第一章 後宮守翡翠、後宮を死守できず。 ⑮
「なんだ?」
先ほどとは打って変わった冷静な口調に、警備兵はどこか安堵する。まるで人でも変わってしまったように思っていたが、そうではなかった。
(やっぱり俺の知っている旺柳様だ。あの女の前でだけは違うのか? 旺柳様は、女になどまるで興味がないと思っていたのに)
王都まで攻め上がって来る途中、その土地の豪族の長が自分の娘を差し出そうとしたことが何度もあったが、旺柳はその一切を断った。中にはこの国で一番ではないかというような魅惑的な女もいたのに。しかし旺柳は彼女をさっさと部屋から追い出して、警備の者に言い放ったのだ。『ああいうのは迷惑だから、今後一切私に近づけるのはやめるように』と。まるで自分の人生には女など邪魔だと思っているようだった。そこに、人ではない、神に近いなにかを感じていたというのに。
「先ほど、あの女に……」
そう言った途端に旺柳がこちらを振り返り、鋭い視線を飛ばしてきた。まるで射殺そうか、という目つきだ。
「ええっと、翡翠……殿に、始末官の手伝いをする、とおっしゃっていましたが」
「ああ、そうだな」
「旺柳様が、直々に、ですか? 皇帝として、他にやるべきことが……」
「それは重々承知の上だ。その役割を果たした上で、翡翠の手伝いをする」
「そのようなこと、可能なのでしょうか。俺は、旺柳様のお身体が心配です。あまり無理をなされては」
「心配は無用だ、自分のことは自分がよく知っている」
(それはそうでしょうけれど……)
旺柳は幼い頃、病を得て寝込むことが多かったらしい。そのせいか、体調管理には人一倍気を遣っていることも知っていた。彼専属の侍医もいる。
「それに、後宮内には他に気になることもある。それを調べるためには身分を偽って行動するのがいいだろう。これは一石二鳥なのだ」
「はあ……そうなのですか」
しかし警備兵には、翡翠に会いたいがためにそれらしい理由をつけているようにしか思えなかった。認めたくはないが、旺柳はあの女にぞっこん、なのであろう。
秀亥にはどう説明するつもりなのか、と気になった。
秀亥は今は旺柳の宰相を務めているが、師匠のような存在なのであるという。旺柳が皇帝となるためにさまざま助言をしてきたのは秀亥であり、彼には頭が上がらないところがあると、ふたりの間の雰囲気から察していた。秀亥は後宮始末官を立てることにも反対したと聞いた。後宮に居る者など、問答無用で殺してしまえばいいのだ、と発言したとも。その手助けをすると知ったらどうするか。
「ああ、そうだ。俺が翡翠の手助けをするとは他には知らせるな」
「は……はい。承知いたしました」
やはり秀亥に反対されることを気にしているのだろうと察した。
秀亥も、旺柳の翡翠に対する態度を見たら驚くに決まっている。
「あの……他に知らせないのはよいのですが、後宮に行くときにはぜひ俺をお側に付けてください。後宮とは、非力な女と宦官しかいない所でしょうが、どんな企みがあるかも知れません。その警備のために」
「それは……どうするか。俺は皇帝の従者のひとり、ということになっているのだ。それに警備がつくなどおかしな話だろう?」
「俺は旺柳様のこともそうですが、翡翠殿のことが心配なのです。俺も、微力ですがそのお力に少しでもなれれば」
「そうか! ならば任せた!」
そう嬉しそうに言う旺柳を見て、彼にある唯一の弱点が翡翠なのであろうと察した。ならば周囲に知られてはならない。新たな皇帝には付け入る隙がないと、周囲には思わせないといけない。
(俺が、なんとしても旺柳様を守らなければ!)
名もなき警備兵は固く決意した。
「ああ……そういえば、新たな皇帝になったのだから名を改めた方がよいかもしれぬな」
「え? 名前を改める、ですか?」
「そうだ、
そう厳しい目つきで言われ、拒むことはもちろんできない。
(絶対に、あの女に自分が皇帝であることを気づかれないように、そうするに決まっている。旺柳様、俺は心配です。そんなことで本当にこの国を治めていけるのでしょうか……)
警備兵は旺柳に気づかれないように、こっそりとため息を吐き出した。
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