第一章 後宮守翡翠、後宮を死守できず。 ③
「でもね、連れて行かれた皇子と皇女、その母親はその日のうちに処刑されてしまったわ。皇后様も、ね」
「え……? そんなまさか」
衝撃的な出来事に、唖然としてしまう。しかし、香澄はそんな嘘をつくような人ではない。だから、それは紛れもない事実なのだろう。
「ええっと……その上、後宮人をすべて死罪に……?」
戸惑いつつ言うと、香澄はあっさりと頷く。
「ええ、そうよ」
「そんな……後宮の人たちはそれを受け入れているの?」
「仕方がないと受け入れている人もいるし、受け止めきれずに大騒ぎして周囲に当たり散らしている人もいるし、部屋に閉じこもって泣いている人もいるし、どうにかならないものかと親類縁者にはたらきかけている人もいるし、後宮から抜け出そうとして捕らえられてしまった人もいるわ」
香澄は怖いくらいに淡々と語る。もしかして香澄自身も突然の状況変化に付いていけず、ここ数日後宮内で起きたことを、自分とは関係のないことのようにしか捉えられていないのかもしれない。
「そんなっ、香澄はそれでいいの? このまま大人しく処刑されるなんて!」
「私には……親もきょうだいもいないし、故郷に帰っても待っている人もいない。後宮に入れられたときから、なにを望んでも無駄だと多くのことは諦めているわ。ただ、この場所で生きていればいい、とだけ。後宮と運命を共にするしかないわ」
そうして、香澄は弱々しく微笑んで首を何度も横に振る。
そんな彼女を見て翡翠はなんともいえない悲しい気持ちになってきた。このままなにもできないまま、死んでいくことしかできないのだろうか。
「……皇帝が死んだら」
「え?」
「皇帝が死んで新たな皇帝が即位したら、恩赦として後宮に仕える者たちが解放されるかもしれない、と聞いていたのに……」
「それが、後宮に居る者は全て処刑するって……今までの歴史の中で、そんな暴挙が許されたことがあったのかしら」
翡翠は堪らない気持ちになっていた。ここまで自分の人生がままならないものだとは。このまま自分の運命を嘆きながら死んでいくしかないのだろうか。
「私は歴史には詳しくないから分からないけれど……。はい、できたわ」
香澄はそう言って、繕っていたものを翡翠に渡した。
それは翡翠の外套だった。東翔門前にて、反乱軍に槍で突かれたものだ。
「大穴が空いていてどうしようもなかったので、布をあてて刺繍して誤魔化してみたの。どうかしら?」
「ええ! とっても素敵だわ! ありがとう」
そこには焦げ茶色の外套にとてもよく合う、白い百合の刺繍がほどこされていた。
香澄は後宮で尚服局という衣服に携わる局に属しており、絹糸を紡いだり布に刺繍をほどこしたりという仕事をしていた。彼女は黙々と作業をするのが好きで、口よりも手を動かす方が得意だと自分でよく言っている。
「でも、こんな妃嬪が身につけるような見事な刺繍、私にはもったいないわ」
「妃嬪もなにも、もういなくなってしまうのよ。後宮がこんなことになって仕事もなくなって、気を紛らわせるために刺繍してみたの。気に入ったならよかったわ」
香澄はそう言ってからのんびりと立ち上がった。
「外に水を汲みに行ってくるわね。それから、厨房に寄ってなにか食べられそうなものがあったら持ってくるわ」
「ええ……ありがとう」
翡翠が言うと、香澄は頷いて、部屋から出て行ってしまった。
ひとり残された部屋で、翡翠は虚空を見つめつつ、じっと考えていた。
皇帝は処刑されてしまうだろうとは思っていた。しかし皇后や妃嬪、その子供たちはどこかへ軟禁されてしまうかもしれないが、まさか命を取られるとは思ってもいなかった。
(その上、後宮人たちの命まで奪うなんて、そんな……)
翡翠は手で顔を覆い、しばらくそのまま身動きすることができなかった。
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