第一章 後宮守翡翠、後宮を死守できず。 ⑤
「ふーん、そうなんだ」
もしかしたら墓場まで持っていくかもしれなかった、とっておきの秘密を明かしたのに、稜諒は平然としている。私の好物は実は鯰の唐揚げなのよ、と言っても同じ反応をするだろうな、という様子だ。そもそも彼はこういう人なので、予想通りと言えば予想通りなのだが。
「まあ、その方が得策だったね。あの妃嬪たちの嫉妬の嵐に巻き込まれるのは、本当に災難としか思えないことだから」
「そうなのよね」
皇帝を巡る、妃嬪たちの争いは本当に凄まじいもので、人間とはなんと醜く愚かなものなのかと人間不信になりそうだった。しかし一方では分かるのだ、妃嬪は皇帝の寵愛をなくしたらあっという間に凋落の一途を辿る。
「そうか、家族に文を書いているということは、翡翠は大人しく受け入れることにしたのか。突然現れた、誰とも分からない皇帝によって殺されることを」
稜諒は物憂げな表情で言う。
「いえいえ、大人しく受け入れたくなんてないわよ! だいたい、後宮をなくすっていうのも意味が分からないわ。皇帝の全てを奪おうと企んで、皇城まで攻め入ってきたんじゃないの? 後宮もその手中に収めればいいじゃない!」
「そうだなあ。前皇帝の後宮を奪ってそこに居る妃嬪たちを奪うことが、男の浪漫じゃないのかなあと思うけどな。まあ、俺はもう男じゃないからよく分からんけど」
稜諒はやけに気楽に言う。宦官にとって、男性でなくなってしまったことは屈辱的ではないのかなと思うが、稜諒にはそんな様子はまったくない。まあ、なくなっちゃったものは仕方ないよねー、と平気で言う。強がっているわけではなく、本当にそう思っているようだった。
宦官は、去勢された男性がなるものだが、そのほとんどは官刑によるものである。本人か、あるいは家族が罪を犯し、刑に処される。中には自ら望んで、あるいは親に強要されて、宦官になり皇帝の側近くに仕えようという者もいるが、この時代ではそんな者は僅かである。男性ではなくなったことを気に病んでいる者も多い。
「そうなのよね。皇帝とその子供を処刑するのは、酷い行為だとは思うけれど理解はできるわ。皇帝の子供の母である妃嬪を処刑したことも、やりすぎだとは思うけれどまあまあ理解はできるわ。でも、後宮人を全員処刑するというのはまったく理解できないわ。一体、なにを考えているのかしら?」
「前皇帝の後宮をきれいさっぱりなくして、自分だけの新しい後宮を作るつもりなのかな? 自分好みの女性を全国各地から集めて。酒池肉林の理想郷を作るつもりなのかも」
「うわっ、新しい皇帝ってそんな男なの? 最低!」
翡翠は食べかけの肉饅頭を口に放り入れてから、拳を握って上下に振ってみせる。もしこの場にその新皇帝がいたら、一発くらい殴ってやりたい気持ちである。
「知らんけど。ほら、英雄色を好むって言うじゃないか」
稜諒はいつもの飄々とした表情で言う。自分が無理やりに宦官にされたときと同じように、皇帝のやることならば文句は言えない、仕方がないという気持ちなのだろうか。
「考えてみたら、なんだか腹が立ってきたわ! なんで私たちが殺されないといけないのかしら? 別に望んで後宮に来て、好きで仕えていたわけじゃないのに。稜諒だってそうでしょう?」
「まあ……宦官たちの中にもなにも殺すことないじゃないかって憤っている者もいるよ」
「当然よ! 私たち別に、玄大皇帝なんて好きじゃなかったのに、玄大皇帝の後宮に居たからという理由だけで死ぬなんて」
「そう、その通りよ! なんで私たちが殺されないといけないの?」
突如として扉が乱暴に開かれ、香澄が飛び込んで来た。彼女だけではない、官女が五人、いや、六人、なだれ込むように部屋に入ってきた。みんな酒臭く、白い陶器の酒瓶と海産物の燻製を手にしているのが気になるが、その言葉はしっかりとしたものだった。
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