第一章 後宮守翡翠、後宮を死守できず。 ②


 ※


「え……後宮がなくなるってどういうこと? じゃあ、私たちは一体どうなるの?」


 寝床から半身を起こして、枕元に座る官女の話を聞いた翡翠は、戸惑いの声を上げた。


 後宮に反乱軍が攻め入って来て、五日後のこと。

 翡翠は後宮守としてなんとしても賊を止めてみせる、と頑張った上に馬に蹴られて気を失い、気づいたのはつい昨日のことだった。翡翠が寝ている間に、ずいぶんと状況は変わってしまったようだ。


「どうやら後宮にいる者は全員死罪に処されるという勅命が新皇帝から下ったようなの」

「どうやら……って、そんな人ごとみたいに!」


 興奮して立ち上がろうとしたところで頭がくらくらしたためにすぐにまた布団の上に座った。長く寝ていたせいなのか、まだ本調子ではない。


「人ごとのようなものだわ、分かっているでしょう? この後宮では私たちの意志なんて関係なく物事が運ぶのよ」


 同室の香澄こうちょうが、なにやら繕いものをしながら呟く。


 もちろん知っている。仕えている妃嬪の機嫌を損ねたら、殺されても文句を言えない身の上だ。その妃嬪も皇帝の寵愛をなくしたらたちまち後宮内での立場が失われ、女官や身分の低い官女にすら軽く扱われるようになる。かといって後宮から出ることも許されず、生殺しのように寂しい生活を余儀なくされる。皇帝が死ねば、その妃嬪も仕える者も、今までの華やかな暮らしを捨て、寺に送られるのが普通なのだ。


「今は北方から攻めてきた反乱軍によって皇帝が殺されて、この国がどうなるかという瀬戸際なのよ。なにが起きても驚かないわ」


 香澄は手を動かしながら暗く沈んだ声で語る。普段から大人しく気弱で、伏し目がちに話す癖がある香澄だが、普段以上に悲愴な表情で、もうなにもかもを諦めているという雰囲気があった。


「そ、それはそうだけれど!」


 思い起こしてみれば、確かに少し前から噂はあったのだ。


 北方のとある豪族が他の豪族たちと結託して軍を興し、皇城がある灯都とうとへと攻め入ってくるらしい、と。だが、間もなく皇帝軍によって制圧されてしまうだろう。身の程知らずもいたものだ、というような、世間話のひとつとして聞いていた。

 それが、五日前に突然灯都に反乱軍が大挙して現れ、大門を破ってやすやすと皇城へと攻め入り、あっという間に玄大皇帝は首を取られ、玄大王朝は滅んでしまった。


「これも運命なのよ、仕方がないことだわ」


 香澄はゆっくりと首を横に振る。


(私が寝ている間にそんなことになっていたなんて)


 俄には受け入れ難い状況を頭の中で整理していると、はっととあることを思い出した。


「そうだ! それより佳耀はどうなったの? まさか……」


 そうだった、皇帝よりも後宮がどうなるかよりも、佳耀のことが大切だった。


「佳耀なら怪我はしたけれど、命に別条はないと聞いているわ」

「そうなの……よかった」


 翡翠はほうっと胸をなで下ろした。


「ただ、怪我のためなのか高熱を出して寝込んでいるそうよ。しばらく静養した方がいいみたい」

「情けないわ……私、後宮守のはずなのに、私が守るべきだった佳耀に怪我を負わせてしまうなんて」


「仕方ないわよ。後宮守の役割は、後宮に出入りする人を監視することだもの。あんなふうに賊が押し入ってきたときに止められるなんて誰も思っていないわ。それを私たちが止めるのも聞かずに翡翠が飛び出して行って……」

「だって、居ても立ってもいられなかったんだもの」

「翡翠のそういうところ、私は好きだけれど。でもほどほどにしておいた方がいいわ」

「ありがとう。それで……私たちが処刑されてしまうってどういうこと? 私が寝ている間になにがあったの? 詳しく聞かせて」


 香澄は少々言葉選びに迷っているような仕草を見せてから、後宮の現状について話してくれた。


「後宮に侵入してきた反乱軍たちは、その時は大人しくしていれば危害は加えない、と宣言したのよ。後宮に居た皇子と皇女、そしてその母親は連れて行ったけれど、他の者にはなにもしなかった。だから怪我をしたのは数名よ。翡翠と佳耀と、それから逃げようと思って走ったところを躓いて足をひねっただとか、慌てて扉に指を挟んでしまっただとか」

「そうなの……よかったわ」


 翡翠はまずは安堵のため息を漏らす。自分が止められなかった反乱軍のせいで、多くの人が傷ついていたらどうしようと、気が気ではなかった。

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