第18話「天空都市アガスティア」
真白い床、壁、天井、汚れ一つと見当たらない建造物の中、白金の長髪を後ろで縛った少女が歩いている。
少女は階段を一段ずつ上がり、上がりきった先の大きな扉を開ける。その扉は外へ、広大な景色を眺められる屋上へとつながっている。
「……いた」
少女は、屋上のベンチでのんきにうたた寝をしている、野暮ったい天然パーマの黒髪の少年を見つけ、彼をひっぱたいて起こす。
「……ってて……なんだよ、またお前かカナ!」
眠りを妨げられて、少年は涙目を浮かべる。
「お前が懲りずに抜け出すからだろ」
カナと呼ばれた少女は、呆れた目をして彼に言い放つ。
「お前だって抜け出してきてんじゃねーか! 学院きっての天才様がいいのかよ!」
「教授から頼まれて来てやったんだ。お前を見つけて連れてこいってな!」
カナが強引にヨクトの腕を掴む。その力は並みの女性のものではない。
「いっだだだ! 女のくせにどっから出てくんだその馬鹿力!」
「うるさい男尊女卑!!」
「毎度の事どつき回してまで追ってくる奴を女とは言わねぇんだよ!!」
「大体いつもなんで見つけてくれと言わんばかりに同じ場所にいるんだ!!」
「うっ……!!」
ヨクトは、彼女に制服の襟を掴まれながら屋上の入り口へと引き摺られて行く。
引き摺られながら彼は、屋上から見える世界を見上げる。
「あー……くっそ」
屋上から見える景色は、広大ではあるが決して綺麗な物ではない。真っ黒の粒子が天然の太陽光を遮断し、真昼間なのにまるで夜のようだ。
擬似太陽の眩い純白の光が、かろうじて人類の行末を照らす灯火となってはいる。しかし、それだけでは心許なく、やはり不安を誘う暗闇が辺りを支配している。
「汚ねぇ空だな」
彼はそんな景色に、唾を吐き捨てた。
−−−エリオット・スミスの護衛任務から、約一年前のこと。
ここは天空都市アガスティアの東部に設立された学院のアトリウムだ。
6歳から12歳までが通学する小等部と、15歳までが通学する高等部に分かれている。
学院生全員が同じ授業を受け、各学問の基礎を叩き込まれる小等部とは違い、カナ達が通う高等部は単位制であり、学院生はそれぞれ特性に適合した個別のカリキュラムに沿って勉学に励む。
そんな束の間、学院生達はテーブルで談笑し、次の講義までの空き時間を潰している。
穢れ一つとして無い純白の制服を身に纏った学院生達を横目に、先程小競り合いを繰り広げていた二人はアトリウム脇の通路を通っていく。
ヨクトはカナに手を引かれて歩く。歯痒そうな表情をしながら、彼は講義室へと連行される途中だった。
「……見ろよ。あれ……」
時間を持て余した学院生たちが、いつも通りの光景を見て、いつものように茶々を入れ出す。
「ヨクトぉ! お前ほんとこりねーな! どうせ連れ戻されるんなら大人しく出席してりゃいいじゃねぇかよ!」
「もしかしてカナに構って欲しいだけとかぁ?? もう少しマシな動機作っておけよ!!」
「なわけあるか! てめーらあとで覚えとけよ!」
「わー、怖ぇ怖ぇ!」
男子生徒達は大笑いしている。ヨクトは恥と悔しさが混じった表情だ。
その時、二人の女子生徒が走って来て、カナに飛びつく。
「カナーーーーっ!!」
そのうちの1人、カナといつも親しくしている友人の一人であるアリエッタが、両手を合わせて懇願する。
「お願い! この後空いてたら、また教えてくれない??」
「提出明日じゃん?! 絶対やばいじゃん?! このままじゃ教授にどやされる!! 調和振動子のシュレーディンガー方程式を求めろとか訳わかんない!!」
続いて、同じくカナの友人であるサリアが購買のパンフレットをカナの目の前に広げて言う。
「私からもお願い! お礼にこれ、おごるから!」
それを聞いたカナは呆気にとられた直後、優しく微笑んで答える。
「いいよ礼なんて、後でいつもの講義室集合な」
彼女はさらっと約束を交わし、ヨクトを連れて淡々と講義室に向かって行った。
「か…神ぃいいいいいいいっ!! 何あの寛大さ!!あの余裕!!」
「文武両道、成績は万年不動の首位(トップ)!! おまけに超がつくほどの美人で……」
「色白!!」
「むしろイケメン……そこらの男よりイケメンよ!!」
「おいコラ。そこらってなんだよ」
女学生二人は抱き合いながら、カナからの救済を受けられる事に安堵して涙する。
カナを一頻り褒めちぎった後、二人は連れていかれるヨクトの背中を一瞥する。
「……それに比べてヨクトは何?!」
「取り柄なし!! すぐキレるし、全て凡以下!!」
「なんで平気なツラして一緒に歩けるの?!」
「……うっ……」
「そのくせ欠席率は万年首位で教授達の大敵って…」
「『不良』なんて過去の文献でしか見たことないわよ!!」
「オーパーツじゃない!!」
本人達は小声のつもりだろうが、次々と聞こえてくる自身に向けられた罵詈雑言に、心を痛めつけられるヨクト。本人にとって、それもまた普段と変わらない日常の一部だが、いつまで経っても慣れない。
「おーい……全部聞こえてんぞって」
ヨクトは額に青すじを立てながら苦言を吐いた。
***
二人が大講義室に戻る。『世界史』の講義の真っ最中だ。
「ボノ教授、戻りました」
教授が二人を見て、優しく微笑む。温厚な人柄ゆえに、生徒から人気の教授だ。
「ご苦労だったなカナ。恩にきる」
「いえ、なんもです」
ヨクトは不機嫌そうな表情で目をそらし続けている。
「ヨクト。最近いつにも増して欠席が多いな。このままだと『地上堕ち』になるかもしれんぞ?」
ヨクトはそれを聞いた直後、舌を出して教授を小馬鹿にするような態度をとってみせる。
「そんな子供騙しの脅し文句、さすがにもう引っかかんねぇよ。俺ら、もう卒業の代だぜ?」
「お前は卒業すら危ういんだがなぁ」
「んなっ!」
講義室の生徒達が一斉に笑い始める。
「まぁいい、二人とも席につきなさい」
カナもボノも呆れた表情をしながら講義の準備を整える。ヨクトは心底めんどくさそうな様子で最後尾の席にだらしなく座る。
「講義の続きだ。アガスティア創立の歴史を改めて振り返っている途中だったな?」
教授が咳払いをして。講義が再開する。
ボードにアガスティアを上空から捉えた映像を映し出される。講義の内容は以下の通りだ。
−−−−約三百年程前、突如出現した『死の灰』に、人類は生存可能領域をほぼ奪われた。残された大地の約8割は再生不可能まで至り、世界は危機的な資源不足と食料困難に追い詰められた。さらに、それまでかろうじて維持されていた各主要国の政府までもが機能を失い国家は半壊、加えて民族間の紛争、共食い、集団自決、弱者の虐殺が多発。世界は歴史上最低の混乱状態へと迷い込んだ−−−−
そこまで説明がされると、死人のように青白い肌をした男性がボードに映し出される。
「そんな最中、荒廃していく世界で随一の資源と技術を保有していたかつての大国の指導者が、ある人物と接触し、それを樹に世界は大きく変化していった。その人物とは……」
ボノがカナを指名する。
「カナ。答えなさい」
カナが答える。
「我らがアガスティアの創立者、『アム』様です」
ヨクトがボードに映し出されたアムの画像をみて、ボソッと「薄気味悪っ」とこぼし、カナがそれを聞き逃さず睨みつける。
「よろしい」
教授はカナを着席させ、講義を続ける。
−−−−アムは当時の人類とはかけ離れた知能を持ち、衰退の一途をたどっていた大国を瞬く間に発展させた。…しかし、地上にはびこる様々な問題は未解決のまま。大国は人々から妬まれ、彼らの攻撃から耐え忍ぶ毎日が続く。そんな危機的な状況を見かねたアム様は、世界の中心部に、超大型の塔『巨大樹(ユグドラシル)』を誕生させ、その上部に都市を築きあげ『楽園』とした−−−−
「……それが『天空都市アガスティア』だ」
ボノは締めくくると、「教授。」と声が聞こえ、奥で手を挙げている生徒がいることに気づく。
「ミーナ。質問か?」
声の主は、ミーナだ。
「はい、巨大樹は一体どのようにして作られたのでしょうか? こんな大きな建造物……前々から不思議に思ってのですが……」
彼女の質問を聞いて、ボノは少々困惑する。
「……不可解なことだが、それについては資料も言い伝えもあまり残っていないんだ。白光子の結合反応によるものには違いないと言われているね。にしてもアレには高度な器具やデバイスが必要なはずだが、当時にそれほどの技術はないんだ」
「え?それではどうして……」
「んだよそれ、いわゆる都市伝説って奴じゃねぇかそれ」
ヨクトは教授にヤジを飛ばす。彼の不真面目な態度に、カナが目を光らせる。
「……受講態度」
「なんだよ。いつもの事じゃねぇか。」
ヨクトを睨み付けるカナ。ヨクトはしてやったり顔で満足いった様子だ。
ボノが二人をなだめるかのように言う。
「よせ二人とも。……代わりになるかわからんが、色々な説やデマなら飛び交っているぞ?」
ボノは一呼吸おいて、不適な笑みを浮かべながら言う。
「アム様は『超能力』を使えた……だとか」
***
本日最後の講義を終え、生徒達が各々の予定に動き出す頃、ヨクトは学院4階にあるボノの教授室で、回転式の椅子にだらしなく座っている。
ヨクトが教授室に呼び出されたのは、紛れもない説教の為だ。
どう考えても彼には出席数も単位も足りていない。この時期になると、学院生のほとんどは進路が定まっているはずなのに、だ。
ヨクトの未来には難破船のように行く宛に困っている。
「んー、どうすりゃいいんっスかねぇ……」
回転式の椅子に座りながら地面を軽く蹴りぐるぐると回りながら、彼は無気力な目で天井を見つめている。
「……私はこれからお前が本当に『地上堕ち』に合う羽目にならないかヒヤヒヤしてるんだが」
ボノは額に青筋をたてながら彼に釘を刺すかのように言う。
−−−−彼が講義の最中でも言っていた『地上堕ち』とは、この世界で随一の治安を誇るアガスティアにて、度を越した犯罪を犯した者に課される極刑の事だ。その名の通り、アガスティアでの永住権を失い、なんのバックアップも無いまま、荒れ果てた地上に追放される。
しかし、ヨクトは動じない。彼には確信があるからだ。
「まぁーさか! テロみてぇな大犯罪でも起こさねぇ限りそれはあり得ないっての! だいたい、今まで地上に堕とされた奴って本当にいんのか?そんなの聞いたことねぇよ!」
ボノは余裕をかます彼に鋭い視線を投げかける。
「確かに、地上堕ちに至るまでのケースは非常に稀だ。そもそも、アガスティアでは民が悪事を働くに至るような動機を抱えることなどない。けどな……」
ボノは、緊張感もなく研究室を見て回ってるヨクトを見て、項垂れる。
「お前を見てたら心配で心配で……」
ボノは机に突っ伏しながら言うが、ヨクトは「余計なお世話でーす」と回転椅子に座り、くるくると回って遊んでいる。
「成績不振者には残された道は少ないんだぞ!! せっかく最高峰の学問を学べたはずなのにお前は!!」
「……まぁ、それが俺に残された道なら仕方ねーよ。……それに……」
ヨクトは椅子から立ち上がり、ニヤッとしてボノに言う。
「いざとなったら俺は地上でもうまくやりますんで」
「はぁ??」
許可も出ていないのに、ヨクトは勝手に教授室を退室する。
「おいこら! まだ話は終わっちゃ……」
止めようとするボノをすり抜け、ヨクトはそそくさと廊下を走り去って行く。アトリウムが眺められる学院4階の廊下を一気に走り抜き、階段を飛び降りる。
ボノが階段前まで到着した時には、彼の姿はもう見えなくなっていた。
「甘く見るなよ! 地上のほとんどは今も争いが多発し、劣悪な人間達が荒れ狂う状況なんだからな!」
ボノは見えなくなったヨクトに聞こえるように大声をあげる。
「……劣悪な人間って」
ヨクトは廊下を走りながら、ボソッと吐き捨てる。
「直接見たのかよ。くだらね」
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