本を枕にして、カナが机に伏せている。


「寝てるの? この時間に? 珍しいわね……ん?」


よく見ると、カナが枕にしている本が少しと濡れていることに気づく。

「……え?なに?どして?」

「……入っていいって、言ってない……」

 嘘寝に気づかれたカナが、観念して声を出す。ミッシェルは、優しそうに微笑んで彼女の頭を撫でる。

「『入るな』とも言われてないわよ。さ、全部話してみなさい」



−−−−これまでの経緯をカナはミッシェルに伝える。



「『約束』すっぽかす男なんて、最低だ」

 鼻をすするカナ。

「カナを振るなんて、ヨクトくん、よっぽど見る目ないのねぇ」

「勝手に話を飛躍させるな!」

 見当違いなミッシェルの言い草に、カナは激昂する。


「……でも、どうしてそんな急にそんな風になっちゃったのかしらね、彼」


 カナはしばし原因を考える。

「むしろ勤勉だったよ。毎日『勉強おしえろ』ってせがんできたくらいだ」

「んー、じゃあ、彼がそうなったのっていつ頃のこと?」

「……そうだな、確かインターンのときあたりだったような……私もヨクトも葬人の本部に希望を出して、それから……」

「それ。そこにヒントがあるんじゃない?」

「あの時は……インターン生の適性検査とか、VR訓練の体験とか……」

 二人は少しの間沈黙して考えるが、確信に至るような答えは出ない。


 眠そうにあくびをして、ミッシェルは口を開く。

「ま、いいわ。明日にでも無理やりとっ捕まえて聞いて見たら良いんじゃない? あんたなら造作無いでしょ?」

「急に雑だな……いいぞ、もう寝て」

「はいはーい。ま、幼馴染同士のもどかしい恋バナ聞かせていただいて楽しかったわ」

 イタヅラっぽく笑って部屋を出て行くミッシェルに、カナは怒鳴りつける。

「だからそういう話じゃないって‼︎」


 扉が閉まる。そして、少し時間を置いた後、またその扉が開く。

「ごめんごめん、そういえば明日なんだけど……あら?」


 少し目を話した隙に、カナは今度は本当に机に倒れ込んで寝てしまっている。

「あらあら……。普段ロクに寝ないくせに、変なところでスイッチ切れるんだから……」

 疲労に負けて眠りに入ったカナに、毛布をかけるミッシェル。

 彼女の机に積まれたおびただしい量の本に目をやり、『フフッ』と笑って感心する。


「相変わらず頑張り屋さんね」





***




 先日、世界史の講義を開いていた講義室の扉の前で、カナが扉に手をかけたままでいる。

その顔には一筋の汗が垂れており、目からは何やらためらいが感じられる。

 目を閉じて、深呼吸をし、扉に手をかけている手に力を入れた時。


「カナちゃん、おっはよ!」

「ふぇッ?!」

 後ろから急にミーナが抱きついてくる。どうやら驚かせたかったらしい。


「なんだミーナか……」

「えへへ……誰だと思ったの?」

 イタヅラっぽく聞き返すミーナをみて、カナは「うっ」と言葉を詰まらす。ミーナは、カナの心を見透かすかのような透き通った目をカナに向ける。


 珍しく悩ましい表情をしているカナを見て、ミーナは優しく語りかける。


「大丈夫だよ。後で言いすぎたことだけ謝れば。だいたい、君達いつものことじゃん?」

 

 カナは今までの日々を思い出す。今までヨクトに手を焼いてきた過程を思い出し、怒りからなのか、諦めからなのか、妙に冷静になる。

「……たしかにそうだ」


 勢いよくスライド式の扉をガラッと開ける。講義室内から、驚いたアリエッタとサリアがカナに視線を向ける。

「びっくりしたぁーッ! どうしたのよ朝から?」

「あ……すまん!つい……」


 カナの後ろからミーナがひょこっと顔を出して、講義室中を見渡す。

「……彼、いないね」


 いつもなら出席しているはずのヨクトが、今日は最初からいなかった。

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