第3話「葬人」


 ーーーーエリオットは、薄汚いベッドで目が覚めた。

 ベッドから、半身を起こす。この部屋はなんとなく見覚えがある。確か、中心街から少し外れたところにある、古いホテルだ。


 昨日のアレは、決して夢ではない。幸い腕や足が折られたりなどはしなかったらしいものの、あちこちに残った打撲や切り傷の激しい痛みがそれを物語る。


 しかし、痛みの強さよりも気がかりなことがあった。その、至る所の怪我が、しっかりと手当てされてあるのである。


 そして、不自然にスペースの空けられたベッドの右側に何か違和感を感じる。

 なんだ?と思い、右側を向くエリオット。その違和感の正体はすぐにわかった。


 ……女だ。昨日の女がこちらを背にして静かに寝ている。


 彼は一気に青ざめた。この状況は一体なんだ?理解が追いつかない。

 昨日、無謀にもこの女を助けようと、鉄パイプ持ってゴロツキどもに喧嘩をふっかけた。その割にはたやすく返り討ちにあい、これでもかというほどにボロ雑巾のようにされたはずだ。



「……ないないないないない。ない」



 エリオットは訳がわからなすぎて思考がそのまま言葉になっていた。

 彼がおとぎ話に出てくる完全無欠のヒーローで、昨晩あのゴロツキどもを叩きのめし、華麗にこの娘を救出したあととかならば、まだわかる。

 しかし、彼はダサさ極まりないほどに惨敗しているのだ。彼女から見ても、いろんな意味で至極残念だったに違いない。

 それに、彼は手負いの身だ。こんな体で、『ナニ』なんてできるわけもないし、記憶もない。大前提、彼は童○だ。



 あのローブの男はどこにいった?


 向こう側のベットは布団がめくれてて、誰かが寝ていた形跡がある。おそらく向こうのベッドで寝てたのはあいつだ。

 先程の記憶が正しければ、どちらかといえば二人で朝を迎えるべきなのはその二人なはずだ。まず、なんでこんな状況で俺を置いていった?心底ふざけている。


 そうこう思考をめぐらしているうちに、最悪な事態が起きる。女が目を覚ました。


 起き上がった女と、完全に目があった。

 いろんな面で初めての事態にエリオットは頭が真っ白になって、思考停止状態に陥る。

女は眠たそうな目で、朝で視界がおぼつかないのか、たまに手で目をこすったりしたりしながらも、じっとエリオットと目を合わせている。彼女は何も言わない。


 間近でみた彼女は想像していたよりも数倍綺麗だ。

というか、こんなに整った顔の女性は、生まれてこのかたで見たことがない。可愛いというより、綺麗、美形だ。正直眼福である。


 だが、眠たそうながらもはっきりとした目から放たれるその眼光が、とてつもなく鋭い。怒っているかのようにも見える目力のせいで、余計に緊張する。



「あ……あ……」


 自分でも訳のわからないその気色悪い声に、自己嫌悪に陥っていると、ようやく女が口を開いた。



「……お前」

 あ、こいつ意外と口悪い。と思った矢先、初対面であるはずの彼女から発せられた言葉に、エリオットは今度は別の方向から驚かされることになる。



「昨日、なんで助けようとした?」

 虚を突くような質問のおかげで、なぜかまともに喋れるようになったエリオットは、少し考えてからこう答える。


「そ、そりゃあ! 女だろあんた! あぶねェだろ!? あいつら影で何してっかわかったもんじゃ……」

 そういった矢先、少女がエリオットの胸ぐらを掴む。


そして、次の瞬間彼女から発せられた言葉にエリオットは目を見張る。



「敗者(弱者)が女(弱者)を決めつけるのは『弱者以下』だろ」



 古びたホテルの廊下で、激しい物音がエリオット達の部屋から聞こえてくる。昨夜ゴロツキ達をのしたローブの男が、朝食を部屋に持ち帰るところだ。

 『うるさいな』と心の中でつぶやきながら、男は部屋の扉を開ける。


 見えたのは、ベッドの上で取っ組み合いの大げんかを繰り広げている二人だった。







ーーーー早朝の市場。いつものように賑わっているが、今日はいつもと違う。


 市場のど真ん中に人だかりができている。原因は、エリオットと例の女がいつまで立っても騒々しい口喧嘩を繰り広げているからである。


「だぁかぁらぁ! ちっとくれぇカビてたって食えるだろうが! 慣れろ! 貴重な炭水化物無駄にすんじゃねェ!」

「食えるかッ!パンに生えている青カビにはペニシリウムと呼ばれる腎臓病を引き起こす毒素が含まれていて……」

「長ぇんだよどこのボンボンだテメェは!」


 何も言わずに『黙れ』と言わんばかりにローブの男が丸めた新聞で二人の頭を思い切り叩いて、せっせと道を進んでいく。

 女は涙目で男をじっと睨みつけ、エリオットは『俺、怪我人なんだけど…』と小さく呟くが、男は聞いていない。



 道中二人から聞いた話はこうだ。

 二人は先月から街の一員として認められた移住者の兄妹。男の方が兄で、女は妹。男の方が『俺が兄貴』と言った時に妹の方が少しムッとしたのは気のせいだろうか。


 二人で先ほどのホテルに向かう途中、兄と逸れ、道に迷った妹がゴロツキたちに絡まれるのを目撃してしまったのが、昨日の出来事の発端だ。


 偶然物騒な物音を聞きつけた兄が路地裏に入ると、妹とエリオットを発見したらしい。

腕っ節が異常に強いのは、前滞在していた街で用心棒をやっていたからだとか。


 ちなみに、今朝ベッドに女がいたのは、昨晩寝床に困った二人が『おまえと一緒に寝るのだけは絶対に嫌だ』と喧嘩になった挙句に、妥協案でああなったらしい。他にいくらでも方法はあったのでは?とエリオットは思ったが、口をつぐんだ。


 そんなこんなで、兄の方が『怪我させてしまった詫びに』ってことで家まで送ってくれるらしく、今はその道中である。



 名前は、ふてぶてしい兄の方が『ヨクト』で、このクソ生意気な妹の方が『カナ』だ。



「昨日の奴らが追ってくるかもしれねぇしな」


 ヨクトが、送ってくれる理由を付け足すと、その時、カナがヨクトに耳打ちする。


「何話してんだ?」

「いや、なんでもねぇ。こっちの話」

 

 そういって話をはぐらかす。なんだか二人が急に怪しく思えてきた。


 そこでエリオットの頭に、ある予想が浮かぶ。

「もしかして……」

 二人は『ん?』と振り返る。

「……あんたらテロリスト?」

 『ありえないだろうな』とは思いながらいたずらっぽく聞くと、二人はこみ上げる笑いをこらえながら、『お前笑ってんじゃねぇよ』と言いたげに互いを小突きあっている。


「そんなにおかしいかよ?」

 ニヤッとしながら聞くエリオットに、ヨクトは笑いを漏らしながら答える。

「……いや、わりい。ってか、だったらお前、どうすんだよ?」

「別に。ソッコー逃げて仲間呼ぶし、第一今時珍しくもねェだろ」

 エリオットは急に捻くれた笑みを浮かべながら皮肉交じりに語り出す。



「核戦争、感染病、天災、絶食飢餓、資源枯渇、国家の崩壊。残された海は汚染され、土壌は腐り果てた。除去方法の見つからない『死の灰』によって日光を遮断され、猛毒と化した大気に生存可能領域を侵された俺達は、『お空』が造り出した擬似太陽の光の浄化作用を頼りとして細々と延命する」


 エリオットは虚ろな目でヘラヘラしながら語りを止めない。二人は先ほどとは打って変わって真剣な目つきで彼の話を黙って聞いている。


 「『神』なんて等の昔に死んじまったのかもな。おまけに大人達はこの後に及んで搾取構造を手放さねぇ。人工食品・天然資源…さらには現実逃避の為の麻薬まで、全ての利権は大都市に握られピラミッド式に下部を酷使して経済は保たれている。テロリストが生まれるのは『外部』と蔑称される地区からがほとんどで、奴らは使い捨ての奴隷かお払い箱さ。擬似太陽の光が薄くて何にもできねェからな」


 饒舌に語った直後、エリオットの腹が音が響く。

 どうやら腹を下したらしくエリオットは急に苦しみ出す。

「……うっそでしょ……これ……きっと……さっきの……」

 カナは、それを聞いてさっきのパンのせいだと気づく。

「……ったく、しょうがないな……」


 カナは懐から錠剤のようなものを取り出して、エリオットに渡す。

 ヨクトはなぜか少しギョッとした顔をする。

「飲め。少ししたら楽になる」

「カナ!お前……」

 カナはヨクトを『黙っていろ』と言わんばかりに睨みつける。ヨクトは頭を掻きながら軽く舌打ちを鳴らす。

「……なんだこれ? 薬?」

 エリオットは不審に思いながら、渡された薬を飲む。


「……お前は今手負いの身なんだ。小さな毒でも、体に触る可能性が高くなる。だからあれほどやめろって言ったのに……」

 カナはエリオットの怪我を見て、少し眉間にシワを寄せる。


「お前こそ強がってないで、少しは体を労われ」


 エリオットはそれを聞いて呆然とする。

「……お前。意外と優しいのな」

 そう言うと、カナは何を思ったのか目を丸くして、すぐに前を向いてズカズカと歩いていってしまう。

 エリオットは、少し複雑な様子で、二人についていく。




 ……この二人は、何者なんだろう?さっきまでの経緯からテロリストでは無いだろうけど、明らかにただの旅人じゃ無い。



 偶然?というにはできすぎた昨日の裏路地での出来事。やたらと家まで送ることに固執すること。ここらじゃ見かけない謎の薬。そしてこれはやっかみかもしれないが、二人ともやけに整った顔立ち。


 そこでエリオットはハッとする。


 なんで、なんでこの可能性に気づかなかった。

もう少し様子を見よう。と思ったその時だった。


 足が遅くなり、距離が離れ始めていたエリオットに気づき、振り返るヨクト。

「どうしたぁ? まだどっか具合悪りぃの……かっ!」

 そう言いかけた瞬間、よそ見していた隙にヨクトは前から来た男とぶつかってしまった。


 結構大柄な男だが、昨晩ようないかつい男ではなく温厚な雰囲気を纏っていたのが幸いだった。

 ヨクトは衝撃で倒れてしまい、ローブのポケットなどから彼の私物がいくつか地面に散らばった。


「てて……すまねぇ、よそ見してて……」

「こっちこそすまねぇなニイちゃん。ほらこれ、落し物……ん?」

 男はヨクトの私物のうちの一つ、首飾りのようなものを拾い上げて彼に返そうとする。

が、しかし、それに書かれている文字を見て青ざめる。


「あ……あ……あ……あんたらは!」


 ヨクトの顔が一瞬にして青ざめる。わかりやすいくらいの『ヤベェ』という顔。

そしてエリオットはその表情を見逃さなかった。 


「おい! そいつを見せろ!」

「やめろ!」

 体の痛みも忘れて素早く男の元までかけつけ、『それ』を奪い取り、得体の知れない純白の鉱物で作られた金属板に掘られている文字を見て驚愕する。



『天空都市アガスティア直属 地上管理統制用部隊 葬人第七部隊 隊員 ヤシロ・ヨクト』



 掘られていた文字の内容は、エリオットを絶望させ、湧きかけていた二人に対する仲間意識を裏切らせ、一層強い怒りへと変えた。

「クッソ……!」

 カナはヨクトに『やりやがったな』と言いたげな表情をしている。


 エリオットは認識票を乱暴にヨクトに投げつけて、走って一目散に逃げだした。

「おい待て! エリオット! 一人は危険だ!」

 エリオットの形相はさっきまでと違う。異常なまでの嫌悪感を見せている。

「気安く呼ぶんじゃねぇ! 寄生虫が!」

 エリオットは裏路地へと逃げ込む。ヨクトとカナが人混みを分けてたどり着いた時には、彼の姿はもう見えなくなっており、路地も複雑に入り組んでて、探しようがない。

「くそっ!」

「だから認識票は丁重に管理しろって……」

「お前だって、昨日からボロ出しすぎだぞ! あんな簡単に隊の薬渡すやついるか! どう考えても怪しすぎるだろ!」

「なっ……弱った要人を見放せってか?!」

 二人はギャーギャー言い争ってる。


 この時、騒ぎの影に隠れて怪しげな人影数人が、別の道から裏路地へと入って行ったことは、誰も知らない。







 ーーーー複雑に入り組んだ裏路地を走って、とうとう体力の限界を迎えるエリオット。

 この辺りは新参者には非常に難解なつくりになっていて、歩き慣れた者でないと自分がどこにいるのかもわからなくなり、確実に道に迷う。


 とっさの出来事で、怪我だらけの体だったことも忘れて全速力で逃げて来たため、手負いの体に急激に痛みと疲労が襲いかかった。


 後ろを振り返る。痛みの甲斐もあってか、追ってくるような物は見た所、いない。

「さすがに追ってこれねぇだろ……ザマァ見やがれ」

 体を休めようと、壁にもたれてかかってその場に座り込む。


 最悪なことに、あいつらは葬人だった。でもなんでこんなに予定よりも早く?きっと親父がつけさせたんだ。テロリスト襲撃の可能性に備えて。





 エリオットは瞬時に状況を理解し始める。

 思えば昨日、気配もしなかったはずのカナが後ろにいてゴロツキたちに狙われていたのも、尾行されていたんだと気づく。深夜、拉致されないように。

 なんで、自分に知らせずにこんな真似をするのか?それは考えなくてもわかる。

エリオットが大のアガスティア嫌いなのを、父は知っているし、そもそも父とは疎遠中である。

 エリオットはその場に座り込んだまま、無理やり走ったためにひどくなった先日の怪我の苦痛をやわらげようと激しく呼吸する。




 その時だった。上から数人、武装した覆面の男たちが建物の上から降りて来て、一瞬でエリオットを囲う。

「……え?」

 エリオットは声をあげる暇も与えられずに、乱暴に手で口を塞がれた。


 そのまま仲間たちに体を動かないように押さえつけられ、首に注射器のようなものを刺された。それが麻酔だと気づくのに造作もなかった。


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