第35話 絶対に言いつけます

いろいろと周っているうちに交代の時間がやってきたため、樹里はやや急ぎ足で教室へと向かった。


陽奈はもう少し周ってから帰るらしい。夜に電話する約束をして別れ教室へ戻ると、二時間前よりずいぶん混雑は解消されていた。


「メイド長、戻りましたー!」


「おかえり。じゃあ剣城さんと花山さん、立川さんは休憩入ってね」


はーい、と返事した咲良たちが教室をあとにする。こちらへ向かって手を振る咲良に手を振り返し、樹里は再び営業スマイルを浮かべた。



──さすがに、ずっと猫かぶってるのはしんどいな。


ガヤガヤと賑やかな廊下を歩きながら、咲良は窓からグラウンドを見やった。


グラウンドでは、野球部やサッカー部、陸上部など運動部が特設ブースを設けて来場者を楽しませている。


何か面白いものがあるかもしれない。太陽の光も浴びておきたいと考えた咲良は、正面玄関のほうへと歩き始めた。


それにしても、まさか素人のメイドカフェにあれほど客が来るとは思わなかった。それほどメイドというコンテンツが人気ということか。


まあ、うちのクラスには樹里もいるからな。咲良はスマホを取り出すと、少し前に撮影した動画を再生した。


『美味しくなーれ! 萌え萌え〜きゅんっ!』


プライベートでは絶対に見ることのできない樹里の貴重な姿。咲良はにんまりと口角をあげた。


撮影した動画を保存すべく、契約しているクラウドストレージへとアクセスする。フォルダ一覧のなかから、『樹里 高二』と銘打たれたフォルダを展開した。


ちなみに、咲良のクラウドストレージには、小学生のころから撮り溜めた樹里の写真や動画が山ほど保存されている。


保存作業を終えた咲良が靴を履き替え外へ出る。家族連れも多く、子どもたちの楽しげな声が風にのって流れてきた。


さて、どこへ行ってみようかな。咲良がグラウンドへ視線を巡らせていたところ──


「咲良さん」


突然背後から声をかけられ、咲良は弾けるように振り返った。そこには、感情がまったく窺えない表情のまま立つ陽奈の姿があった。


「ひ、陽奈ちゃん。びっくりした……」


「すみません、驚かせて」


「んーん、大丈夫だよ。樹里とはいろいろ周れた?」


「ええ。葉月さんと晶さんのステージも見てきました。あのお二人、実は凄かったんですね」


「はは。中学生のころやってたバンドも相当人気だったみたいだしね」


「それと……数学研究会の部室にも行ってきました」


咲良の眉がピクリと跳ねたのを陽奈は見逃さなかった。


「難易度S級のスペシャルコンテンツ。あれ、咲良さんが作ったと聞きました」


「……」


「ずいぶんと意地悪な問題でしたね。少しだけ悩んでしまいました」


陽奈からじっと見つめられた咲良は、にわかに天を仰ぐと大きくため息をついた。


「……ということは、やっぱり陽奈ちゃんには解かれちゃったか」


そっと呟いた咲良の声は、悔しさと哀しさが入り混じっているように陽奈は感じた。


「……咲良さん、あなた──」


「陽奈ちゃん、場所変えようか」


ちらちらと見てくる視線に気づいた咲良は、にっこりと笑みを浮かべると陽奈と一緒に歩き始めた。


「自意識過剰かもしれないけど、私割と目立つからさ。私が小学生の女の子と一緒にいた、って樹里が誰かから聞いたら嫌な気待ちにさせちゃうかもだから」


「そう……でしょうか?」


「多分ね。えーと……屋上なら誰もいないかな」


先導して歩く咲良の後ろを陽奈が黙ってついていく。階段で校舎の四階までのぼり、屋上へついたころには二人とも肩で息をしていた。


「はぁはぁ……あー、疲れた。んー……でも風気待ちいいー……」


「わ、私も疲れました……」


屋上の周りは転落防止のため鉄製のフェンスで囲まれていた。咲良がフェンスのそばへ近づき、グラウンドを見下ろす。


「ふふふ……見たまえ陽奈ちゃん。人がまるでゴミのようだ」


「咲良さん……めちゃくちゃ悪い人に見えますよ」


あはは、と乾いた笑みを漏らした咲良は陽奈のほうへ向き直り、フェンスへガシャッともたれかかった。


「えーと……何の話してたっけ?」


「数学研究会のスペシャルコンテンツです。あの問題、数十年前にある天才数学者が考案した問題をアレンジしたものですよね?」


「……うん」


「その数学者が考えた問題は誰にも解けず、数学界最大の謎とも言われてたとか。その問題を自分なりにアレンジして出題するなど、尋常なことではありません」


「……」


「つまり、咲良さんはその問題を解いていた。そのうえで自分なりにアレンジを加えて数学研究会にコンテンツとして提供した。まあ、研究会の人たちもそこまでは気づいていなかったみたいですが」


「はぁ……叶わないなぁ、陽奈ちゃんには」


苦笑いを浮かべた咲良が、艶やかな黒髪をかきあげる。陽奈はその様子をじっと見つめた。


「咲良さん……あなた、ギフテッドですね?」


「……うん」


「樹里は知っているんですか?」


「んーん。誰にも言ったことないよ。子どものころから周りにバレないよう生活してきたしね」


「……やはりそうでしたか」


「ありゃ。そこまでお見通しだった?」


「樹里が言っていました。咲良さんは頭がいいのに音楽など芸術分野は苦手だと。それから、成績にもムラがあると」


ギフテッドは特定分野に秀でた能力をもって生まれてくる。そのため、それ以外の分野はまったくダメ、といったケースは珍しくない。


「あらら。じゃああの問題を見るまでもなくバレてたわけか」


「ええ……私も過去に同じようなことをしようと考えたことがありますから」


「わざと成績を落とす的な?」


「はい。でもできませんでした。こう見えても負けず嫌いなので」


「ああ、なるほど」


咲良がフェンスから離れベンチを指さし、「座ろうか」と口にした。二人並んでベンチへ腰をおろす。


風に煽られた咲良の黒髪が横へ流れ、シャンプーのフローラルな香りが陽奈へまとわりついた。


「……なぜ、ギフテッドであることを隠そうと?」


「……まだ私が小さなころは、個人情報の保護とかプライバシーとか、今ほどうるさくなかったんだ。私がギフテッドだとバレたら、そのときの生活が壊れちゃうんじゃないかと思ったんだよね」


「それは……分かります」


「一番耐え難かったのは、樹里と離れ離れになるかもしれないってことだった」


「樹里と?」


「子ども心に、ギフテッドってバレたらどこか遠くに連れて行かれるんじゃ、樹里と引き離されちゃうんじゃないかって、不安になったんだよ」


「……」


「樹里は……私にとって初めてできた友達なんだ……」


目を伏せた咲良が絞り出すように呟く。こんな様子の咲良を見るのは初めてだった。


「……今回、あんな問題を文化祭のコンテンツとして提供したのは?」


「……あれは、陽奈ちゃんに向けて作ったんだよ。陽奈ちゃんなら、必ず数学研究会の部室へ行くと思ったから」


「私に向けて?」


「……うん」


正直、陽奈は咲良がなぜそのようなことをしたのか理解できなかった。


「ごめん……ほんとに。魔がさしたんだ……そんなことしても意味ないって……自分でも分かってるのに……」


申し訳なさそうに言葉を紡ぐ咲良。一方、陽奈は咲良が何を言っているのかさっぱり分からず、ただただ困惑していた。


「いったい、どういうことですか?」


「……」


目を伏せたまま下唇を噛む咲良の様子は、いつもの自信満々で姉御肌な咲良とはまったく別人のように見えた。


「……もし、陽奈ちゃんがあの問題を解けなかったら、樹里が私を褒めてくれると思ったんだ……『咲良凄い!』って……」


思わぬ言葉に陽奈が目をぱちくりとさせる。


「私は……私は……また樹里の一番になりたかったんだ……」


その言葉で陽奈はすべて理解した。小学生のころからずっと一緒だったかけがえのない存在。


おそらく、これまで何をするにも樹里の隣には咲良さんがいたのだろう。でも、私と出会ってからの樹里は明らかに私とすごす時間が増えた。


樹里が私を求めてくるように、私もまた樹里を求めた。その結果、咲良さんは……。


「ごめんね……こんなこと……情けないし、ほんとやだ……」


弱々しく蚊が鳴くような声で言葉を紡ぐ咲良。思わず陽奈は、膝の上で小刻みに震える咲良の手にそっと触れた。


「……私こそ、ごめんなさい」


その言葉に、咲良が弾けるように陽奈へ向き直った。


「陽奈ちゃんが謝ることなんてないよ! 私じゃ、結局樹里の心の隙間は埋められなかったし、樹里に陽奈ちゃんみたいな友達ができてくれたことは本当に嬉しいんだから」


「……」


「陽奈ちゃんと出会って、樹里はめちゃくちゃ元気になったというか、自然な笑顔が増えたんだ。そんな樹里を見られるようになって、私も嬉しいんだ」


咲良が真剣な目で訴える。


「ほんと、今回のことは魔がさしたんだ……ごめん」


「咲良さんが謝ることなんてないですよ……」


「んーん……恥ずかしいよね、いい年してヤキモチなんて」


「ヤキモチ……妬く必要はないと思います。私と一緒にいるときも、樹里はよく咲良さんのこと話してますよ?」


「え……」


「夏休みにうちで勉強してたときも、樹里が咲良さんの話ばかりするものだから、私嫉妬しちゃって……ちょっと樹里を困らせちゃいました」


まさかそんなことがあったとは露知らず、咲良はついぼーっとしてしまった。


「樹里にとっては、咲良さんも間違いなく大切な友人なんだと思います。だから、私にヤキモチ妬く必要なんてないんです」


「……うん。ありがと、陽奈ちゃん……てか、こんな小さな子に慰められて、私めっちゃ恥ずかしいヤツじゃん」


「小さな子って……私これでも小五なんですけど?」


少しいつもの様子を取り戻した咲良に、陽奈がジト目を向ける。


「あはは……そうだね。ありがとう陽奈ちゃん」


そう言うなり、咲良は陽奈の肩を抱いて引き寄せた。


「……え」


そして、そのまま陽奈のやわらかな頰に唇で軽く触れた。突然の出来事に、顔を真っ赤にさせて全身を硬直させる陽奈。


「な……なな……何を……!」


「ふふ、お礼のキス。海外じゃ普通でしょ? てか樹里ともいっぱいしてるでしょ?」


「し、し、してません!! そ、そんな、母親からもされたことないのに……!」


ふるふると肩を震わせる陽奈を見て、咲良は「しまった」と言わんばかりの表情を浮かべる。


「ありゃ……それは申し訳ない。とりあえず樹里には内緒にしとこうか」


「……絶対に言います」


「ええー!? 何で?」


「あとから何かの拍子にバレたほうが絶対にややこしくなりそうだからですよ」


少し咲良から距離をとった陽奈がジト目を向ける。


「あ、はは……それもそうか。はぁ……樹里に怒られるなきっと」


「自業自得です。にしても、樹里ではなく咲良さんのほうが変質者だったとは……」


「えー、ひどーい」


「酷くありません!」


ごめんごめん、と再び謝った咲良が空を見上げる。何の鳥かは分からないが、二羽で仲良く空の散歩を楽しむ鳥たちが目に映った。

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