第43話 この競技っていったい何なん?
「樹里~、揚げ具合見て~」
エプロン姿で佐々本邸のキッチンに立つ咲良は、油が煮えたぎる鍋に浮かんだ鶏肉を菜箸で動かしつつ樹里へ声をかけた。ダイニングテーブルでおにぎりを握っていた樹里が、カウンター越しに鍋を覗く。
「うん、いい感じ。揚がったらトレーの網の上に置いてってー」
「あいよー」
本日は陽菜の通う私立聖蘭学院小学校の運動会。樹里の家では、朝から咲良と二人して運動会へ持参するお弁当づくりが進められていた。
当初、樹里は一人で作る予定だったのだが、五人分のお弁当となると結構な量になってしまう。そこで、友人のなかでは唯一料理ができる咲良を朝から呼び出したというわけだ。
「うーん、三段重ねの重箱が二つか……これ、電車で運ぶの大変かなぁ?」
おにぎりを作り終えた樹里が唐揚げを重箱へ詰めながら咲良へ視線を向けた。
「ああ、心配すんな。ちゃんと足を用意してるから」
「え。そうなの?」
「多分そうなるだろうと思って、昨日の夜に車もってるツレに連絡しといたよ。十時すぎには迎えに来ると思うぞ」
咲良の抜け目のなさ、もとい抜かりない段取りに「やっぱり咲良は凄いなぁ」と樹里は内心舌を巻いた。それにしても、いったい誰にお願いしたのだろうか。
海行くとき車運転してくれた山里さん……、なわけないか。あの人、陽菜の学校の先生なんだから。
「……それより樹里」
「ん、何?」
小麦粉を解いたボウルをシンクで洗っていた咲良が、樹里へちらりと目を向けた。
「最近……その、どうだ? 例の……アレ」
咲良が言わんとしていることを理解し、樹里の心臓が一瞬だけドクンと大きく跳ねた。
「ん……、大丈夫。ときどき……変な写真が送られてくるだけ」
「それって……盗撮? まさか、下着とか……?」
樹里が唇をキュッと噛んだのを見て、咲良の顔が思わず険しくなる。
「それって全然大丈夫じゃないだろ。警察には?」
「何も……。てか、スカートのなかの盗撮写真だしさ、本当に私なのかどうかよくわかんないんだよ。まあ、私がもってるのと似てるのもあったけど……」
「……ほかには?」
「……制服着てるときに、離れたところから撮ったみたいなのもあった」
「……ただの、イタズラにしちゃタチ悪いと思うんだけど。わざわざ盗撮した写真をSNSで本人に送ってくるなんてさ」
「まあ……読モの活動でそこそこ有名になっちゃったし……有名税ってやつ?」
あはは、と笑った樹里の頬がかすかに引き攣っているのを咲良は見逃さなかった。依然として咲良の眉間には深いシワが刻まれたままだ。
「なあ……。もしかして、
樹里の肩がびくんと跳ね、重箱へ盛りつけしていた手が止まる。その手がかすかに震えているように見えた。
「そんなはず……ないよ。だって日本にいないんだからさ」
咲良は言うべきかどうか悩んだ。夏のあの日、繫華街でアイツの弟に似た男を見かけたことを。だが、確信がない。確信がもてないことを樹里に伝え、いたずらに不安な気持ちにさせたくはなかった。
「……陽菜ちゃんに、相談してみるとかは?」
「やめて。そんなことで陽菜に迷惑かけたくないし、変なことに巻き込みたくもないから」
キッ、と力強い瞳で睨まれ、咲良は閉口するしかなかった。
「そもそも、咲良は心配しすぎだって。私のものかどうかよくわからないエッチな写真が送られてくるだけで、実害は何もないんだしさ。大丈夫大丈夫。さ、早くお弁当仕上げちゃお」
あっけらかんと言い放つ様子に、咲良が若干呆れた表情を浮かべる。と、そのとき――
ピロリン、と軽快な音がキッチンに響いた。
「LIMEか……。お、樹里。ツレがマンションの前に着いたらしいぞ」
「おっと、急がなきゃね。咲良、冷蔵庫からスポドリ出して水筒に移してくれる?」
「あいよー」
にわかにバタバタし始めたものの、すでにお弁当そのものは完成しているため、あとは重箱を包んで水筒にスポドリを入れるだけだ。
「よし……これでいいかな。咲良、行こう」
「おう」
結構な量となった荷物を何とか抱え、二人は家を出た。
――ほどよい気温に雲一つない青空。絶好の運動会日よりということもあり、聖蘭学院小学校には保護者を中心に大勢の見物客が訪れていた。
『次はプログラム十番、四年生と五年生による玉入れです。選手の方は準備をしてください』
運動会では定番のミュージック、ヘルマン・ネッケのクシコス・ポストが流れるなか、かわいらしい女生徒のアナウンスがグラウンドに響く。
紅組と白組にわかれて素早く整列した四年生と五年生の選手たち。彼、彼女らが視線を向ける先には、先端に網状の籠を設けたポールがそびえ立っている。
「はぁ……」
気合いを入れる紅組選手たちのなか、体操服姿の陽菜がそっとバレないようにため息をつく。
前にも思ったけど、この玉入れという競技はいったい何なのだろう。落ちている玉を拾って籠に投げ入れるだけって……。いったいどのような意味があるんだろうか。はっきり言って、樹里や葉月さんふうに言えば「イミフ」だ。
いや、それを言っちゃうとバスケットボールとかも否定することになってしまうけど。そんなことを考えている間に、教師がスターターピストルで競技開始の号砲を鳴らし、陽菜たちは一斉にポールめがけて駆けだした。
ほかの選手たちからもみくちゃにされつつも、何とかお手玉を拾っては投げ入れる。それほどの貢献はしていないものの、結果は陽菜たち紅組の勝ちだった。
はぁ……疲れた。体操服のハーフパンツ、そのポケットから運動会のプログラム表を取り出した陽菜が、次の出番を確認し始める。
ええと、次は昼食前のプログラム十五番……ああ、リレーか。リレーか……リレーか……。
はっきり言って、めちゃくちゃ気が重い。玉入れのような団体競技ならまだしも、リレーではどうしても目立ってしまう。悪い意味で。
しかも、どこかで樹里たちが見ているとなるとなおさら緊張もする。競技スペースから出た陽菜が、グラウンドの南側で人垣をなす見物客たちに視線を巡らせる。うん、どこにいるのかまったくわからない。
再びため息をついた陽菜は、重い足取りで紅組の待機スペースへと足を向けた。
──校門を抜けて少し歩いたあたりに見学できそうなスペースを確保した樹里たちは、多くの父兄に混じって運動会の様子を見物していた。
「やー、玉入れとかちょ〜懐いんだけど!」
「わかるー! てか陽奈ちゃん頑張ってたね!」
きゃいきゃいと盛りあがる金髪と茶髪のギャルに、周りの父兄がちらちらと視線を送る。
「でもまあ、多分『玉入れとか意味わからん』とか考えながらやってたと思うよ」
「まあ……陽奈ちゃんだしな」
二人して苦笑いを浮かべているのは樹里と咲良。どちらもかなりの美少女であるため、葉月や晶とはまた違った意味で目立っていた。そしてもう一人──
「まさか……この年になって小学校の運動会を見物する日が来るとはな……」
腕組みをしたままグラウンドへ鋭い目を向ける長身痩躯の男。以前、陽奈捜索大作戦のとき手伝ってくれた風間マコトである。
そう、咲良が足にしたのは、何と葉月と晶の先輩であり、限りなくグレーな世界の住人であるマコトだった。
「たまにはいいだろ、こういうのも。子どもたちに癒されりゃ少しは目つき悪いのもマシになるんじゃね?」
ニヤッと笑う咲良にマコトが眉根を寄せる。一方、葉月と晶は咲良のとんでもない物言いに戦慄していた。
何せ、マコトは地元の不良なら誰もが知る大物だ。ぞんざいな態度をとったものがどうなってきたのかもよく知っている。葉月と晶が何より驚いたのは、そんな咲良の接し方をマコトが楽しんでいるように見えたことだ。
「はぁ……咲良、お前もう少し年上を敬ったらどうだ? この俺にそんな口きけるのお前くらいのもんだぞ? まあいいけどな」
少し呆れた表情を浮かべたマコトが胸ポケットからタバコを取り出そうとしたため、すかさず咲良が横腹を指先で突き刺す。
「うぐっ……! そういうとこだぞ……!」
「いや、こんなとこでタバコ吸おうとしてんじゃねぇよ」
二人のやり取りをハラハラしながら見つめる葉月と晶。一方、樹里は何だか楽しそうな咲良を目にして口元が綻んだ。
「マコトさん、わざわざすみませんでした。咲良がツレに迎え頼んでる、なんて言うから誰かと思ってたんですが、まさかマコトさんだったなんて」
「気にすんな、嬢ちゃん。つーか、やっぱ嬢ちゃんは「ちゃんと」してるな。咲良とは大違いだ」
再び横腹を攻撃されると思ったのか、マコトがそっと咲良から離れる。当初、樹里は二人がつきあっているのかと思ったが、どうやらそのような関係ではないようだ。
おそらく、咲良の男より男らしい部分を気に入っているんじゃないか、と樹里は考えている。実際、二人のやり取りを見ていると、男子の親友同士が楽しくじゃれているように見えるのだ。
「いやいや、困ったときは連絡してこい、って私に連絡先よこしたのそっちじゃん」
「だからって、一回しか会っていない男に「買い物しすぎて荷物が増えたから車で迎えに来てくれ」なんて言うか、普通? 衝撃すぎてしばらく呆然としたぞ?」
まさか咲良がそのようなことまでしているとは露知らず、葉月と昌は腰を抜かしそうになった。相当ヤバいヤツだとは認識していたが、そこまで突き抜けていたとは。
「そのうち礼はするさ。何なら、いいシノギの仕組みでも考えてやろうか?」
「……それは、そのうち本当に頼むわ」
ニヤリと口角を吊り上げた咲良に対し、マコトも同じように口の片端を吊り上げる。その様子を見ていた樹里と葉月、昌は「これ最凶最悪のコンビが誕生したんじゃ……」と心のなかで呟いた。と、そのとき――
『次はプログラム十五番。五年生によるリレーです。選手の皆さんは整列してください』
スピーカーからアナウンスが響き、樹里がつま先立ちになってグラウンドへ目を向けた。
「これが午前中最後のプログラムかな? 陽菜出るのかなー?」
「プログラム表とかもらってないん?」
「うん。恥ずかしいからってどのプログラムに出るとかも教えてくれなかった」
駆け足で素早く整列していく生徒たちに目を向ける。と――
「あ、いたいた! 陽菜出るみたい」
「お。もう少し前で応援するか」
スマホやビデオカメラを構える父兄たちのあいだをかきわけるように樹里たちが進んでゆく。迷惑そうな目を向ける者もちらほらいたものの、マコトにジロリと睨まれるとたちまち顔を背けた。
そしてついに、聖蘭学院小学校運動会、午前の部最後のプログラム、リレーがスタートした。
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