第17話 迫る脅威

「それは本当の話?」


街への入り口で倒れていた青年、リュートが口にした内容にレイナが眉根を寄せる。


「もちろん本当だとも」


リザとレイナ、リュートの三人がいるのは、獣人が経営している小さな飲食店。まだ午前中だからか客も少なく、会話をするには適した環境だ。


「ネルドラ帝国はまもなく獣王国の王都へ進軍するらしいよ。あ、すでにグルド王国が獣人の街をいくつか制圧しているみたいだね」


顔を見合わせるリザとレイナ。予想していたより遥かに帝国の動きが早い。


「まずいわね……もたもたしていると王都にたどり着けなくなるかも」


「ん? 君たちは王都へ行くのかい?」


「え? ええ。ちょっと大切な用事があってね」


「だったら急いだほうがいいかもね。帝国は特殊な部隊を獣王国に派遣するといった話も耳にしたし」


リュートの言葉にリザの顔が強張る。帝国の特殊部隊。すなわち特殊魔導戦団シャーレだ。


「……ねえ、あなたいったいどこでそんな話を――」


突然外が騒がしくなり、レイナの言葉がかき消される。店内まで聞こえる怒号。なかには悲鳴も混じっていた。リザが素早く窓際へ移動し、そっと外の様子を窺う。


リザの目に飛び込んできたのは、十数名の兵士たちが獣人たちに武器を突きつけ威嚇している様子。


あの兵装……グルド王国。


「レイナ、グルドの奴らがもう来たみたい」


「どうやらそうみたいね……ちょっと、リュート。ここにいては危険だわ。あなたは早く――あれ?」


声量を落として会話していたレイナが、リュートの座っていた場所へ目を向けたが、もうそこに彼の姿はなかった。


「……とんでもなく抜け目のない奴ね」


「それが生き残るためのすべ


呆れるレイナにリザが冷静に返す。そう、戦場では危険を察知する能力が何よりものを言う。


「どうする、リザ?」


「裏口からこっそり抜け出して――」


外を見やるリザの目に飛び込んできたのは、棒のようなもので獣人の子どもを乱暴に殴りつける兵士の姿。虎獣人の男の子が頭から血を流して地面に転がる。


さらに、それを庇おうとした母親らしき女性が兵士に蹴りあげられた。地面へ倒れた女獣人の腹を、ニヤニヤと笑いながら執拗に蹴り続けるグルドの兵士。


「く……リザ、我慢するのよ――!?」


そこにリザの姿はもうなかった。まさか、と思い窓の外へ再度目をやると、突然グルドの兵士数名が吹き飛び派手に地面をゴロゴロと転がった。



突然現れた人間の少女に仲間の兵士をあっさりと倒され、驚愕に目を見開くグルド兵たち。


「な、何者だ、貴様!?」


「……クズどもに名乗る名前などない」


瞳に怒りの炎を宿したリザは、手に手に武器をもつ兵士たちへスッと手のひらをかざしてみせた。


「『獄炎陣ヘルフレイム』」


兵士たちの足元に魔法陣が展開したその瞬間、地面から黒い爆炎が立ち昇る。断末魔の叫び声をあげながら爆炎に呑みこまれる兵士たちに、リザは冷たい視線を向けた。


「ま、魔法だと……? バカな……」


突如現れた強力な魔法の使い手に、グルド兵たちはただただ茫然とする。と、そこへ――


「何よそ見してんのよ!」


風を斬り裂くかのような速さで飛びかかったレイナが、屈強な兵士の顔面に渾身の拳打を喰らわす。俊敏な動きで兵士の攻撃をかわしながら、的確に拳打と蹴りを叩き込み、掴まれそうになれば投げる。まさに縦横無尽の攻撃。


「ア、アルミラージュまで……! こんなの勝てるわけ――」


形成が不利と見て逃げ出そうとした兵士たちに、今度はリザが風を巻いて接近しナイフでその喉をかき斬っていった。結局、十人以上いたグルド兵はリザとレイナによってほとんどが骸へと変えられてしまった。


ただの肉塊となった兵士たちを黙って見下ろすリザのそばへレイナが近づく。


「リザ……よかったの?」


「……もう、逃げないと決めたから」


もう人を殺したくないと口にしたリザを慮るレイナへ、リザは強い意志がこもった目を向けた。


そんな彼女の頭を、レイナはそっと優しく撫でるのであった。



――はっきり言って、鮮血の訓練は過酷だ。しかも、相当やりづらい。理由? それは俺が男だからさ。


特殊魔導戦団シャーレ、鮮血の隊員はほとんどが女だ。隊長をはじめ、副長から参謀、隊員まで全員が女で構成されている。つまり俺は、鮮血における逆一輪の花だ。


「ぎゃっ!!」


「情けねぇな、てめぇ。それでも男かよ」


コンクリートで仕上げた訓練場の床へ、俺を容赦なく投げ飛ばして悪態をついているのはアイリーンだ。こいつはとにかく口が悪い。


「ぐ……ぐぐ……うるせぇ……」


「へぇ。まだ元気あるみたいじゃん。なら――」


と、まだまだ俺をいたぶる気満々だったアイリーンの顔がにわかに強張る。その視線を追うと――


「元気だね、アイリーン。私とやろう」


おそらく目が合ってしまったのだろう。アイリーンに手合わせしようと声をかけたのは、鮮血の隊長であり帝国軍における精鋭中の精鋭と言われるリザ・ルミナス隊長だ。


「は、はい!」


あれほど元気だったアイリーンだが、隊長と二、三戦したころにはすっかり元気はなくなっていた。まあ、隊長相手なら仕方ない。帝国最強の称号は伊達じゃねぇってことだ。


意地の悪いアイリーンが何度も床へ叩きつけられるのを見て、俺は少し溜飲が下がった。が、それもそこまでだった。


「あ……あ……ありがとうございました……」


「うん。じゃあ次、キーマ」


床に両膝をついたまま肩で息をしているアイリーンを一瞥した隊長は、次のターゲットに俺を選んだ。うん、死んだ。


アイリーンにさえ敵わなかった俺が隊長の相手になるはずはない。案の定、俺はアイリーンとの模擬戦よりさらに手酷くやられた。



――鮮血だけかもしれないが、基本的に任務と訓練がないときは自由時間だ。と言っても、訓練のあとなんて全身が痛くて、自由に遊ぼうにも遊べない。


「あいててて……」


膝に脛、肘、頬……あちこちに傷を作ってしまった。絆創膏だらけの体を見て、思わずため息が出た。と、そこへ――


「キーマ」


「は、はい!!」


休憩室のソファに座って治療をしていた俺の背後から、隊長に声をかけられ跳びあがりそうになった。


「ケガは大丈夫?」


「は、はい。大丈夫っす」


「……一番酷いところは?」


「ええと……膝ですかね。ちょっと受け身をとり損ねちゃって……」


膝には擦り傷ができているが、投げられたときにコンクリートの床で膝を強打したのがもっといただけなかった。


「見せて」


「へ?」


「早く」


「は、はい」


俺は隊服の裾をまくりあげ、隊長に膝を見せた。何だか恥ずかしい。


「『治癒ヒール』」


隊長が魔法を唱えると、手をかざしていた膝が光に包まれた。そして痛みも消えた。


「……どう? まだ痛い?」


「い、いえ! わざわざ俺なんかのために魔法を使っていただいて、ありがとうございます!」


隊長は首を小さく左右に振ると、微かに申し訳なさそうな表情を浮かべた。足元にしゃがみこんだまま、上目遣いで俺の目をじっと見る。正直、俺の心臓は爆発しそうだった。


今思えば、俺はあのときからリザ隊長のことを……。



――あいたたた。ん? 俺はいったい何をしていたんだっけ……。あ、そうだ。訓練でアイリーンに投げられて……もしかして気絶してた?


目を覚ましたのは休憩室にあるソファの上だった。ああ、何か懐かしい夢を見た気がする……。


キーマは半身を起こしてソファへ座り直すと、隊服の胸ポケットから一枚の写真を取りだした。そこに写っているのは、紅い髪の少女。


写真のなかの少女は、あのときとまったく変わっていない。可憐で儚げで、誰よりも美しくて……。


「リザ隊長……会いてぇよ……」


キーマの瞳にじんわりと浮かぶ涙。そっと写真に写る少女を指で触れる。と、――


「うわ……ちょっとみんな―! キーマが隊長の写真見て泣いてるんだけどー!」


「え、マジ? キモ」


感傷に浸っているところを、いつの間にか背後にいたアルシェとマルシェに見られてしまった。わらわらと集まってくる隊員たち。


「い、いや、違う! これは……!」


驚きのあまり涙も完全に引っ込んでしまった。


「何が違うんだよ! 写真に写った隊長を指で撫でたりしてさー!」


「ち、ちが……!」


慌てふためきながら写真を胸ポケットにしまうキーマ。


「てゆーか、あなたいつも胸ポケットにリザ隊長の写真入れてるわけ……?」


貼りつけたような笑顔がトレードマークのマリーも、思わずドン引きである。


「キーマ。その写真はどうやって手に入れたの? 盗撮なら立派な犯罪よ?」


リンナがメガネを指で押しあげながら厳しい視線を向ける。


「もしかして、隊長がいなくなったのって、キーマのストーカー行為が原因なんじゃ……」


何気に酷いことを口にするハイネと、同意するように頷くスミレ。少し離れた場所ではアイリーンも顔を引き攣らせている。


「ち、ち、違うんだーーーーー!」


いたたまれなくなったキーマは、恥ずかしさのあまり涙を浮かべたまま休憩室を飛び出していくのであった。

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