第二章 後宮始末官誕生! ⑧

「後宮のことをあまり知らないからそう思われるのかもしれないけれど、そう簡単に割り切れるものではないのよ。翡翠、あなたも長年後宮に居るのならば分かるでしょう? そんな一筋縄でいくようなところではないわ」

「では、私から橘徳妃に話してみようかしら?」

「そこまでしてくれなくても大丈夫よ。私はこっそりと夜の内に発つから、それを見逃して欲しいだけ。あと、後宮始末官の許可書がいるんでしょう? それが欲しいわ」

「そうね、そういう事情なら一刻も早く実家に帰った方がいいわ。後のことはすっかり私に任せて」

「ありがとう。じゃあ……」

「ちょっと待って」


 そのまま話が終わりそうなところで、旺柳が口を挟んできた。ふたりとも彼へ視線を向けた。


「実家に帰りたいというのは分かったけれど、ちゃんとたどり着ける?」


 旺柳がなにを言っている分からず、翡翠はぽかんと口を開けてしまった。侍女も同様だ。

 旺柳は続けて畳みかけるように言う。


「実家は近くにあるの? 道順は分かる? 君はどうやら妃嬪付きの侍女という、後宮の中では高い身分だったようだけれど、元はよいところのお嬢様だったんじゃないかな? そうなると後宮へやって来るときも、誰かに連れて来てもらったんじゃないの? ひとりで帰れる?」

「え、ええ……確かに。勢いですぐにでも帰るつもりだったけれど、従者もいないのに無事にたどり着けるか分からないわ。家までは馬で二日よ。歩いてはとてもたどり着けない」

「では、まず実家に文を出してはどうかな? 後宮からは出られることになったから、誰か迎えを寄越してくれないかって。女性ひとりでは道中物騒だよ。今は皇帝が代わったばかりという事情もあって、ならず者が多い。そんな者に騙されて、売り飛ばされてしまうかもしれない。急ぐ気持ちは分かるけれど、それが一番いい方法だ。どうだろう?」


 侍女は少し迷ったような顔をしてから、旺柳に頷き返した。

 旺柳の言う通りだ。やはり翡翠も後宮に長く暮らして市井のことには疎くなってしまっていた。そのようなことは思いつきもせず、配慮が足りなかった。


「それまでに、私から橘徳妃にも話してみるわね。侍女にもそれぞれ事情があるから、どうかそれを認めてあげて欲しいって。長くお世話になったところだから、できれば夜逃げみたいなことはしたくないでしょう?」

「そうね……確かに。できれば、みんなにきちんと挨拶してからここを離れたいわ。でも……」

「なにか気になることでもあるの?」


「ええ……。橘徳妃は、どうあっても後宮を離れるわけにはいかないと頑なで。橘徳妃が後宮に来る前から仕えている侍女が、ご実家に帰るようにとどんなに勧めてもそれを断って……。橘徳妃はご実家との縁が深く、こんなことがあったら真っ先にお帰りになると思っていたのに」

「そこまで、後宮に思い入れがあるということなのかしら?」

「ええ、恐らくはそうなのでしょうね。一度後宮入りしたのならば、そこに骨を埋めるべきだと考えているようで……。処刑されるという話が出たときにも、動揺するそぶりなどまるで見せずに受け入れるより他にないというようにおっしゃって。橘徳妃のお心を変えるのは、なかなか難しいことのように思えるわ」


 翡翠は旺柳と顔を見合わせた。

 どうやら橘徳妃を後宮から出るようにと説得するのはかなり難しそうだ。だが、侍女のことは許してくれることを願う。


 彼女は、ではまずは文を出してみますと言い残して部屋から出て行った。書記役の佳耀に、今のことを書き留めておくように頼んだ。

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