第44話 まさかまさかの事実

スターターピストルの「パンッ」という乾いた音が響きわたり、第一走者の五人が一斉にスタートを切った。


控えている選手たちに樹里が目を向けるものの、同じ体操服を着た生徒が固まって座っているため、陽菜がいつ走るのかはわからない。


リレーに参加しない五年生たちが口々に「頑張れー!」「そのままそのままー!」と大きな声援を送る。なかなかの盛りあがりだ。


樹里たちの見ている前を、バトンをもった第一走者の男子が勢いよく駆け抜けてゆく。そのすぐ後ろを女子が追いかけ、少し離れて男子、女子、男子という順番だ。


男女混合リレーはどうしても男子が有利になりがちだが、なかなかどうして女子も頑張っている。同性である樹里たちも思わず手に汗握りながらリレーの様子を見守っていた。


次いで、スタートラインを少し飛び出した第二走者がバトンを受けとり駆け始める。すべての第二走者がバトンを受けとって走り始め、すぐに第三走者が並び始めた。


「あ! 樹里、あそこ! 陽奈ちゃんいた!」


興奮したように葉月が叫び、樹里は目を凝らしてスタートラインのあたりを凝視した。そこには、いつもとまったく変わらぬ表情の陽菜が立っていた。


「おお、陽菜ちゃん自信満々に見える……」


「いや、運動めちゃくちゃ苦手らしいよ。大丈夫かな……」


澄ました顔をしているものの、陽菜は決して感情がないわけではない。表に出にくいだけだ。実際には緊張しているんじゃないだろうか。樹里の心臓がにわかに鼓動を速めた。


先頭の第二走者が最後のコーナーを周る。二番手以降もそれほど大きな差はついていない。二番手で駆けこんできた走者が手を伸ばし、陽菜は後方を確認しつつ受けとった。


バトンを受けとる瞬間、樹里たち全員が心のなかで「落とすな!」と念じたのが効いたかどうかは不明だが、意外にもバトンパスはとてもスムーズだった。


うん、これなら。と思ったまさにその瞬間――


十メートルも走らず、陽菜がズシャッと派手に転んだ。途端に、応援していた五年生や父兄たちから大きな落胆のため息が漏れる。


「陽菜!」


もしかして怪我をしたのでは、と心配する樹里たちを尻目に、陽菜がムクリと何事もなかったかのように起きあがり、再び走り始めた。とりあえず怪我をしていない様子にほっとする樹里たち一同。だったが――


会場の空気はあからさまに冷めていた。五年生たちからの声援は止み、反対に「何やってんだよー」や「転んでんじゃねーよ」といった心ないヤジが飛び始める。


陽菜にその声が聞こえていないはずはない。普通なら心が折れる。が、陽菜は真っすぐ前を向いて走っていた。懸命に前を向いて走る姿に、思わず樹里の目頭が熱くなった。


今、陽菜には誰も味方がいない。同年代の友達はいないと言っていた陽菜。普段、彼女のことをよく思っていないクラスメイトたちが、ここぞとばかりにヤジを飛ばしているのかもしれない。


悔しい――


樹里が陽菜に声援を送ろうと、大きく息を吸い込んだ刹那。


「神木ーーーー!! 頑張れーーーー!」


スピーカーから流れる音楽をかき消すほどの大きな声援が樹里の耳に飛び込んできた。甲高い声だからか非常によく通る声だ。


見ると、リレーのアンカータスキを斜めにかけた女の子が、必死の形相で陽菜へ声援を送っていた。


「神木ーーーー! まだ大丈夫よーー! 私がきっと最後にごぼう抜きしてあげるから、頑張ってここまで戻ってきなさーーーーい!!」


樹里が思わず目を見開く。学校に友達はいないと言っていたのに、こうやって陽菜を気遣って応援してくれる生徒がいることに樹里は驚いた。


以前、陽菜が行方不明になったとき、彼女は同年代の女子と一緒にいたと聞いた。もしかすると、あの子がそうなのかもしれない。


「樹里! 私らも応援しなきゃ!」


咲良に促されてハッとした樹里が力強く頷く。そして――


「陽菜ーーーー! 頑張れーーーー! 諦めちゃダメだよーーーー!」


「陽菜ちゃーん! ファイトーーーー!」


「ゴールまでもう少しだよ陽菜ちゃーーーーん!」


「陽菜ちゃーん! もっと手を振るといいよーーーー!」


見た目派手なギャルたち四人が一斉に大声で声援を送り始めたため、生徒や教員、父兄たちが一斉に見物エリアの一角へと目を向けた。


ただでさえ目立つ樹里たちが大声で一人の少女を応援しているのだから、目立たないはずはない。たちまち樹里たちは注目を集めることになった。


「ね、ねえ。あれって読者モデルのジュリじゃない!?」


「凄い! ガルガルのジュリさんだ!」


「うそっ!? 本物のジュリ……? でも、なんで神木さんの応援を……?」


生徒たちにざわめきが広がってゆく。父兄たちのなかにもジュリのことを見知った者がいたらしく、ざわめきはますます広がっていった。


そして、樹里たちが陽菜を必死に応援していることで、会場に大きな変化が起きた。先ほどまでの陽菜に対するヤジは完全になりを潜め、彼女を応援する声が大きくなってきたのだ。


リレーに参加していない生徒や父兄たちも、一丸となって陽菜に声援を送り始める。そんななか、陽菜は表情を崩すことなく最後のコーナーを周っていった。



――別に、人の悪口を言うなとは思わない。自分だって、散々クラスメイトたちの前で神木の悪口を言ってきた。でも、いざほかの同級生たちが転倒した神木を罵り始めたとき、めちゃくちゃ頭にきた。


「神木ーーーー! 頑張れーーーー!」


気づいたとき、沙羅は自然と大声を出していた。陽菜を嫌っているとばかり思っていたクラスメイトたちが、ぎょっとしたように沙羅を見やる。


が、そんなことおかまいなしに沙羅はますます大声を張った。別にビリだっていい。それくらい、自分なら挽回できる。だって、私は足が速いから!


第三コーナーを周る陽菜に目を向け、沙羅は再度大きな声を張ろうとした。そのとき――


見物エリアの一角から「陽菜ーー、頑張れーー」という声が聞こえてきた。もしかすると神木の身内だろうか。そんなことを思いつつ、スタートラインに立った沙羅が見物エリアの一角を見やる。


「……は?」


そこにいたのは、金髪と茶髪のギャル、黒髪の女子、そして――


「ジュ……ジュリさん……? は? うそ……、本物……?」


間違いない。自分が推しの姿を見間違えるはずはない。周りからも「え、ジュリさん!?」といった声が次々とあがり始めている。


え? え? え? どういうこと? どうしてジュリさんが神木を応援しているの? てゆーか、あのギャルたちも神木のこと応援してるよね? いったいどういう関係??


「沙羅ちゃん! 神木さん来るよ!」


若干パニックに陥っていた沙羅だが、ほかのリレー選手から声をかけられハッと我に返った。そうだ、今はとりあえずリレーに勝つことを考えないと。そしてジュリさんのことは……。


バトンを懸命に振りながら陽菜がこちらへ向かってくる様子が視界に映る。スタートラインからややリードをとり、手を伸ばしてそのときを待つ。


駆けこんできた陽菜がバトンを握った右手を伸ばし、沙羅がそれをキャッチした。


「神木! あとで説明しなさいよ!」


それだけ言い残すと、沙羅は凄まじいスピードで駆けだし追い込みを始めた。陽菜がゴールしたのは五番手。ビリである。が、沙羅の目は先頭を駆ける走者へ向いていた。


これでも……足には自信があるのよ!!


驚異的なスピードで四番手につけていた選手を抜き去った沙羅は、またたく間に三番手の選手も風のように抜き去った。ビリから一位という大どんでん返しを期待し、会場のボルテージは最高潮に達した。


第三コーナーを周るとき、思わず樹里のほうへ視線を向けたくなったが、そこは何とか我慢する。沙羅の猛追を受けた二番手の選手も第四コーナー前で抜かれ、いよいよ最後の一人になった。


ヤバ……心臓が破裂しそう。でも……! 


先頭を走るアンカーは男子。二人の距離は十メートルもない。沙羅は最後の力を振り絞ってゴールへの直線を疾走した。そして――


『ゴ、ゴーーーール! 一着でゴールしたのは、紅組のゼッケン三番、白鳥沙羅選手! 何と、五番手からごぼう抜きしての大逆転勝利です!!』


それまで冷静にアナウンスしていた女生徒の、興奮した声がグラウンドへ響き渡った。まだ午前の部が終わったばかりだというのに、まるでクライマックスを迎えたかのように会場も沸いている。


「はぁ、はぁ……疲れた……ヤバ……」


肩で息をしながら両膝に手をつく沙羅。下を向いているため、顔を流れる汗が地面へぽたぽたと滴り落ちた。と、そのとき。地面に誰かの影が映りこみ、沙羅がおもむろに顔をあげる。影の主は神木陽菜だった。


「……お疲れ様でした」


「いや、もっと別の言い方あるでしょうよ……」


思わず苦笑いした沙羅だったが、そんなことより何より大切なことを思い出し「あっ!!」と声をあげた。



――運動会午前の部が終わり昼食タイムに入った。応援に来た家族と一緒に食事できるよう、学校側が体育館を開放してくれているため、樹里たちもそこで食べることに。


「じゃーん! 陽奈、いっぱい食べてね!」


三段重ねの重箱に詰められた豪華なお弁当を前に、陽奈の喉がゴクリと鳴いた。


「こんなに……時間、かかったんじゃないですか?」


「んーん。咲良にも手伝ってもらったしね。あ、皆んなも適当に食べてね! ええと、沙羅ちゃんに由美ちゃん、桃香ちゃんも!」


樹里に声をかけられ、完全に固まる沙羅たち三人娘。リレーのあと、陽奈を問い詰めた沙羅は衝撃の事実を伝えられた。


信じられない思いではあったものの、現実に樹里が陽奈を応援していたのは事実なので信じることに。昼食も一緒に食べるということなので、お願いして会わせてもらったのである。


ちなみに、樹里を間近で見た沙羅は、感動の涙を流しながら推しであることを伝えていた。樹里から直接「ありがとう!」と言われた沙羅はさらに号泣した。


そんなこんなで、一緒にご飯食べようとなり今にいたる。


「それにしても、まさか葉月と晶の知りあいまでいるとは驚きだったな」


スポドリとは別に持参していたお茶を紙コップに注ぎながら咲良が言う。


「ほんそれ! こんな偶然あんだねー!」


「ねー!」


知りあいとは、由美と桃香である。以前、タチの悪いギャルに絡まれていたところを葉月と晶が助けたのだ。


「私たちもびっくりしました……まさか、神木さんのお友達だったなんて……」


「あのときはありがとうございました」


正座した膝の上にかわいらしいお弁当箱を置いた由美と桃香がぺこりと頭を下げる。すでに樹里が作ったお弁当に夢中になっていた葉月と晶が「気にしないでー」と手をひらひら振った。


「ねえ陽奈。前に私たちが捜してたときさ、一緒にいた女の子って、もしかして沙羅ちゃん?」


「はい」


小動物のようにおにぎりをハムハムと食べていた陽奈が頷く。


「やっぱりそうだったんだ。沙羅ちゃん、陽奈と一緒にいてくれてありがとうね」


「や……! そんな、とんでもないですっ……!」


顔を赤くして俯く沙羅に、樹里が優しい笑みを向ける。


「それに……さっきのリレーで陽奈が転んだときも、大声で応援してくれて……めちゃくちゃ嬉しかった」


「そそそ……そんな……!」


推しと一緒に食事し、しかも感謝の言葉までかけてもらい、もう沙羅は天にも昇る心地だった。


「ふふ。これからも陽奈と仲良くしてあげてね」


「も、もちろんです!」


力強く返事する沙羅と、まるで保護者のようなことを言う樹里に陽奈がジト目を向ける。


「樹里、その言い方は母親みたいですよ?」


「や、そこはせめてお姉ちゃんとかにしてよ」


「でも、樹里って料理から掃除まで何でもできるし、どちらかというと母な感じが」


「そんなこと言う子にはエビフライあげません」


「! それはズルいです。大人げないですよ樹里」


「ふふーん。お口にあーんしてあげようか?」


「そんなこと言う樹里にはこうです」


陽奈に指先で横腹をツンッと突かれ、思わず「ひゃん!」と情けない声を出してしまった樹里。


「んも〜! 変な声出ちゃったじゃん!」


「樹里が意地悪するからですよ」


おなじみなやり取りに、咲良や葉月たちがニヨニヨとした笑みを浮かべる。


「まーたイチャつき始めた」


「最近どこでもイチャつくよね」


葉月と晶に言われ、ハッとした樹里と陽奈が恥ずかしそうに頰を染める。


一方、沙羅は陽奈のまったく見たことのない一面を目にしただただ驚いていた。そして、お互いが名前で呼び捨てできる関係性にも。


由美と桃香はというと「友達というより恋人同士みたい」と腐女子のようなことを考え、胸アツなシチュに悶々としていた。


そんな女子たちに混じり、完全に空気と化していたマコトは樹里に近づこうと試みる男たちを目で威嚇しつつ、黙々と食事をとるのであった。


そして昼休憩を経て始まった午後の部では、リードしていた紅組が白組の猛追を受けるものの、驚異的な粘りで何とか逃げ切りに成功。結果、陽奈や沙羅が属する紅組の勝利で幕を閉じたのであった。

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永遠のパラレルライン 瀧川 蓮 @ren_takigawa

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