第26話 打倒帝国へ

「陛下、失礼します」


扉をノックする音に続き、野太い男の声が獣王デュオの耳に届く。部屋へ入ってきたのは、側近の虎獣人バラクーダ。


「うむ、早かったな。無事に送り届けてくれたか?」


「は。ご命令のままに」


バラクーダは、謁見を終えたリザたちを丁重に宿まで送るようにと命令を受けていた。獣王国の王都でもっとも立派な宿へ、リザとレイナ、鮮血の面々を送り届けてきたところである。


「ご苦労であった」


「は……」


獣王直々に労いの言葉をかけられたにもかかわらず、バラクーダの表情は冴えない。


「……バラクーダ。何か言いたいことがあるのか?」


ぎろりと威圧的な視線を向けられ、バラクーダの肩がびくりと跳ねる。何か言いたそうにしている様子を見かね、デュオはソファへ座れと目で促した。おずおずとデュオの向かいに座ったバラクーダは、意を決して口を開く。


「……陛下。同盟の件、本当によろしかったのでしょうか?」


「お前は反対なのか?」


兎獣人アルミラージュと手を組むのは利のある話だとは思います。まあ、天威のような不安要素もありますが……」


「ふむ……『天の威を借る者』か」


「もし、本当に兎獣人が天威を操っているのなら、我々にとっても脅威です」


「たしかにな。だが、兎獣人が天威を操れるということはまずないだろう。それなら、今ごろネルドラ帝国も天威によって地図から消えているだろうからな」


「まあ、それはたしかに……」


「そもそも、兎獣人については謎が多いからな。大昔の文献や史書に兎獣人に関する記述はいっさいない。が、あるときを境に突然歴史の表舞台に出てきたのだ」


「たしか……ドワーフが絶滅したと言われる時代あたり、でしたよね?」


「ああ。だから、研究者のなかには、ドワーフを絶滅させたのは兎獣人なのではないか、という説を唱える者もいる」


まあ、これに関してデュオはまずないだろうと考えている。たしかに兎獣人は世界最強の戦上手と言われる種族だが、決して好戦的ではない。ドワーフの絶滅とは無関係だろう。


「兎獣人についてはまあいいです。同じ獣人でもありますし、ともに戦ってくれるのなら心強いですし。ただ、リザ・ルミナスは別です。あのレイナという兎獣人は彼女を信頼しているようですが、リザ・ルミナスは帝国の人間兵器であり切り札のような存在です。そのような者が果たして本当に帝国を裏切ったのか。すべてが嘘の可能性もあります」


「お前の言うことは正しい。だが、はっきり言ってそんなことは関係ないのだ」


バラクーダがデュオへ怪訝な目を向ける。どうやら真意を計りかねているようだ。そんなバラクーダを無視して、デュオは一枚のコインをローテーブルの上に載せた。


「陛下、これは……?」


デュオが小さく頷いたので、バラクーダはそっとそのコインを手に取った。光にかざしながら、まじまじとコインを眺める。


「……バラクーダよ。もっとも重要なのは、リザ・ルミナスがそのコインを持っていたという事実だ」


「そ、それはいったいどういう……?」


「謁見のとき、仮にリザがこの国の全兵力を無条件で譲渡せよと口にしたとしても、余にそれを断ることはできなかったであろう」


「なっ……!?」


「六百年以上前、我が祖先である建国王はこの地に国を興そうとした。が、それを面白く思わなかった複数の種族が連合軍として決起。祖先は国を興すどころか、所有する土地を奪われそうになり命すらも危うい状況に追いやられたという」


「はあ……」


「もはやどうにもならぬと、諦めかけていたある日。拠点としていた町へ一人の男がふらりと現れた。みすぼらしい格好をした男は、とにかく腹が減っているが金がまったくないという。正直、そんな男に構っている暇はないのだが、祖先は快く食事を与え、幾らかの路銀も渡した」


「…………」


「男は大層喜び、何度も感謝の言葉を述べた。そして、せめて何かお礼をしたい、大抵のことなら叶えられると思うから言ってほしいと祖先に伝えた。祖先の仲間たちは、その男をとんだホラ吹きだと思ったようだが、祖先は真剣な表情で『では、連合軍を何とかしてほしい』と願ったそうだ」


バラクーダがゴクリと唾を飲み込む。初めて聞く興味深い話に、どんどん引き込まれていった。


「二つ返事で快諾した男は、その足で連合軍が布陣しているところへ向かった……」


「……そ、それで、どうなったんですか?」


「……どうなったと思う?」


「いや、まったく想像がつきません……」


「そうだろうな。結論から言えば、連合軍は軍として機能しなくなった。その男が放った一撃の高位魔法で、連合軍の大半が焼き払われてしまったからだ」


「な、なんと……!」


「その後、祖先はこの地にティタニアを建国した。そして、建国の実現に多大な貢献をしてくれた男に対し、一枚のコインを送った。配下の鋳造職人に命じて丁寧に作らせたそのコインをな。そして男に対しこう宣言した。『この国が存在する限り、すべての敬意とあらゆる誠意をもって、このコインを持つ者の願いを叶えると約束する』と」


「で、では……これがそのときの……?」


「ああ。『世界樹のコイン』だ。そして、我が祖先を助けこの国の建国に貢献したその男は、リュートと名乗ったという」


驚愕に目を見開くバラクーダ。その顔には「あり得ない」と書かれていた。


「バ、バカな……リザ・ルミナスにコインを譲渡した者の名も……それほど長く生きられる者など……──!!」


何かに気づき、ハッと息を呑むバラクーダ。おもむろにコインを見つめ、次いでデュオに視線を向けた。


「強力な高位魔法に世界樹、そして長寿……そ、それはまさか……?」


「はっきりとは分からん。祖先を助けた男とリザにコインを譲渡したのが同じ者なのかどうかはな。リュートという名は家名であり、祖先を助けた男の子孫、という可能性もある」


「は、はあ……」


「先ほどの話は王族にのみ代々伝わっている話だ。分かっただろう? 余が二つ返事で同盟に応じた理由が」


「はい……」


バラクーダは、手のひらに載せているコインに目を落とすと、精巧に彫られた世界樹をもう一度まじまじと見つめた。




──ネルドラ帝国軍司令官、シャラは次なる報告を今か今かと待ち望んでいた。昨日、廃墟の街ティファナへ後詰めに向かったはずの閃光部隊から通信が途絶えた。


それだけではない。先にティファナで拠点づくりと情報収集にあたっていた鮮血部隊とも連絡がとれなくなってしまったのだ。


今朝になり、調査隊を向かわせたが、ティファナには人っ子一人いないという。だが、激しい戦闘の形跡が見てとれるとのこと。


シャラの興味を引いたのは、魔法による攻撃の形跡が見つかったことだ。しかも、どうやら雷系と炎系の魔法だという。シャラは、とっさにリザだと直感した。


「クソ……報告はまだか……!」


司令官室のなかをウロウロと歩きまわりながら、シャラが一人ごちる。閃光や鮮血のことも気になるが、何よりリザだ。やっと見つけた手がかりに、シャラははやる気持ちを抑えきれない。と、そこへ──


「し、司令官! 失礼します!」


乱暴に扉を開け飛び込んできたのは、ネルドラ帝国軍副司令官のバスク。息を切らしているところを見ると、どうやら全力で走ってきたようだ。


「騒がしいな。何かあったのか?」


「オ、オンライン端末をご覧ください! 軍事チャンネルです!」


「はあ?」


怪訝な表情を浮かべながらも、シャラはデスク上のオンライン端末を操作し、軍事チャンネルへ接続した。


「こ、これは……!」


モニターへ映し出されたのは、正装姿の狼獣人。威風堂々とした佇まいに鋭い眼光。獣王国ティタニアを治める獣王デュオである。シャラの目が端末のモニターへ釘づけになった。


こんな時期に、オンラインの軍事チャンネルで世界各国へ何の情報を発信するつもりなのか。もしかして、降伏の宣言であろうか。だが、モニターから聞こえてきた音声は、シャラがまったく想像していないことだった。


『獣王国ティタニアは、怨敵ネルドラ帝国に対し徹底抗戦することを宣誓する!』


「な、何だと!?」


『薄汚い野心を抱く帝国皇帝よ、聞くがいい。我らは決して一人ではない。我々には、ともに戦ってくれる仲間がいる』


まさか、このタイミングでどこかの国と同盟を結んだと言うのか? 誇り高いと言われる獣王が? シャラの眉間にシワが刻まれる。


『獣王国ティタニアは、兎獣人と強固な同盟を締結した!』


「バ、バカな!!」


思わず声を荒げたシャラの目が大きく見開かれる。が、獣王デュオが次に口にした言葉を聞いて、シャラは意識を失いそうになった。


『兎獣人との同盟締結が実現したのは、元ネルドラ帝国特殊魔導戦団シャーレ、鮮血部隊の隊長リザ・ルミナスのお陰である。彼女の尽力により、獣王国と兎獣人との同盟は成った。そして、リザ・ルミナスと鮮血部隊もまた、我らとともに帝国と戦ってくれる心強い仲間である!』



──獣王国ティタニアと兎獣人との同盟締結は、帝国の軍部を騒然とさせるのに十分だった。が、それ以上に軍部が驚いたのは、言うまでもなくリザ・ルミナスの裏切りである。



「失礼しまーす……って。ちょっと、隊長!」


扉を開けて目に飛び込んできた光景に、黒髪の女性が思わず声を荒げる。彼女の目の前には、大型のソファへ寝そべり、スナック菓子をつまみながら読書をしている怠け者がいた。


「んあーー? あれ、ミオじゃん。どったのーー?」


「いや、ここみんなで使う拠点なんですから、私がいても不思議じゃないでしょーよ。って、それより! どうしてまたこんなに散らかすんですか!? 掃除してくださいよ〜」


はあ〜、とこれみよがしなため息をつく。


「ごめんごめんー。優秀なミオ副長がいつも片づけてくれるもんだからつい。てへ」


「てへ、じゃないですから! ほんとジーナ隊長って……」


美しいグレーの髪が印象的なジーナに、ミオがジト目を向ける。呆れながらも、せっせとソファの周りを片づけ始める自分が恨めしい。


「朝掃除したばかりなのに、どうしてこんなすぐ散らかるかなぁ……」


ブツブツ言いながら、お菓子の袋や丸められた書類などをゴミ袋へ投入していく。


「そう言えば隊長、例の話聞きました?」


「んー? 獣王国が兎獣人と同盟結んだってやつー?」


「まあそうですけど、それよりも鮮血部隊のことですよ!」


「あー、リザと鮮血が帝国を裏切って向こうについた、ってやつね」


よっこいしょ、とソファから身を起こすジーナ。ソファに座ると大きく伸びをした。


「帝国の人間兵器とまで呼ばれたリザ隊長が、なぜ裏切るような行動に出たんでしょう?」


「さあねー。でも、あの子も軍人である前に一人の人間であり女の子だからね。心変わりしたり、何もかも嫌になったりってこともあるでしょーよ」


「……特殊魔導戦団シャーレ、白夜部隊の隊長としての言葉なら大問題だと思いますけど」


その言葉にいたずらっぽい笑顔で返すジーナ。


「今のは彼女の姉貴分としての言葉さ」


「いやいや、姉貴分て。それ思ってるの隊長だけですからね? リザ隊長めっちゃ迷惑そうだったじゃないですか」


うっ、と言葉を詰まらせるジーナに、ミオが再び呆れたような目を向ける。


「それにしても、少し前からリザ隊長が行方不明という話は聞いていましたが……ここへきて、まさか鮮血部隊の全員もリザ隊長についていくとか……」


「何も不思議ではないよ。マリーやアイリーンたちは帝国に忠誠を誓っていたわけではないもの。彼女たちが忠誠を誓っていたのは、リザ・ルミナスという圧倒的なカリスマだからね」


「まあ、それは分かりますが……」


「マリーたち鮮血の隊員にとって、リザは特別な存在だからね。強い絆で……なんて薄っぺらい言葉じゃとても表現できない」


「うちとは大違いですね」


「それな。マリーたちは、言わば狂信者だよ。リザがいるところこそ自分たちの居場所であり、彼女が死ねと言えば喜んで死ぬ」


「凄まじいですね……」


「ねー。お姉ちゃんにもそのカリスマ性を少し分けて欲しかった」


「お姉ちゃんて。でも、気が重いですね。鮮血とは今後敵同士になるなんて」


「そんな甘っちょろい考えだと、戦場では真っ先に死んじゃうぞ。向こうはもう、こっちのことただの敵としか認識してないだろうし」


「そう……ですね」


「そそ。軍人だからね。そのあたりは割り切らないとね」


そう口にして窓の外へ目を向けたジーナの横顔が、ミオにはどこか寂しそうに見えた。

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