第16話 お願い
ガシャン、と耳をつんざくような音が狭い室内に響く。壁に投げつけられたグラスが粉々に砕け、あたりに飛散した。
「くそっ! 舐めやがってあいつら……!」
特殊魔導戦団シャーレ、閃光の拠点で一人荒れているのは、隊長のガルマである。先日、軍部の食堂で鮮血に絡んだものの、格の違いを見せつけられ居合わせた者たちの笑いものになった。
腹の虫が治まらなかったガルマは、軍司令官のシャラにリザの逃亡と食堂の一件について訴え、処分を促した。が、まったく相手にされず今にいたる。
軍上層部としては、鮮血をなるべく刺激したくないと考えている。シャーレのなかでも生え抜きの精鋭ぞろいである鮮血が、万が一にでも反旗を翻したとなると帝国の覇道は道半ばで途絶えてしまう。
もちろん、上層部のそうした懸念をガルマが知るはずはない。
「ちくしょう……! どいつもこいつも……」
テーブルに拳を落としたガルマの顔が醜く歪んだ。
――同じころ、鮮血の副長マリーと隊員のリンナは、軍司令官シャラのもとへ訪れていた。
「特殊魔導戦団シャーレ、鮮血部隊副長マリー、隊員リンナ、招集に応じまいりましたわ」
「……よく来てくれた。座ってくれ」
執務机で資料に目を通していたシャラは、マリーの顔も見ず着席を促す。マリーとリンナは言われた通りソファへ腰かけた。
「近々、獣王国ティタニアの王都へ進軍する。すでに属国のグルドが、獣王の支配している地域の街をいくつか制圧しているが、王都周辺の情報が少なすぎるのだ」
「そうでしょうね」
「そこで、鮮血には情報収集と拠点づくりを
命令ではなくお願い。以前リンナが言った通りだ、とマリーは内心思いつつちらりとリンナの横顔を見る。
「王都からやや離れてはいるが、ティファナと呼ばれていた街がある。が、ここはさまざまな事情で今は完全に廃墟だ。ここに拠点を築き情報収集にあたってもらいたい」
「……司令官、よろしいですか?」
口を開いたリンナにシャラが目を向ける。
「防壁で囲われているとはいえ、旧ティファナは荒地のなかにぽつんとある廃墟の街。万が一、我々の動きが獣王国側に知られた場合、街ごと包囲されるおそれがありますが、それはどうお考えですか?」
「廃墟となった街の位置や周辺の情報まで把握しているとは……さすがは帝国一の天才少女と評される兵士だな。たしかにその通りだ。が、そうならないよう後詰めをすぐに向かわせる予定だ。貴君たちが拠点を作っているあいだ、後詰めの兵団が背中を守るため囲まれてしまう心配はない」
「なるほど。分かりました」
リンナはマリーをちらりと見やると軽く頷き、手元の端末を操作し何やら入力し始める。
「ちなみに司令官。後詰めはどこが担当してくれるのかしら?」
「閃光部隊に兵団を預けようと考えている」
「……閃光に?」
「ああ……そう言えば貴君ら、先日ガルマたちと何やらひと悶着あったようだな。この忙しいときに揉め事を起こさないでほしいものだが……とりあえず、職務に私情を挟まぬように」
「心外ですね。我々はそのようなことしませんわ。あちらさんは知りませんけど」
ひとまず、話は終わったようなので、マリーとリンナは司令官室をあとにした。
――私がネルドラ帝国の軍に入隊したのは14歳のとき。孤児だった私は、孤児院での暮らしに嫌気がさして軍への入隊を決めた。
特別珍しい話ではない。帝国では以前から見込みがありそうな孤児を軍部へ引っ張っていた。鮮血のなかにも、私以外に孤児出身の者が何人かいる。
軍に入隊したものの、私には魔法の才能はもちろん、魔導兵器を扱う能力すらなかった。でも、その代わりに徒手格闘の分野で才能が開花した。
近接戦闘の天才、徒手格闘の申し子などと持ち上げられ、いい気になっていた時期が私にもあった。だが、そんな私を当時の教官は気に喰わなかったのだろう。ことあるごとに言いがかりをつけられ、しまいには口にするのも憚られるようなセクハラを受けるようになった。
ある日、我慢が限界を迎えた私は、訓練中に教官を半殺しにしてしまう。幸い、セクハラ被害に遭っていたことは周知の事実だったため、大したお咎めはなかったものの、軍部から危険視され正規軍に居場所がなくなってしまった。
そんな私を拾ってくれたのが、特殊魔導戦団シャーレ、鮮血の隊長リザ・ルミナスだった。私よりも年下で背も低くて、でも美少女で。しかも帝国最強と言われる精鋭中の精鋭。
「私はリザ。今日からよろしくね、スミレ」
リザ隊長は表情が乏しい人だったから、喜怒哀楽がまったくと言っていいほど分からなかった。でも、何となくだけど、優しい人なんだろうなって思ったのを覚えてる。
こんな私を拾ってくれたんだから、頑張ろうって、隊長たちの役に立とうって心に誓った。以前のように、感情的になって拳を振るうようなことはもう絶対にしない。そう誓った。
でも、そんな私を放っておいてくれるほど、軍の連中は甘くなかった。あるとき、軍部の広大な敷地内にある運動場で汗を流していたとき、訓練終わりの兵士数人に私は絡まれる。
彼らは、私が半殺しにした教官の教え子だった。
「てめぇ……あんなことしておいて、よくものうのうとしていられるもんだな、おお?」
「教官はてめぇのせいで、片目の視力はがた落ち、何本かの指は今まで通り動かせねぇってのによ」
体格のいい男の兵士が私の胸倉をつかみ、顔に唾を吐きかけた。軽く男を睨みつけ、胸倉を押さえる手をつかんだ。途端に、兵士の顔が青くなる。
当然だ。徒手格闘の教官さえ叶わなかった私に、一介の門下生が叶うはずがない。が、私は自ら進んで暴力を振るうつもりは毛頭なかった。
彼らにもそれが伝わったのだろう。私が反撃してこないと分かるや、殴る蹴るの暴行を加え始めた。口のなかが切れ、肋骨がきしんだ。
ぐったりと地面に転がる私を見下ろす男たち。満足したのかと思いきや、今度は私の服を脱がし始めた。ああ、そうだ。男はこういう生き物だった。結局、軍も孤児院と一緒。
下卑た笑い声を漏らしながら私の服を脱がし、覆いかぶさろうとする男。悔しいが、体が痛くて何もできない。何も。
と、そのとき――
蹂躙されそうになっている私のそばで見下ろしていた男の体が、突然炎に包まれた。悲鳴をあげながら地面をのたうちまわる。
「うちの隊員に何をしているの?」
耳に届いたのは、かわいらしい少女の声。でも、意思の強い凛とした声。朦朧としながら首を起こした私の目に飛び込んできたのは、リザ隊長だった。
「だ、誰だてめぇ!?」
私に覆いかぶさっていた男が飛びのき、腰から銃を抜く。が、その刹那男の肘から先が切断され地面に転がった。初めて隊長の魔法を見た瞬間だった。
「ぎゃあああああ!!」
もう一人の男は、何が起きているのか理解できず、ただただ震えている。その顔色は極めて悪い。
「そ、その燃えるような紅い髪……鮮血の……?」
「……うちの隊員に何をしているの、って聞いてるんだけど」
普段通りの、感情がまったく窺えない目で男を見据える隊長。
「ひ、ひぃっ!」
男はその場で腰を抜かした。失禁したのか、地面に黒いシミが広がっていく。
「……こいつらは婦女暴行未遂の犯人。そうよね?」
リザは男にくっつきそうなほど顔を近づけ、静かに口を開いた。
「聞こえなかった?」
「い、いえ! 仰る通りです! こいつらは婦女暴行未遂の犯人です! 私からそう報告いたします!」
震えながらもコクコクと頷く男を一瞥すると、リザはスミレのそばへしゃがみこんだ。
「『
スミレの体が光に包まれる。あれほど酷い暴行を受けたにもかかわらず、治癒の魔法により傷はきれいさっぱり消えてしまった。
「す、凄い……これが隊長の魔法……」
「痛みはない? 大丈夫そうなら戻るわよ」
「は、はい!」
言われるがままに立ち上がり、私は隊長と並んで歩きだす。
「……スミレ。なぜ手を出さなかったの? あなたなら、あの程度の連中何の問題もなく制圧できたはずよ」
「……すみません。暴力沙汰を起こして、隊長たちに迷惑をかけたくなくて……」
「あなたが大ケガをして、任務に支障が出るほうが迷惑だと思うけど?」
「う……」
隊長は歩みを止めると、私のほうへ向き直り顔を見上げた。
「自分の身はきちんと自分で守りなさい。それで相手に大ケガさせたとしても、私が責任をとるから」
「で、でも……」
「でもじゃない。あなたたちを守るのも私の仕事」
隊長はそう口にすると、再び歩き始めた。急いでそのあとを追う。
あのとき私は決めた。隊長がもしものときは、私が命をかけて守るって。私が隊長の盾になって死のうって、そう決めたんだ。
私より年下で背も低い、かわいい女の子。でも、私の前を歩くリザ隊長の背中は、とても大きく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます