6.無意識の行動は意外とすぐに忘れるものだ。

 ラピスはハリセンを白装束の中にしまい込み(一体どういう仕組みになっているんだろう)改めて、一文字一文字に実に力を入れて、


「ホントに大丈夫ですか?直前でヘタレてやっぱり傘を押し付けるだけになったりしませんか?」


 笑顔だった。


 それはもう非の打ち所がない完璧な笑みだ。


 ただし目は笑ってない。


 口調は実に丁寧だけど、本心は多分こんな感じ。


「だから言っただろこのヘタレ。おとなしく従え」


 ホントなら異論を挟みたい。挟みたいが、一度シミュレーションとはいえ、言った通りのミスをしているのでやりづらい。


 仕方ない。ここはひとつ従おうじゃないか。


「まあ、そうだな。俺が本気を出せば、学園のプリンセスと相合傘で帰宅をするくらいのことは朝飯前だ。が、事は俺の命のかかった一大事だ。それに、神の使いと言える存在に力を貸してもらえるなんて機会はそうあることじゃないだろう。だから、本来ならば俺一人でもなんとでもなるが、念には念を入れて、力を貸してもらいたい。危ない橋は叩いて渡る。これが人生において大事なことだからな。一昔前のゲームみたいにセーブ&ロードでなんどもやり直すなんてことが出来るわけでは無い。やり直しの効かない」


「やり直しは一応効きますけどね。ただ無限ループになるだけで」


「……万が一に無限ループに入ってしまうかもしれない状態では万全を期するべきだ。と、いうわけで力を貸してもらえるだろうか」


 それを聞いたラピスがため息一つに加えて、


「男のツンデレって需要無いと思うけどなぁ」


 とんでもないことをのたまっていた。うるさいぞ小娘。何がツンデレだ。いいか。ツンデレというのはだな。普段はつんけんしている、けれどビジュアルは可愛い子が、ふとした瞬間に見せるデレというギャップに対する萌え感情であって、俺の至って正当な理論に対して使うものじゃない。全く、これだから萌えのなんたるかを理解しない女は困る。この間だって千草ちぐさが、


「まあいいでしょう。サポートしますよ」


 おっと、うっかり幼馴染の勘違いエピソードを赤裸々に暴露して差し上げるところだった。危ない危ない。


「よろしく頼む……って言っても、実際に何を助けてもらうのかが分からないけどな」


「そうですね……」


 ラピスは腕組みをして、


「まず、その能登のと?さんに対するアプロ―チから変えましょう。蒼汰そうたさんは今日、その折り畳み傘しか持ってきていないんですか?」


「ん?ああ、多分」


「多分……ってまた曖昧な……自分の行動ですよ」


「いやだって、俺がこの時間軸に来たの、昼休みだぞ。傘を持ってきたかどうかなんて覚えてるわけないだろ」


「ああ、そういえばそうでしたね」


 ラピスは漸く合点が行き、


「ちょっと待っててくださいね」


 そう言いつつ白装束の懐から(それ中どうなってるの?)一冊の本を取り出し、片手で持つ……のではなく、空中に浮遊させる。ほどなくして、閉じられていた本はひとりでにぱらぱらとめくれ出す。


「今更何が起きても驚かないつもりでいたが……なんだそれ」


「ああ、これですか?これは蒼汰さん……いえ、蒼汰さんの“魂”に関する情報が記載された書物です……と、言っても、こちらの世界で取り扱う際に書物としての姿に認識されるようになっているだけで、実際はもっと概念的な、記録の集まりなんですけどね」


「なんか、あれだな、アカシックレコードみたいだな」


「あー……多分それに近い存在ではあると思います」


「マジで?」


「まあ、あくまで「近い」です。それそのものではありません。っと、あったあった」


「何を探してたんだ?」


「蒼汰さんの今日の出来事についてちょっと……ふむふむ……なるほど」


「な、なんだよ。何が書いてあるんだよ」


 気になる。


 要はそれ、俺の行動とか、そういったものが全部書いてあるってことだろ?


 とまあ、そんな感情は放置され、


「蒼汰さん。覚えていませんか?高校時代。貴方は学校に置き傘をしています」


「……あ」


 思い出した。


 思い出してしまった。


 そういえば俺はいつも、傘を一本必ず学校に置いておく習慣があった。より正確に言えば、俺、というよりもうちの学校の主に男子はそういうことをする風習があった。だから俺もそれに習っただけ。それに習って、下駄箱の傘立てに、


「だからあんなに大量に……」


 思い出す。 


 そう言えば下駄箱には大量の傘がささっていた。


 てっきりあれは。今日の天気予報をしっかりと確認してから登校したやつらが、帰りの為に持ってきたものだとばかり思っていた。もちろん、中にはそういう殊勝なアイテムが混ざっている可能性は否定できない。けど、大半は違う。あの大量の傘は八割がた、今日みたいな雨の日に向けて準備された、置き傘だったんだ。


 が、そうなると一つ気になることがある。


「なあ、ラピス」


「なんでしょうか」


「もし俺が置き傘をしてるんだとしたら、鞄に入ってた折り畳み傘は?意味なくないか?」


「ああ、それは簡単です。置き傘の存在をすっかり忘れたあなたは、家を出る際に雨の予報に気が付き、折り畳み傘を鞄に忍ばせた……みたいです。ちなみに、一度目の人生ではその折り畳み傘で帰宅していますね。せっかくの置き傘の存在も忘れて」


「ああー……」


 実に間抜けな話だ。


 が、俺ならやりかねない、という感覚があるのも確かだ。


 事実は、明るみに出てみれば実に単純でつまらないものだった。


「さて」


 欲しかった情報を得たラピスは俺の記憶が記載されているという本を閉じ、懐に(だからそれどうなってんのよ)しまい込み、


「これで相合傘の準備は整いましたね。それでは、」


「わっ」


 突然だった。


 辺りが白い光で包まれる。


 いや、違う。


 俺とラピスを除いたすべてが、光に溶けているんだ。


 やがて、周りはどこを見渡しても真っ白になった。


 後残っているのは俺とラピスだけ。


「シミュレーションだなんだと言いましたが、ある程度以上は当たってみるしかありません。その結果もしかしたら砕けて、さっきのようなことになってしまう可能性も、否定は出来ません」


「駄目じゃん。俺、死んじゃうじゃん」


 が、ラピスは首を横に振り、


「……その為に、私がいるんです。大丈夫。蒼汰さんの未来が明るいものになるようにサポートしますよ」


「あっ、おい、サポートって具体的に何をやるんだよ」


 段々と、二人の姿も曖昧になる。


 光に、溶けていく。


「それは……ついてからのお楽しみです」


「そんな彼女の手作り弁当みたいな」


「ああ、それから一応、折り畳み傘は鞄に忍ばせておいてください。以前と条件を変えると、それだけで問題が生じかねませんので」


「問題って、あっ、おい!」


「それでは、いきますよ!」


 言いたいことは沢山あった。


 聞いておきたいことも。


 だけど、それは出来なかった。


 ラピスが、今は見えない天へと手をかざす。


 すると、既に曖昧だった彼女の輪郭は更に曖昧になっていった。

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