第二章 後宮始末官誕生! ⑦
本当は薄々気付いていた。先日のあの様子で、翡翠に素直に従う者なんていないだろう、と。翡翠が無理に後宮始末官としての仕事を始めようとしても、それをおいそれと認める者などいないということなのだろう。
「そのね、他の女官たちに聞いたんだけれど、どうも後宮始末官という立場が、反感を買っているようで」
「そうね……それに下級官女である私に話に行きたいなんて人はいないんだわ。でも、後宮から出て行きたいって考えている人はいるはずよ。その行き先については管理することになってるから、申告に来る人はいるかと思っていたのに」
許可書なく後宮から出て行くことは許されない。逃亡と見なされて、皇城を守る警備兵に捕まって投獄されることになるかもしれない。
後宮を出るためには後宮始末官直筆の『後宮出立許可状』が必要であることは皆に知らせていた。それは帝が決めたことで、皇城内にも周知されていると聞いた。
「お達しが出ているようね、後宮始末官には従わないように、と」
佳耀の言葉に、旺柳が異を唱える。
「もう後宮内の身分はなくなったんだ。誰が誰のお達しに従うっていうんだ?」
「そう簡単なものではないのよ、長年染みついているものだから」
翡翠が言うと、旺柳はそのようなものか、と不満げに言いながらため息を吐き出した。
三人で顔をつきあわせているだけで時間が過ぎ、昼を過ぎても誰もやって来る気配はない。
旺柳はきっと忙しいだろうに時間を作って来てくれたのだ。今日はここまでにしてまた明日、と言いかけたときだった。
「あの……いいですか?」
ひとりの女性が扉を少しだけ開けてこちらに話しかけてきた。もちろん、と応じると周囲の様子を気にしてから、素早く部屋に入ってきた。
「あの! 私がここに来たことはどうか内密に!」
早口で言って、空いていた椅子に腰掛けた。
彼女には見覚えがあった。確か、橘徳妃の侍女であった。先日の話し合いの席で私たちに出て行けなんて乱暴なことは許さない、と言っていた。
一番に乗り込んできて、こんな面談をしても無駄だと言うつもりなのか、と身構えたが、そうではなかった。
「ねぇ! ここで言ったことは他には漏らさないって本当なの?」
開口一番、興奮した様子でそう迫った。
「えっ、ええ、もちろん。そのためにひとりひとり話を……」
「私は実は実家に帰りたいのよ! そう、今すぐにでもね!」
あまりの迫力に椅子から転げ落ちそうになってしまう。彼女の顔は真剣そのものだ。
「でも、橘徳妃様の手前、そんなことは言えなくて困っていたの」
主人が黒と言えば白いものでも黒である後宮で、仕えている者が自分の意志を示すのは難しい。
「実は、実家の母が具合を悪くしていて。もともと身体が弱い母だったのだけれど、今度こそいよいよ危ないかもしれない、という文を受け取って」
侍女は目元の涙を拭った。かなり思いつめている様子だ。
「橘徳妃はさほど悪い噂を聞かないわ。事情を話せば、分かってくださると思うけれど」
「ええ、そうね。橘徳妃様はそうかもしれないわ。話が分かるよい主人だから。でも、周りの侍女たちは違うわ。そんなよい主人に仕えているから余計に、侍女たちの結束が固いのよ」
「もう後宮はなくなることになって、妃嬪もその身分をなくしたのだから、仕えていた妃嬪の顔色を窺うことはないと思うのだけれど」
旺柳が口を挟むと、侍女は首を横に振った。
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