18.その瞳に映るのは。
「いや、キスって」
「何。私とキスなんかしたくないってこと?」
「それ…………は……」
正直に言う。
そんなことは決してない。
今、こうやって、至近距離から見つめて改めて思う。
髪は、「ちょっと伸ばしてる男子」としても通用する長さだし、きっとこいつのことだ、化粧だなんだっていう女っけの溢れる行動も「めんどくさいから、やだ」というあまりにも大雑把すぎる理由でしていないはずだ。
けれど、いかに本人がずぼらだったとしても、元から持っているものは変わらない。
やや吊り上がった、けれど、きつさは感じられない目。うるおいを持った唇。そして、何よりもこの距離で感じるのは、その長くて、整ったまつ毛。
全てのパーツが、バランスよく配置された、この顔立ちだけは、後からどうにかすることは出来ない。朝風千草はそれくらい、美人だった。そりゃまあ、モテるはずだ。
が、その大変おモテになられる、今だって彼氏がいるはずの幼馴染は、俺に対してとんでもない要求をしているのだ。
断らなければ。
「お前、彼氏いるんだろう?浮気にならないか?」
「ならないよ。これくらい。
嘘を付け。
家族と親愛のキスをする女が、そんな潤んだ瞳をするものか。
なら次だ、
「ほ、ほら。ルールとしてさ。お互いの生活とかに大きく影響を与えるのは駄目ってあったろ?俺、これがファーストキスになっちゃうから。な?こんな罰ゲームみたいな形で人のはじめてを奪うなんて、ルール違反じゃないのか?」
正直、この説得理由はあまり使いたくなかった。
だってこれは、「お前とのファーストキスなんて、お断りだ」という拒絶反応にほかならないから。
ほんとはそんなことはない。初めてが千草なら……悔しいが、本人相手に認めることは決してないが、俺からしてみれば決して嫌ではない。むしろ、些細なことからのすれ違いによる別れとセットになる、苦い思い出として残るような初体験よりは、千草の方がいいまである。
が、そんな俺の理屈に対して千草は、
「大丈夫、私も初めてだから」
とんでもない理由で上書きしてきた。私も初めて。なるほど、それならばお互い初めてどうしだから大丈夫だな。よろしくお願いします。
そんなわけあるか。
相手が初めてだったら、なんでもいいのか。初めてどうしなら、誰にでも股を開くというのか。まあ千草さんったら、なんて破廉恥なんでしょう。そんなおどけた言葉はいくらでも思い浮かぶ。が、
「え……ちょっと待て。お前、キス、したことないのか?」
流石にこの事態は想定外だった。え、だってお前、今までなんども彼氏をとっかえひっかえしてるじゃないか。そりゃ、お前の口からキスをしたなんて話を聞いたことはないよ。ないけど、それだって俺はてっきり嘘だと思ってたんだよ。なのにお前は、
「したこと、ないよ。ずっと言ってたじゃん」
言ってた。
それは聞いている。
だけど、
「…………冗談かと」
千草がふっと笑い、
「私が、そんな下らない冗談を言うと思う?」
思わない。
確かに朝風千草というやつはそういう女だ。下らない嘘はつかない。というか、嘘自体、つくことは決してない。そんな彼女が「キスはしてない」と言っていたのだ。その言葉に、どうして嘘、偽りがあると思ったんだろう。どうして俺は、その言葉が信じられなかったのだろうか。
千草は続ける。
「私だって、誰でもいいわけじゃない。付き合う相手と、キスをする相手、セックスをする相手は別。だから、ずっとキスはしてない。それに見合う相手がいなかったから。けど、」
両手で俺の頬を包み込むようにして持ち、
「蒼汰なら大丈夫。だから、しよ?」
しよ?ではない。
いや、正直なところ俺に拒絶する理由なんてないんだ。幼馴染とはいえ、千草のことだって、好きか嫌いかで言えば好きだし。顔だって悪くないし。性格……は、普通に見れば悪いんだろうけど、そこも含めて朝風千草として受け取れるし、そんな相手とファーストキスなんて正直凄く、ドキドキはする。
けれど、
「いや、でも、」
「なに。まだ問題があるの?」
「それ、は……」
ない。
だから問題なのだ。
踏み出していいのか。こんな、俺も千草もアルコールが入った状態で。
俺は先ほどから存在感ゼロだった男の存在を思い出し、
「そうだ、
と、呼びかけてみたが、
「なんだ
うーわめんどくさい。超めんどくさい酔っ払いかたしてるよ。
富士川はそれからも、机の上に置いてあった空き缶を相手にこんこんと説教を繰り返していた。おかしいなぁ、こっちに戻ってくる前、俺と飲んでる時の富士川あんなめんどくさくなかった気がするんだけど、あれかな。歳をとって丸くなったのかな。
が、そんなわけで、昔馴染みの力は借りられない。ラピスはあれから一向に帰ってこない。となれば、この状況は俺がなんとかするしかない。
ないのだが、
「大丈夫。優しくしてあげるから」
そんな初めては痛くないかななんて心配をしているわけではない。そしてたかだかキスごときでそんな心配はしないし、そもそも俺は男なので、痛さは伴わない。
段々と、千草が顔を近づける。目を閉じて、まさにいま、キスをしようと、
「…………あれ?」
した。
いや「していたはずだった」が正解だ。
千草は俺とキスすることなく、肩に顔を埋め、
「……すー…………すー…………」
それはまあ心地よさそうな寝息を立てていらっしゃった。
なんなんだよ、これは。
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