19.嘘の付けない男。

 夜。俺は一人ベランダで黄昏たそがれる。


 都会は星が見えない、なんて話がある。


 単純な理屈だ。田舎ならば綺麗さっぱり明かりを消して、年寄りも若者も皆眠りにつくような時間でも。いや、むしろそんな時間こそ活発に活動する人々が都会には大勢いる。だから明かりが消えることがなく、結果として星々の光を感じることが出来ないってそういうこと。


 俺は別にそれらについてどうこう言うつもりもないし、田舎の方が星が綺麗だの、都会は明るすぎるだのと文句を垂れるつもりはない。


 むしろ、都会は都会でいいもんだ。一体いつ休んでいるのかも分からない、都会の働きアリさんたちの灯すビル群を眼下に見るもよし、こうやって、遠くにある家が、一体今は何をしているんだろうと想像するのもよし、都会には都会なりの楽しみ方があるってそういう話。


 おっと、ついうっかり、インテリジェントな一面が垣間見えてしまったね。こういうのは隠しても隠しきれるものではないからねフフフ。


 ……とまあ、訳の分からない冗談で現実逃避しても、俺の背後に広がっている惨状は分からない。


 千草ちぐさは俺をどぎまぎさせ……いや、どぎまぎなんかしていない。そんなわけあるじゃないか。潰すぞ。


 たかがキ、キスごときでどぎまぎしたり、胸が高鳴ったり、さっきまで食べていたものに、口臭に悪影響を及ぼすようななにかは言ってなかったかななんて考えたりなどしない。そう、俺はハードボイルド&ダンディな男だからな。キスなんて朝の挨拶にちょうどいいくらいなのさ。したことはないけどね、目覚めのキス。


 そんなわけで、俺は全然全く動揺もしていないわけだが、それとは別に、俺に対して衝撃的な事実を明かしてそのまま眠りの世界へとサヨナラバイバイした幼馴染は今、俺のベッドで寝ている。そのまま放置しておいてもいい気はしたのだが、まあ、なんとなくだ。


 三人の中で誰に使わせるべきかっていったら、まあ、闇鍋大会の勝者だろう。うん。そうだ。勝ったものには与えられるのだ。それくらいの権利はあの毒婦にだったあるだろう。きっとそうだ。


 その千草は今、俺のベッドで寝息を立てているのだが、それ以外の面々もぐっすりすやすや夢の世界へと旅立っている。


 これで俺も眠気との戦いに負けようものなら、このまま四人同時に同じ夢を見て、ひと悶着ありそうな絵面だ。え?ないよね?俺、なんかフラグ折ってないよね?またなんかやっちゃってないよね?そんな量産型チート主人公みたいなポカは嫌だぞ。


 まあ、考えても仕方ない。ともかく、そんなわけで、今俺の後ろには、未成年が飲んではいけない飲み物の缶があちらこちらに散乱しているわけで、証拠はきっちりと隠滅しておかなければならない。


 残った鍋の中身も当然あのままにしておくわけにはいかないし、その上、計三人の幼馴染と愉快な仲間たちが眠りの世界から帰ってこないままという、とてもとても手を付けたくない状況も解決しないといけない。マジでどうしよう。主に千草。俺、このままだと床で寝ることになるんだけど。


 と、まあ、宴の後始末について思いを巡らせていると、


「隣、良いですか?」


 ラピスだった。


 どうやら眠りから覚めたらしい。最初の帰還者だ。


「ああ、いいぞ。さあ、ラピスも一緒に、都会の夜を満喫しようじゃないか」


「なんですか、それ」


 俺の隣に来て、ベランダの手すりに体重を預けるような形で、外を眺めるラピス。その横顔はやはりというか、綺麗だ。このままじっと見つめていても決して飽きはこないと断言出来る。


 が、そんなことをしていては、いつしか視線に気づかれ、「あー蒼汰そうたさん、今、私に見とれてましたね?もしかして、女の子なら誰でもいいんですか?もー見境ないんですから」なんて、見当違いもいいところなツッコミをされてしまうに違いない。


 別に、俺だって、誰でもいいわけじゃない。ただまま、野郎ばかりのむさくるしい青春よりは可愛い女の子に囲まれてる方がいいと思っているだけだ。


 とと、そんなことを考えている場合じゃない。


 俺は主導権を握らせないために、


「いいか、ラピス。都会というのは夜遅くまで電気がついている建物が多い。従って、田舎よりも星が良く見えないという話がある。だがな、ラピス。それは一面に過ぎないんだ。星をはじめとした天体を夜空におけるトップカーストだと思うが故の過ちだ。その証拠に、ほら、見てみろ。こうやって、様々な家についているライトを眺めるのもそれはそれ面白いもんだろう。ほら、あそこの家はきっと、リビングに集まって食事でもしているんだ。こんなことを考えながら見れば、都会の夜だって、きっと悪くはない。そうだろう?」


 俺の長尺語りをラピスは一言で、


「あ、もしかして、緊張してます?」


「ち、ち、違わい。貴様、なんてことを言うんだ。このあかつき蒼汰をして、き、緊張しているだと?そんな馬鹿なことがあるわけが、」


「緊張してるんですよね?」


「…………緊張はしてない。でも、まあ、うん、横顔は綺麗だなとは思った」


 もっと本音を言えば、横顔を眺めたときに、うっかりその綺麗な口元に視線が行き、先ほど起こった、酔った勢いのファーストキス未遂を思い出した、というのが大方のウエイトを占めているのだが、そんなことを口にすればまた弄り倒されるのが目に見えている。だから、黙っておく。情報は隠すだけでも十分な効果を発揮する。これ、豆知識ね。


 と、まあそんな俺の動揺など知る由もないラピスはラピスは、少し意地悪気な笑みを浮かべて、


「ふふっ……ありがとうございます」


「別に、褒められることでもないだろう。ただ、事実を言っただけだ」


 それを聞いたラピスがぽつりと、


「……それを、もっと素直に言えれば、青春が欠乏するなんてことは無いと思うんですけどねぇ……」


 やかましいわ。


 ただ、それに関しては俺も否定が出来ないでの黙っていることにした。


 人間、どうして咄嗟の時には勇気が出ないんだろうね。ホントに一言、それだけでいいはずなのに。それがきっかけとなって仲良くなれる未来だってあるはずなのに。それだけのことが分かっていてもなお、どうしても一歩が踏み出せない。別にヘタレではない。これは女性を傷つけない為の、


「……でも、変ですね。今更私にドキッとするなんて。何か、あったんですか?」 


「あー……」


 悩む。


 言うべきだろうか。


 千草が俺に対してキスを迫って来た、と。


 しかも、男をとっかえひっかえすることが既に定期イベントと化していたあの朝風千草が、実は処女を散らすどころか、キスすらもしたことがなかった、と。


 ……うん、まあぶっちゃけ言うべきなんだけどね。


 だって、これ、大分俺の人生に関わる大きな出来事だから。


 なにせ俺は、こうやってリセットをくらって高校二年生をやり直している今の今になるまで、朝風あさかぜ千草は、まあまあなビッチだと思っていたくらいなんだから。


 中学の時分から既に彼氏をつくり、高校に上がった頃には定期的に乗り換えるようになっていた女だ。結婚の知らせを聞いた時にも、俺が最初に抱いた感想は「結婚なんて向かないだろ」だったくらいだ。


 そんな千草が、少なくとも高校二年生の春までは純粋乙女だったともなれば、これはもう一大事だ。それが、俺の青春にどう影響するのかは分からないけど……え、まさかとは思うけど、千草と付き合うなんてことにはならないよね?いやいやいやいや、それは無いでしょ。だって、あの朝風千草ですよ?ないないないない。


 しかしそうとなれば、千草がどれだけ純情乙女だったとしても、俺には関係ない。ましてや、ラピスになど知らせる必要性があるはずもない。そうだ。それでいい。これで世界には平和が訪れる。ラブ&ピース。人間、平穏無事が何よりだ。どこかの変態も言っていたじゃないか。植物の心のような人生が理想だって。感情が揺れ動くと動揺するからね。


 そんなわけで、


「別に、なんにもないよ」


「嘘ですね」


「う、嘘なわけあるか。まったく、とんでもないことを言う小娘だね。いいかい。俺がなんにもないって言ったら何にもないんだ。それが真実なんだ。行間なんて存在しないんだ。そんなものを読むのは、小難しい、ちょっとこじゃれた純文学様を読む時にでも取っておくんだよ。いいね!」


「……時々思うんですけど」


「な、なんでしょうか?」


「蒼汰さん、分かりやすすぎませんか?」


「そ、そんなこと」


「何か、あったんですよね?」


 にっこり笑顔と、ゆっくり丁寧な発音。凄いなぁ、きっとこれなら女子アナウンサーになって将来は玉の輿だよ、よかったね。ただし、


「目が怖いよ、目が」


 目が、笑っていればの話だが。まあ、うん、今のは俺も流石に分かりやすかったと思うよ。途中でやめたけど、俺も酔いが回ってるんだろうか。

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