第12話「ありがとう」



 エリオットは気色の悪い泣き声はあげない。


「……そうか、俺は」

 そう言うと、再び彼の体から赤黒い物体が、彼の皮膚を突き破って無数に湧き出てくる。



『俺は、死にたいのか』



 エリオットの周囲に生成された棘が、鋭く尖り角度を変えて彼のこめかみに狙いを定める。


 彼は静かに目を閉じて、終わりへと向かう心の準備を整えた。そして勢いよくそれは伸びた。



「……」



 エリオットは、自分の頭部が貫通されないことを不思議に思い、そっと目を開ける。



 ーー彼は目を見張った。

 刺の先端の侵入を止めていたのはカナの手だったからだ。

 思い切り力を込めて、ギリギリと音を立てながら、彼女の手は刺を抑えている。手の甲からは、鋭く尖った突起が飛び出ており、滴る血が、痛々しくて見てられない。



 エリオットは急いで『消えろ』と念じると、その物体は黒い砂となって大気中に消えていく。

「な……馬鹿野郎ッ!! 何やってんだ!!」

 エリオットは大声をあげて、カナに怒りをぶつけようとした。


 しかし、エリオットは上空に無数の赤黒い棘が旋回している事に気づく。


「ちょっと待て、なんだよこれ……俺か? 俺のせいなのか?」



『何デ……こンな……』



 エリオットの体内から再び無数の枝のような突起物が生成される。

 意識を奪い去られそうになるエリオット。



 それに気づいたカナが、両手で勢いよく彼の両頬を叩いて、目を覚まさせる。



「……お前は……大丈夫だ!!」



 少し間を置いて、彼女が発した言葉に、彼は目を見張った。



***



 カナの脳裏に、昨日までの記憶が思い起こされる。

 夜の街道で暴漢たちに絡まれていたとき、彼女はエリオットが逃げたのを確認してから、彼らを叩きのめすつもりだった。



 しかし、予想は外れて彼は帰ってきた。

 女の自分が、不自然なくらいに強い姿を見せてしまっては、彼に勘付かれてしまうかもしれない。そう危惧していた彼女は、急いでヨクトに脳内通信を流して、彼に助けを求めたのだ。


「早くしろ!! あいつがやられる!!」

「え? お前が助けりゃ……」

「女が戦ったらバレるに決まってるだろこの脳カラ!!」



 路地裏で、一方的に叩きのめされているエリオットをただ傍観しているのが、本来ならば飛び出してでも救いに出てるはずの彼女にとっては最低最悪の拷問だった。


 闇社会で暮らすような大男複数人を、15にも満たないただの少年が相対するのなんて、無謀な事にもほどがあるなど、彼女にはわかりきっていた。


 ふつふつと悔しさを募らせて、ヨクトが駆けつけた際にはすぐに彼を背負い宿屋まで運んだ。

 本来ならば処理しなければいけない暴漢たちの後処理は、情報収集係に当てられていたミーナにやってもらうように頼んだ。

 後から聞けば、手の空いた隊長が、彼女についてくれたのが幸いだった。



 意識を失ってうなされているエリオットの応急処置を済ませ、ベッドに寝かしつけるカナ。心配だからと言って、まるで過保護な母親のように彼のそばにい続けた。



 次の日の朝、カナは持ち前の不器用さを発揮してしまった。勢い余ったエリオットが「女が」という彼女にとっての禁句を発してしまったからである。彼女は必要以上に彼を罵倒してしまって、後から少し反省した。



 決して弱みを見せないように、舐められないように、意地を突っ張って、偽悪を気取りながら生きる少年に、カナは少しだけ自分を重ねていた。

 地位の高い親を持ち、その境遇に葛藤し、全てを独力で乗り切ろうと、力量に見合わずに無駄に背負いすぎようとする性格も、どことなく似ていた。



 少しの同族嫌悪と、不器用だが健気なこの少年に対する共感、矛盾した感情がごった煮になりつつも、彼女は彼をほっとけなかった。





***



「どうして……どうしてお前は無茶な事ばかりを考えている!? どうしてそこまで強がろうとする?」


 カナはエリオットの両頬に触れながら、心配そうな目で彼に言い聞かせる。


「もうやめろ。お前がお前を殺すのは」


 エリオットは、自分が何を言われているのか理解していない様子だ。


「無闇に道を急ぐな。過度に過ちを責めるな。一歩ずつ進んでいけばいいだろ?……絶対に……絶対に大丈夫だから!!」


 エリオットをなだめるかのように彼女は彼を諭すが、逆にそれが彼の逆鱗に触れてしまう。


「なっっっにが大丈夫だ!! 無責任にペラい言葉ばっか垂れ流しやがって!! 何も……何も解決してねぇじゃねぇか!! 自分の持ち場さえまともに見れてねぇ奴らが、何説得力もクソも無いこと言いやがんだ!! そんな訳わかんねぇ楽観してられねぇんだよ!! 出来ねぇからこんな思いしてんだろ!!」


 立ち上がり、激昂しながらカナに怒鳴りつけるエリオット。歯を食いしばりながら語り出す。


「……嫌いなんだよ俺ぁ……。何も出来ねぇのに夢だけ見て、結局自分の事しか頭にない……全部クソだ。なんでのうのうと生きてやがんだよ……」


 エリオットの周辺に、再び赤黒い棘が生成されて、一斉にそれらがエリオットの方目掛けて動き出す。


「……そウだ。俺が嫌いナのハ……お……」

「……お前ッ!!」


 カナはエリオットを突き刺そうとする刺を神器による斬撃で一気に弾き返す。

 

 勢いで、尻餅をつくエリオット。


「なんなんだよ……なんなんだよこれは!!」

「……そのまま聞け。これの正体はな」


 カナは語り始める。


「『PSY(サイ)』発症者の意識と呼応して無尽蔵に物質を生成する、公では秘匿事項とされている、地上で蔓延する奇病だ。一度発症すれば、お前の無意識に強く反応して自在に物質を生成し、たちまち周囲に気概を与え始める」


 しゃがみ込み、エリオットの手を握るカナ。


「病を抑える方法は一つ。それは……『心を楽にしてやること』だ」


 彼女の温もりが、生気を失いかけていた少年を温め、ほんの少しの癒しを与える。


「今までよく耐えてきたな。エリオット。その激しい『怒り』は、全部お前の中に残った温もりの反動だ」


 彼女はまるで母のような温かい眼差しで、少年に語りかける。

 少年は、それでも彼女の言う事が心に届かず、悲痛な表情でその温もりを突き返す。


「……んな訳あるか!! そんな綺麗なやつじゃねぇ!! お前だって言ってたじゃねぇか!! 俺は弱ぇくせに弱ぇ奴を決めつけるクソ野郎だって!! ……その通りだよ……図星のドクズだ……何も……何も言い返せねぇ……」


 彼女は目を丸くして、少年の言い分を聞いている。


「……そうだ、一つだけ言い忘れていたな。あの時、助けようとしてくれたよな」


 何かを思い出したかのように、彼女は少し笑う。



『ありがとう』



 それまで見たこともなかった柔らかい笑顔で、彼女は少年に言い放った。



***



 ーーー街道を挟む集合住宅の屋上から、純白の隊服を身に纏った二人の男が様子を伺っている。


「……はぁ」

「……良かったな。出番無くて」


 安堵する白銀の長髪のアルジャーノ。

 

 そして、同様に笑顔を漏らす隊長のエヴァン。



 下を見ると、少年が久しぶりの涙を静かに流しながら、俯いている。


 少女は、それを温かい目で見守る。


 こうして、戦いが幕を閉じた。















 ーー呼吸を止めたこの街で


君は決して僕のことを『屍』みたいだなんて言わなかったんだ。


僕は『ごめんね』と『ありがとう』を


これから決して忘れることはない


きっと、きっとこれからずっと


忘れはしないはだろうーー






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