第6話 忘却は周囲に混乱を齎す。

 上坂かみさかが俺と先輩に合流した。


「今日も暑くなりそうですね、先輩?」

「そうね。初夏だから仕方ないけどね」


 俺は単語帳を取り出して二人の会話を聞くだけにした。ここで下手に割り込んでも騒がしくなるだけだしな。空気に徹するに限る。


下野しもの君は朝から勉強?」


 空気に徹しようとしたら上坂から話題を振られてしまった。


「・・・」


 俺は沈黙したまま無視を決め込む。

 ここで応じようものなら周囲が黙っていないから。平凡顔が一年のマスコットに声をかけてもらっているってな。俺としても野郎共の怨念が増えるのは好ましくないのだ。


「凄い集中力だね。羨ましいよ」

「・・・」


 羨ましいって。

 そんなあっけらかんと言われてもな。

 だが、先輩からは注意されてしまった。


じゅん君、歩きながら単語帳を見るのは止めなさいね。また飛ばされたいの?」

「うっ」


 事故の時も横断歩道を渡りながら単語帳を見ていた。注意力が散漫となり飛ばされた。

 それを注意ネタにされたら仕舞うしかない。


「勉強も大事だけど命は一つよ?」

「すみませんでした」

「遅れているのは分かるけどね。少しでも取り戻そうと躍起になるのは仕方ないわ。でもね」

「先輩、辛いっす」

「先日も注意したでしょ?」

「うっす」

「・・・」


 すると今度は上坂が沈黙した。

 横目で見ると思案しているようだった。

 先輩の説教は校門前まで続き、俺も周囲の視線など気に留める余裕が無かった。今までのつもりに積もった鬱憤を吐き出すような説教だ。


「ここまででいいわね」

「すみませんでした」

「以後、気をつけるように」

「はい」


 校内に入った先輩は腕章を着けて校門前に立つ。鞄は校門裏の机に置いていた。


「私は挨拶運動があるから、ここまでね」

「生徒会長も大変ですね」

「仕事だからね」


 俺は沈黙の上坂と共に昇降口まで向かう。

 少し離れて一緒に登校してきた風に見せないように。隣同士だからかまたもや視線が痛い。

 昇降口に着くと上坂の下駄箱から大量の手紙が落ちてきた。スリッパを押しつぶすように詰め込まれた手紙の山、昔の俺以上の展開だわ。


「・・・」


 それを見た上坂は嫌そうな表情に変わり一枚一枚手紙を拾う。俺は困惑気味に呟いた。


「目安箱かよ」

「ぷっ」


 何故か手紙を拾っていた上坂が噴き出した。

 俺の下駄箱にはスリッパが無かったがな。


「いじめかよ」

「は?」


 手紙を拾っていた上坂も俺の呟きにきょとんだ。拾いながら上を向き溜息を吐く俺を見る。


「関係を断つと言いながら紛失行為は行うと」

「まるで女子のいじめだね、それ?」

「そんな気がした」


 靴を仕舞った俺は購買を思い出しつつ靴下のまま廊下を進む。飯代が浮いたと思ったらスリッパに飛んでった。今日も水道水で我慢だな。


(仮に担任に言っても取り合わないだろうな)


 問題児が何か起こしても知らんぷりだしな。

 購買に着くとおばちゃんにスリッパを頼む。


「在庫って、これだけ?」

「すまないね。滅多に売れないから」


 スリッパは各サイズで一つしか無かった。

 売れないからと寄せないのは驚きだがな。

 幸い、俺のサイズは有ったので助かった。

 買ったばかりのスリッパを履いて教室に向かう。靴下は盛大に汚れたが致し方ないよな。

 俺が教室に着くと今度は騒然とした。


「だ、誰だ?」

「あんな奴、居たか?」


 上坂は自分の席に座って手紙を開いていた。

 ご丁寧に一枚一枚読んでは溜息を吐く。

 俺の席に向かうとまたもギャルが居た。

 ドンッと机に座ってゲラゲラと笑う。


「邪魔」


 俺がそう呟くと苛立ち気に振り返る。


「はぁ?」


 振り返って目が点になりゲラゲラと笑っていた野郎共も開いた口が塞がらないでいた。


「「「はぁ?」」」


 同じ反応はクラス中からも巻き起こる。


「あ、あの席って」

「えっ? 嘘でしょ」

「どういうこと?」


 髪を切って眼鏡を着けてないだけだろうに。

 それくらいで驚かれては堪らない。


「で、邪魔なんだが?」

「あ、はい。退けます」


 何故かしおらしくなったギャル。

 昨日と今日とで雲泥の差があるだろ。

 こんなことなら切っておけば良かったな。


(ズボラだった昨日の自分を殴りたい!)


 席に座った俺は机の中に教科書を仕舞おうとした。しかし、教科書が上手く収まらないので何事と思い机の中に手を入れる。


「・・・」


 机の中には刻まれたスリッパが入っていた。

 なので視線をギャル達に向けるとバツの悪い顔でそっぽを向いた。自白してどうするよ?


(ここで問題にすると面倒だから放置するか)


 親父に伝えると更生だと言って飛んでくる。

 母さんに伝えると相手の親に請求しそうだ。

 俺は鞄からウェットティッシュを取り出して刻まれたスリッパを背後のゴミ箱に捨てた。

 机の中を丁寧に拭いて教科書を片付けた。


(今日もひと波乱がありそうだな)



 §



 下野君と登校した。

 先輩と揃って歩く様は何処か絵になった。

 それは美男美女。私が居ても隠れていた。

 美女に叱られながら歩いていたが周囲の話題は「あれは誰だ?」という興味だけだった。


(これは、もしかすると、もしかする?)


 先輩達は付き合いこそしていないが交際しているという噂が拡がっても不思議ではない。

 先輩も私と同じく告白行列の被害者だから。

 今朝は挨拶運動があるから昇降口での物音は響いていないが先輩も私と同じように下駄箱からバサバサと物音を響かせているのだ。

 先輩の場合は読まずに捨てるが日常だ。

 昇降口に着いて下駄箱を開けると、


(はぁ〜。またかぁ)


 バサバサと大量の手紙が中から出てきた。

 スリッパは潰れてしまい、スリッパを履く前に片付けが必要になった。何通あるんだか?

 私が渋々と屈んで拾うと下野君が呟いた。


「目安箱かよ」

「ぷっ」


 それを聞いてつい噴き出してしまった。

 言われてみればそうかもね。

 内容はどれも交際の願いを書いている。

 返事待ってます的な呼び出しも含めて。

 朝、昼、放課後。私の定番は屋上だった。

 対する先輩は中庭に呼び出される事が多い。

 生徒会が忙しいから無視しているけどね。

 すると今度は下野君が困り顔で呟いた。


「いじめかよ」

「は?」


 下野君の下駄箱は上段。私からは見えない場所にあって状況がよく読めなかった。

 まさか、スリッパが無いの?


「関係を断つと言いながら紛失行為は行うと」

「まるで女子のいじめだね、それ?」

「そんな気がした」


 女子が同性に行ういじめ。

 私も中学時代は遠目で見てきたが高校に進学しても同じ事を行う者が居ると知って呆れた。

 下野君は靴下のまま廊下を進み購買に向かった。私は手紙を拾ったのちビニール袋に詰めて教室に移動した。

 読みたくないけど無下には出来ないもんね。

 教室に着くと問題児の杜野もりのさんが最後尾の机に座っていた。ギャルなのに遅刻しない優良児というのが不思議でしかないが。

 そんな問題児共を一瞥しつつ自分の席に着いて手紙を開いた。

 手紙には定番の呼び出しが書かれていた。

 時刻と名前と用件が汚い字でつらつらと。


(紙の無駄だからいい加減、止めて欲しいよ)


 すると突然、教室が騒がしくなった。


「だ、誰だ?」

「あんな奴、居たか?」


 おそらく下野君が訪れたのだろうね。

 予想通りの展開で笑えてくるけど。


「あ、あの席って」

「えっ? 嘘でしょ」

「どういうこと?」


 私は騒ぎの中心が気になり後ろを向く。

 そこでは下野君が座っていてゴソゴソと机の中をウェットティッシュで拭いていた。


(あそこが下野君の席と・・・)


 杜野さんは顔面蒼白で頭を抱えており自分が何をやらかしたか理解しているように思えた。


(顔面至上主義だもんね。杜野さん)


 お近づきになれないと想像していそうだよ。

 他の問題児達も同様に動揺していた。


(私も動揺したもんね。その気持ち分かるよ)


 途中から手紙を読むのを諦めた私はくしゃくしゃに丸めてビニール袋に手紙を突っ込んだ。

 真面目に断る。それが急に馬鹿らしくなったのだ。あとは懲りずに告白する男子達と顔を合わせるだけなので見なかった事にしたのだ。

 席を立って下野君の背後にあるゴミ箱に手紙を捨てた。ゴミ箱には切り刻まれたスリッパがあった。ああ、これを杜野さん達がやったと。

 すると下野君が振り返り私に気づく。


「おっと、上坂さんか」


 私は下野君の足許に気づいて問いかけた。


「スリッパ、あったの?」

「なんとかな」

「それは良かった。ウチの購買は品数が少ない事で有名だからね。パンとか弁当は多くても取り扱う備品は少ないんだよね」

「そうだったのか」


 遅れて入学しているから知らなかったと。

 私は動揺組を一瞥しつつ下野君に助言した。


「だから次があるとは思えないけど、発注してもらって予備を確保しておいた方がいいよ?」

「そうだな。あとで購買に行ってくるわ」


 クラス委員と友達が知り合いなのって顔で見ているが、バイト仲間とは言えないよねぇ。

 そうしてホームルームが始まると先生が、


「えっと、どちら様?」


 出欠を取る前にきょとんとなった。

 視線は下野君に固定されていた。


「下野です」

「え? し、下野君? ホントに?」


 皆、反応だけは同じらしい。


「はい。そうですが?」

「え、えっと、昨日のは?」

「散髪を忘れていただけです」

「そ、そうなのね。じゃ、じゃあ、出席を」


 昨日との落差で先生も動揺していた。




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