第34話 湧きあがる小さな疑惑
『南相生高校文化祭へようこそ! みんな、楽しんでるー!?」』
ぶっ続けで数曲を演奏したのちの初MC。葉月がいつもの様子で客席へ声をかけた。熱狂した客たちが「おー!」と声をあげる。
「陽奈、大丈夫?」
ステージを凝視したまま微動だにしない陽奈を心配したのか、樹里が顔を覗き込んだ。
「あ……はい。ちょっと圧倒されちゃって……。葉月さんと晶さん、凄いですね」
「ねー。かっこいいよね」
「いつもと全然違ってて、ギャップというか……とにかく凄いです」
「あはは。陽奈ってかわいいものとかかっこいいもの見ると途端に語彙力失うよね」
「む……」
陽奈が樹里をジロリと睨む。陽奈自身もそれは自覚していた。と、再びステージへ向き直った陽奈と葉月の目があった。
マイクで客席へ話しかけていた葉月が「おっ」と目を見開き、手招きして晶を呼び寄せ耳打ちを始める。
『さて、と。今日は私と晶の大切な友達も来てくれてるからね。気合い入れていくよー!』
客を煽る葉月と晶が陽奈へ向かって手を振る。自分に向けられた言葉だと気づいた陽奈も、小さく手を振り返した。
『本当は今日やるつもりはなかったけど、せっかく大事な友達が来てくれてるからね。できたてほやほやのオリジナル曲やるよー!』
客席から歓声があがる。葉月や晶の名を呼ぶ声も多い。
『それじゃあ、今日この場所へ来てくれた友達にこの曲を贈ります。Friends!』
ハイハットのカウントにあわせ、ギターとベースが疾走感あふれるリフを刻んでゆく。
一瞬のブレイクが入り、ボーカルの葉月がメロディラインを歌い始めた。先ほどまでとは打って変わり、どこか優しささえ感じるやわらかな声。
サビへ近づくにつれ会場のボルテージも最高潮に達した。会場が一体となり、リズムにあわせて手を振り始める。
棒立ちのままステージへ釘づけになっていた陽奈も、いつのまにか会場の客たちにあわせて手を振り始めていた。
その後も、バラードを織り交ぜつつステージは続き、アンコールも含めて全八曲を演奏して葉月たちはステージを降りた。
最初から体育館でイベントに参加していた客の話によると、ここまでで一番の盛り上がりだったのだとか。
「ああ〜……めっちゃよかった! いいもの見れたわ〜」
「はい、本当に。葉月さんと晶さん凄いです」
「また語彙力失った」
「うるさいですよ」
陽奈が樹里の脇腹を指で突く。「ひゃっ!」と情けない声をあげる樹里に、周りにいた数名が視線を向けた。
「ちょ、やめてよ陽奈。変な声出ちゃったじゃん」
「余計なこと言うからですよ」
と、そんなやり取りをしていると──
「お。まーたイチャついてる〜」
「学校でイチャイチャしちゃダメだよ〜?」
背後から声をかけてきたのは、ステージを終えたばかりの葉月と晶だった。
「葉月、晶。おつー。めっちゃよかったよ!」
樹里が二人とハイタッチを交わす。
「久々だからちょい緊張したわー。あ、陽奈ちゃん。見にきてくれてありがとうね」
葉月が陽奈へそっと拳を突き出す。最初意味が分からなかった陽奈だが、突き出された拳へ自分の拳をコツンとあわせた。
「葉月さんと晶さん、本当に凄かったです。二人ともただのギャルじゃなかったんですね」
「ただのギャルて」
苦笑いを浮かべる葉月と晶の額には玉のような汗が浮いている。ステージの激しさを物語っているようだった。
「ああー、あっついから早く着替えたいな。パンツまでぐしょぐしょだわ」
「あーしもー」
パンツまで、のくだりを聞いた周りの男性数名が葉月と晶の下半身へ目を向けたのを陽奈は見逃さなかった。
「お二人とも、汗かいたままでは風邪ひきますよ。早く着替えてください」
陽奈の言葉に葉月と晶は「そうするかー」と口にし、再度陽奈へ「ありがとうね!」と残しその場を去っていった。男たちからの卑猥な視線から逃がせたことに、陽奈がほっと胸を撫でおろす。
「さて、まだ時間あるし……陽奈、次どこ行く?」
「そうですね……」
陽奈がバッグからパンフレットを取り出す。
「んー……あ。ここ行ってみたいです。文芸部の部室」
「オッケー。文芸部はたしか、創作小説とかも販売してるんじゃないかな」
「それは楽しみです」
自身も小説の執筆を趣味としているため、高校生がどのような作品を書いているのか純粋に気になった。
体育館から校舎へと移動し、文芸部の部室を目指す。先ほどまでいた体育館とは違い、文芸部の部室は静かなものだった。
まさか、校内の耳目を一身に集めるカリスマ読者モデルが文芸部の部室に現れるとは予想だにせず、部員たちは明らかに戸惑っているようだった。
横長のテーブルへ並べられている作品を一冊ずつ手に取り、なかを覗いてゆく陽奈。樹里と一緒に現れた美少女に、当初「いったい誰だろう」と首を傾げていた部員たちだったが、一人が正体に気づいたようだ。
「あ、あの……もしかして、神木陽奈ちゃん……?」
メガネをかけたおとなしそうな部員が恐る恐る声をかける。
「はい」
まさかの天才少女の臨場に、部員たちがにわかに浮き足立つ。一方の陽奈はまったく表情を変えず、作品に目を通していた。
「ええと……すみません。これとこれとこれをいただけますか?」
手製の創作小説を三冊手に取り、部員へ声をかける。
「あ、はい!」
バッグから財布を取り出し、緊張した面持ちの部員へ代金を支払う。心なしか部員の手がかすかに震えている気がした。
「陽奈、もうオッケー?」
「はい」
「次はどこ行く?」
「んー……」
パンフレットを取り出そうとしたそのとき──
「あ、あの……数学研究会のところはどうでしょう? 神木さんが楽しめそうなコンテンツもあると思います」
先ほどのメガネ女子が遠慮がちに声をかけた。
「お。たしかに陽奈は楽しめそう。行ってみる? 陽奈」
「そうですね。ちょっと興味あります」
「数学研究会の部室は、ここを出て右へまっすぐ行った突き当たりの右です」
ていねいに行き方まで教えてくれた部員に感謝の気持ちを伝え、二人は文芸部の部室をあとにした。
意外、と言うと失礼かもしれないが、数学研究会の部室は思いのほか盛況だった。
どうやら、数学オタクの部員たちが考案したマニアックな問題をコンテンツとして提供しているらしい。
見ると、大学生や年配の人も多く、部員が考えた問題に唸りながら取り組んでいる。
「いらっしゃいませー。問題用紙はレベル五から一まで用意しています。さらに、スペシャルコンテンツとしてレベル一を超える難易度S級の問題も用意してますよ」
いかにも勉強が好きそうな、全身から真面目なオーラを醸し出す女生徒がていねいに説明してくれた。
「うーん、私はパス。陽奈、やってみる?」
「もちろん」
二人のやり取りを見ていた部員の女の子が、怪訝な表情を浮かべる。
「えーと、小学生の女の子にはちょっと難しいかも……です」
申し訳なさそうに口を開く女生徒へ、陽奈がジロリと視線を向ける。
「……問題用紙ください」
「あ、はい」
まあいいか、と問題用紙とペンを手渡す。サッと問題用紙へ視線を這わせた陽奈が、サラサラと解答を記入し始める。その様子を見ていた女子部員の頰が引き攣った。
「できました」
問題用紙を差し出された女子部員が恐る恐る受け取り、解答を照会し始める。
「う、うそ……全問正解……?」
震える声で呟くように漏らした言葉に、周りにいた全員が驚きの表情を浮かべた。
「レベル四から一までも全部もらえますか?」
「は……はい」
慌てた様子で問題用紙を用意する女子部員。ほかの部員たちも「何者!?」といった様子で陽奈を見ている。
受け取った問題用紙に再び目を通してゆく陽奈に、樹里が「どう?」と声をかけた。
「まあ、よくできた問題だとは思います。が、この程度では退屈しのぎにもなりませんね」
数名の男子部員が一瞬ムッとした表情を浮かべたが、即座に樹里が片目を瞑って両手をあわせると、途端に顔を赤く染めてモジモジし始めた。
退屈しのぎにもならないという言葉通り、陽奈は表情をまったく変えずペンを走らせていく。
あっという間に解答を書き込み、女子部員へと手渡した。答え合わせを始めた女子部員の顔がみるみる青くなる。
「じ、冗談でしょ……? レベル四から一まで全問正解……? そんなことって……」
と、そのとき。客の一人が「神木陽奈じゃないか?」と声をあげた。部員たちも気づいたらしく、ざわめきが広がってゆく。
「ほ、本当に本物の神木陽奈さん?」
戸惑う女子部員に陽奈が「はい」と無感情に答える。
「ま、まさかこんなところにあの神木陽奈さんが来てくれるなんて……」
感動したような表情を浮かべる女子部員とは逆に、樹里は陽奈が注目を集めすぎることを懸念した。
「陽奈、もう行く? 目立っちゃったみたいだし……」
「いえ。スペシャルコンテンツとやらにチャレンジしてみたいですね」
どうやら陽奈はやる気満々のようだ。その言葉に、女子部員がニヤっと口角をあげる。
「ふふふ……よく言ってくれました神木さん。まさにあなたこそ、スペシャルコンテンツへ挑戦するのにふさわしい……」
若干芝居がかった女子部員の物言いに、樹里と陽奈が「ええ……」と引く。
「ずいぶんともったいぶった言い方ですが、本当にそれほど難しいんですか?」
「それはもう。少し前に現役東大生が一時間くらいかけて解いていましたが結局解けず、変な声をあげながら帰っていきました」
陽奈の瞳がにわかに光を帯びる。少しは楽しめるのかもしれない。
「では神木さん。これをどうぞ」
女子部員が一枚の紙を取り出し渡す。記載されている問題は一つだけ。樹里もちらりと見たが、さっぱり分からなかった。
問題を眺めていた陽奈の目が大きく見開く。みるみる眉間にシワが刻まれるのが樹里にも見てとれた。
「え……陽奈でも難しい問題なの?」
それには答えず、陽奈は記載された数式を凝視し続けた。
「ふふ……さすがの神木陽奈さんでもこの問題は解けないですかね。何せこの問題は──」
「舐めないでください」
ジロリと女子部員を睨んだ陽奈が、ものすごいスピードでペンを走らせ始める。そして──
「できました」
「う、うそ……」
愕然とした表情を浮かべる女子部員が、震える手で用紙を受け取る。
「せ……正解です」
固唾をのんで見守っていた部員や客たちがワッと声をあげる。誰もが興奮した様子を隠さない。
陽奈は女子部員の顔をじっと見つめた。
「ずいぶんと意地悪な問題ですね。こんなの、普通は誰も解けませんよ。問題も実に緻密に組み立てられていますし……いったい誰が作ったんですか?」
「あー……えーと……あはは……」
女子部員の目が泳ぐ。何か答えられないことでもあるのだろうか。
「? どうされました?」
「いやー、その……実はこの問題だけ私たちが作ったんじゃないんだよね」
バツが悪そうに目を伏せる女子部員。
「そう……なんですか。じゃあ数学教師……でもなさそうですね。それにしては高難易度すぎる」
「うん、実は……」
女子部員がちらちらと樹里へ目を向ける。
「実は、この問題作ったの剣城さんなの」
「剣城……咲良さんですか?」
陽奈の顔が驚愕に染まる。と言っても表情はそれほど変わらないが。
「あ、剣城さんとも知り合いなんですね」
「まあ……」
「剣城さんは才色兼備として有名だし、文化祭の目玉コンテンツを作ってくれないかってお願いしたの」
「そう、なんですか。樹里は知ってたんですか?」
陽奈が「樹里」と呼び捨てしたことに、部員たちがやや驚きの表情を浮かべた。女子部員も「いったいどういう関係?」と二人を交互に見ている。
「んーん、知らない。咲良そんなこともしてたんだー。それにしても、陽奈が一瞬でも考える問題作るなんて、咲良もやるねー」
のんきに感心する樹里に陽奈がジト目を向ける。先ほどの問題、普通の高校生が思いつくようなものではない。少し前に樹里から聞いた話に加え、ここでの出来事によって、陽奈のなかに生まれた小さな疑惑が大きく膨らみ始めた。
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