第27話 新たな拠点

いったい何の音だろう──


暗闇に一人佇むリザの耳に、せわしなくカタカタと鳴り続ける音が流れ込む。


いや、そもそもここはどこなのだろうか。周りへ視線を巡らせるが、どこも闇に包まれ視界は閉ざされている。


「……ん?」


おそるおそる一歩を踏み出すと、突然少し先にぼんやりとした灯りがともった。リザが思わず目を凝らす。


それは、コンピューター端末のモニターの明かりだった。モニターの青白い光を浴びながら、一人の女性が一心不乱にキーボードを叩き続けている。


顔は大人びて見えるものの背は低い。一見すると年齢がよくわからない女性だった。もしかすると、人間以外の種族なのだろうか。


キーボードを叩き続ける女性の背後にリザが立つ。が、女性はまったく意に介する様子がない。ぶつぶつと何かを呟きながら、リズミカルにキーボードを叩き続けるその様子はどこか不気味に思えた。


「何を……しているの?」


女は答えない。もしかすると、背後にリザがいることすら気づいていないのかもしれない。


リザが女の横へ移動する。その顔を見たリザは、思わず声をあげそうになった。


女の顔に浮かぶのは、憤怒と表現するには生ぬるい怒りに満ちた表情。目からは血の涙がこぼれ、小さな口からは呪詛のような言葉を吐き続けていた。


「絶対に……許すものか……家族を……同胞を……あんな目に遭わせた憎いあいつらを……必ず……必ず……必ず殺してやる……たとえどこへ行こうと……私が形として残り続ける限り……あいつらを……殺してやる……」


モニターを凝視する女の手は止まらない。ものすごい速さで見たこともない文字列を次々と打ち込んでゆく。


「いったい……誰をそんなに殺したいの?」


「憎い……あいつらが憎い……」


女はリザの問いかけに答えない。やがて、モニターからいくつもの光が伸び始め、女の全身を包み始めた。リザが思わず息を呑む。


「ああ……これでいい……あとは……」


怒りで顔を歪ませていた女の口元がわずかに綻んだ。


「ごめんね……ごめんね、リュート……あとは……お願い……」


モニターから一際強い光が放たれた。と、そのとき。それまでまったくリザを認識していなかったかのような女が、突然リザのほうへ顔を向けた。


「お願い……リザ……必ずあいつらを……」


突然目の前が真っ白になった。さっきまでそこにあった端末も女も消え、呆然と佇むリザ。と、背後にわずかな気配を感じ弾けるように振り返る。


「……え?」


視線の先にいたのは、巨大な虎のような獣。それは、間違いなくリザが所有する古代魔導兵器・骸レクイエム、雷獣だった。


地面に巨体を横たえた雷獣が、こちらをじっと見つめていた。リザがそばへ近寄り、そっと首元を撫でると雷獣は気持ちよさそうに目を細めた。そして、再び目の前が真っ白になった。



──ゆっくりと開いた目に飛び込んできたのは、少し前までよく見ていた白い天井。


リザは仰向けに寝転がったまま、額にじっとりと浮かぶ汗を手で拭った。


変な……夢だった。あの女の人はいったい、誰だったんだろう。そして、何をそこまで憎んでいたのか。それに、あの人はたしかにリュートの名前を口にした。


ベッドからおりたリザが窓をあける。離れていたのはわずかなあいだなのに、ずいぶんと懐かしい気持ちになった。


獣王国ティタニアとの同盟締結に成功したリザとレイナ、鮮血部隊の一行は、兎獣人アルミラージュの街へと戻っていた。


今日からは、ここに新たな戦いの拠点を築かなくてはならない。レイナから寝巻きにと手渡されたシルク素材のパジャマを脱ぎ、白くしなやかな四肢が露わとなった。


黒のスキニーパンツとシャツに着替えダイニングへ向かう。ダイニングでは、レイナが一人で読書をしていた。


「おはよう、リザ。よく眠れた?」


「うん。誰か来た?」


「えーとねぇ、十分くらい前にあの目がほそーい女の人が来たよ。『隊長は起きてますか?』って。まだ寝てるって言ったらがっかりしてた」


目がほそーい……。マリーか。


「どこか行くって言ってた?」


「街を見てまわりたいって言ってたかな。大丈夫だとは思うけど、念のために信用できる兎獣人をガイドにつけてるよ」


「そう……ありがとう」


「いいってことよ。それにしても、リザってめちゃくちゃ慕われてんだね」


悪戯っぽい目を向けてくるレイナに、リザが軽く首を傾げる。


「だって、目がほそーい子の前はメガネかけた賢そうな子が、その前には気が強そうなボーイッシュな子が、その前にはお人形さんみたいなツインテールの双子の子も『隊長いますか?』って来てたよ」


リンナにアイリーン、アルシェとマルシェか。


「……何か用事があったのかな?」


「いやいや。リザに会いたくて来たんでしょうよ」


「そう……なのかな」


たしかに、あのとき鮮血の隊員たちが自分のことを慕ってくれていたと理解はできた。ただ、なぜこんな自分を慕い、帝国を裏切ってまでついてきてくれたのか、そこはよくわからない。


「どうする? ご飯食べる?」


「ん……ちょっと出かける」


「ふふ。そう言うと思った」


ニヤッとしたレイナにジト目を向け、リザはトテトテとダイニングを出てゆく。その後ろ姿を、レイナは微笑ましそうに見つめた。



──街のなかをそれとなく見物した鮮血の一行は、街を守る防御壁の外へ出ていた。


「おおー! すげぇ……これが天威でできたクレーターか……!」


地面にできた直接二十メートルほどの巨大なクレーターのそばで、アイリーンが感嘆の声を漏らす。


天才少女、リンナもクレーターのなかを覗き込みながら、興味深そうに何やら思案していた。


「これが……グルドの兵を焼き尽くしたという……?」


ガイドとしてついてきた兎獣人の青年、アルトへマリーが細い目を向けた。


「ああ。跡形もなく消えちまったよ」


「そりゃ……過去には街や国も焼かれたくらいだからな……軍の一個中隊なんてひとたまりもないだろうよ」


天威の凄まじさを実感したアイリーンが呟く。


「でも……本当に天威って何なのかしら……? ある意味天災みたいなものだとは理解できるけど、原理や仕組みがまったくわからないわ。リンナ、何かわかる?」


「……おそらく、高出力のエネルギーを放つ魔導兵器の一種……ではないかと」


「いやいや、そんな魔導兵器あるなら、それを所有する国がとっくに世界を支配してるでしょ?」


「ですね。あくまで可能性の一つです。それに、国や街を焼き尽くすほどの威力となると、現在の魔導科学では到底作れるとは思えません。かつてドワーフたちがもっていた技術力なら可能かもしれませんが……」


と、そのとき──


背後に何かが降り立つ気配を感じたマリーとアイリーンが、腰から銃型魔導兵器ガンを抜き弾けるように振り返る。


皆の視線が集まる先にいたのは、燃えるような赤い髪の少女。


「リザ隊長!」


思わぬところからの隊長臨場に、慌てた全隊員が素早く整列し敬礼する。訓練された一糸乱れぬ動きに、ガイド役のアルトも圧倒され、なぜか列に加わり敬礼していた。


「ん。何してるの?」


「はっ。その……天威の跡を見たいなと思いまして……」


マリーのそばへ近づいたリザが、体を傾けて彼女たちの背後にあるクレーターを見やる。


「私は……天威がグルド兵を呑み込む瞬間を見た。信じられない思いだった」


「え!? リザ隊長、目の前で見たんですか!?」


「うん」


「も、もう少し詳しい話とか……」


どうやら、マリーは天威に興味津々らしい。いや、誰でもそうか。


「うん。それはまたあとで。とりあえず、私たちの新しい拠点も作らないとだし」


「あ、そうですね。それに、武器や弾薬の調達先も考えないと……」


顎に手をやるマリーを見て、リザが目を伏せた。


「……みんな、本当によかったの? 帝国を裏切ったし、もとの拠点にはきっと軍部やシャーレの捜索が入ってる。大事な私物とかも押収されてると思う……」


「何の問題もありませんよ。帝国ぶっ倒したらまた取り返せばいいんですから」


アイリーンが力強い言葉を吐き胸を張る。ほかの隊員たちも、そろって頷いていた。と、そのとき──


「あっ!!」


突然声をあげたのは、鮮血唯一の男性隊員キーマ。


「何、キーマ?」


「や、あ……いえ! 何でもありません!」


リザからスッと視線を向けられ、慌てて背筋を伸ばすキーマ。


「あー……ははーん……キーマ。てめぇ、さては拠点にリザ隊長の写──」


「うあああああっと! やめろ、アイリーン!」


アイリーンへ掴みかかるキーマにリザが訝しげな目を向ける。


「私の……何? 写……?」


きょとんとした表情で首を傾げるリザに、思わず「かわいすぎる」とキーマが感動する。キーマが叫び声をあげた理由を察したからか、全員がニマッとした笑みを浮かべた。


「隊長、聞いてくださいよ。こいつ、リザ隊長の──」


「だからあああ! やめろって! いや、やめて! お願い!」


アイリーンに縋るような目を向けるキーマと、それをニマニマと見守る隊員、首を傾げ続けるリザ。


帝国が誇る最強の牙、特殊魔導戦団シャーレ、なかでも最強と呼ばれる鮮血部隊。緊張感のないじゃれあいが繰り広げられるのを、兎獣人のアルトは呆然と眺めるしかなかった。

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