第33話 おかえりなさいませお嬢様

「おかえりなさいませ、ご主人様」


簡易な装飾が施された教室に、メイドたちの声が響いた。今日は樹里たちが通う南相生高等学校の文化祭当日。


樹里たちのクラスが運営しているメイドカフェは、序盤から相当な賑わいを見せていた。何せ、人気読者モデルの樹里に加え、才色兼備と名高い咲良まで在籍しているクラスだ。


噂の美少女がメイド喫茶で給仕してくれるとなれば、これはもう行くしかない。と考えたかどうかは知らないが、実際樹里たちの教室へはひっきりなしに客が訪れ、入り口前に行列ができることもあった。


「美味しくな〜れ……萌え萌え〜きゅんっ」


ファンだという男性客と短い会話を交わした樹里の耳に、普段絶対に聞くことのない咲良のおもてなしボイスが届いた。


ニコニコと愛らしい笑顔と愛想を振りまく咲良の姿を目の当たりにし、樹里の背中にゾワゾワとした悪寒が走る。


うわ〜……やっぱり凄いな咲良は……あんなふうに迫られたらどんな男でもイチコロだよね。


飲食を終えた男性三人グループが席を立ち、樹里はテーブルの片づけに向かおうとする。が──


「佐々本さーん! ご主人様のお出迎えよろしくー!」


「お。はーい、メイド長!」


クラス委員の須藤花梨に声をかけられ、樹里はあたふたと入り口のそばへ移動した。


「いやー、佐々本さんと剣城さんのおかげで大盛況ね」


花梨が樹里の耳元へ顔を寄せ小声で囁く。クラス委員の花梨は、樹里にも普通の態度で接してくれる数少ないクラスメイトだ。


「それにしても多すぎない? なかなかハードだわー」


「閑古鳥が鳴くよりマシよ。ほかのクラスにも負けたくないしね」


勝ち負けにこだわり、何でも白黒つけたい性格の花梨に樹里は「あはは」と乾いた笑い声を漏らす。


と、そこへ。廊下で行列の管理をしていたメイドが入り口の扉を少し開き顔を覗かせた。


「次、お嬢様入ります」


「了解」


「りょ」


男性客はご主人様、女性客はお嬢様。それがここのルールだ。


「おかえりなさいませ、お嬢様!」


扉が開いたタイミングで、メイドたちが一斉に腰を折る。入ってきたのは、かわいらしい花柄のワンピースに薄いオレンジ色のカーディガンを羽織った女の子。陽奈である。


「来ましたよ、樹里」


若干固まる樹里に陽奈が小さく手を振る。何となく頰も赤い。


「あら、佐々本さんのお知りあい?」


「あはは……はい。友達です」


一瞬驚いた顔をした花梨だが、すぐ呑み込んだようだ。


「なら、お嬢様は佐々本さんがお席へご案内してさしあげてね」


「はーい。お嬢様、こちらへどうぞ」


樹里が陽奈の前に立ち席へと先導する。うう……何となく陽奈の口元が笑っているように見える……気がする。と、──


「樹里、似あってますよ」


背後からぼそっと声をかけられ、樹里は顔が熱くなるのを感じた。かろうじて平静を装いながら座席に案内し、着席した陽奈に手作りのメニュー表を差し出す。


「ええと……何にする? 陽奈」


「お嬢様、じゃないんですか?」


「ぐっ……!」


勘違いじゃなかった。慣れていない者は気づかないだろうが、陽奈の口元がわずかに綻んでいる。今の状況をめっちゃ楽しんでる顔だ。


「うう……何になさいますか? お嬢様……」


「では……クレープとコーヒーをお願いします」


「かしこまりました」


「樹里、顔が固いですよ? ん……それにちょっと赤いような……」


「んもう……陽奈の意地悪ぅ……」


「お嬢様」


「はい……お嬢様……」


うう……今日の陽奈はやたらとアグレッシブだ。これ絶対私で遊ぶつもりだよー。もう〜……!


やや唇を尖らせながら下がってゆく樹里の後ろ姿を眺める陽奈の口元は、まだ綻んだままだった。


オーダーしたメニューを待ちながら、陽奈はそっと教室内に視線を巡らせた。ずいぶんと賑わっている。男性ばかりかと思えば、意外と女性客も多い。


原因は……やっぱりあの人か。陽奈が視線を向ける先では、黒髪のメイドがにこやかに接客をしている最中だった。視線に気づいた黒髪の美少女が陽奈のもとへ近づいてくる。


「陽奈ちゃん、いらっしゃい」


「こんにちは咲良さん」


「樹里のメイド姿、かわゆかったでしょ?」


「はい。似あってるのに恥ずかしがっていて、つい意地悪したくなっちゃいました」


「あはは。陽奈ちゃんドSだな〜」


と、そんな会話をしていると、樹里がトレーを片手に教室へ入ってくるのが視界の端に映り込んだ。


「お、戻ってきた。じゃね、陽奈ちゃん。ゆっくりしていってね」


「はい」


咲良と入れ替わるように陽奈のもとへやってきた樹里が、テーブルの上にクレープとコーヒーをていねいに置く。


「お待たせしました、お、お嬢様」


「ありがとうございます」


陽奈にじっと見られていることを自覚しているためか、樹里の目は終始泳いでいる。


「そ、それではお嬢様、ごゆっくりどうぞ。またのちほど〜」


引き攣った笑みを浮かべながら、そそくさとその場を立ち去ろうとする樹里。


「待ってください。たしかこういうお店では、料理が美味しくなるおまじないをかけると聞いています。お願いできますか?」


「んなっ……!!」


まさかの発言に樹里が全身をワナワナと震えさせる。いや、どうして陽奈がそんなこと知ってんの? これ、絶対今日に備えて調べてきてるよね!? 陽奈……恐ろしい子!!


一見すると陽奈の表情はいつもとさして変わらない。が、見る者が見れば分かる。樹里の目には陽奈がニヨニヨと意地悪な笑みを浮かべる様子がはっきりと見てとれた。


「うう……それじゃ……」


目を閉じた樹里がスーッと息を吸い込む。そして──


「お、美味しくな〜れ! 萌え萌え〜きゅんっ!」


指でハートを作り、渾身の萌え萌えきゅんを披露した瞬間、「ピロリン」という音が二つ重なった。


ハッとした樹里が素早く視線を巡らせる。見ると、椅子に座ったままの陽奈と、少し離れたところにいた咲良の二人がこちらへ向けてスマホを構えていた。


「ち、ちょ……!」


「樹里の貴重動画ゲット〜」


「私もゲットしました」


そう言い残し素早くその場を立ち去る咲良と、そそくさとスマホをポケットへ仕舞う陽奈。


恥ずかしさのあまり顔を赤くし、ふるふると全身を震わせる樹里を尻目に、陽奈は澄ました顔でコーヒーカップに口をつけた。



──相変わらず賑やかな店内、もとい教室のなかではメイド姿の女子高生が慌ただしく動きまわっている。どうやら、男子は裏方に配置されているようだ。


樹里を目当てにやってくる客も多く、頻繁に話しかけられたり写真撮影を依頼されたりしている。


「行ってらっしゃいませ、ご主人様〜」


若い男性客を見送った樹里は、咲良といくつか言葉を交わすと陽奈のもとへ近づき中腰になった。


「ちょっと早いけど休憩入っていいみたい。一緒にいろいろ周ろうよ」


「はい。着替えますか?」


「んー、また着替えなきゃだからこのまま行くよ。恥ずかしいけど……」


「ほんとに似あってますよ?」


「うー……私背が高いから、こーゆーかわいらしい甘々な衣装は似あわないんだよ〜」


陽奈がかすかに首を傾げる。そうだろうか? むしろより素敵に見えると思うんだけど。もしかすると、樹里は私が思っている以上に自己肯定感が低いのかもしれない。


席を立った陽奈は樹里と一緒に教室の出口へ向かい、執事に扮した男子生徒へ代金を支払った。


廊下へ出て入り口のほうへ目を向ける。陽奈がやってきたときはそこそこ長い行列ができていたが、今はだいぶ解消されていた。


「ええと……陽奈、パンフレット持ってる?」


「はい。校門のあたりで配っていたのでもらってきました」


バッグのなかへ手を突っ込み、取り出した文化祭のパンフレットを開く。


「どこか行ってみたいところある?」


「そうですね……」


と、パンフレットを眺めていた陽奈が何かに気づいたように顔をあげた。


「そう言えば、教室に葉月さんと晶さんがいませんでしたね。同じクラスだったのでは?」


「ああ。あの二人はステージがあるから」


「ステージ?」


首を捻る陽奈の手元を覗き込んだ樹里が「えーと」と言いながらパンフレットに記載されているプログラムに視線を這わせてゆく。


「あった。これこれ」


樹里が指さしたところには「文化祭特別音楽イベント 体育館特設ステージ」と書かれていた。


「音楽イベント……」


「うん。あの二人、中学生のころバンドやってたみたいでさ。軽音部の人たちと文化祭に向けてバンド組んだみたい」


「ということは、葉月さんと晶さんがステージで演奏を?」


「そそ。葉月はボーカル、晶はギターだね。出演時間は……うん。ちょうどいいくらいだから行ってみようか」


「そうですね。ちょっと見てみたいです」


樹里が陽奈の手を取り歩き始める。人気読者モデルがメイド姿で美少女と手を繋いで歩いているため、嫌でも人目を引いた。


「陽奈って音楽は聴かないの?」


「そう、ですね。私は芸術には疎くて」


「芸術て。じゃあ歌とかも歌わない? カラオケとか」


「ないですね。というか、私めちゃくちゃ音痴なんで」


ぶっきらぼうに言い放った陽奈の表情は、何となく自嘲気味に見えた。


「ちょっと意外。天才だし何でもできると思ったよ」


陽奈がこれみよがしに大きくため息をつき、じろりと樹里を見あげる。


「前にも言ったじゃないですか。私は少しIQが高いだけです。芸術的なセンスも才能もありません」


いや、IQ少し高いレベルじゃないでしょ、と樹里が心のなかでツッコミを入れる。


「だから音楽の授業とかほんと苦痛です。合唱のときも音程まったくとれませんし。音程をとる、という概念もよく分からないくらいです」


「そ、そこまでか。あ、じゃあ咲良と一緒だね」


陽奈が目をぱちくりとさせる。


「咲良さん、ですか? あの方こそ何でもそつなくこなしそうな感じですが」


「あはは、そうだね。昔から頭もよくて運動神経もよくて大抵のことはできちゃうんだけど、音楽だけは苦手だよ。陽奈と同じように「音程とるとか意味分からん」ってよく怒ってた」


「そう、なんですか」


以前、樹里が咲良のことを成績優秀と言っていたのを陽奈は思い出した。


「咲良さんは昔から勉強が得意だったんですか?」


「うん。でも、毎回テストで満点とる、とかはなかったかな。ムラがあるとゆーか。でも何だかんだでバランスがとれてるから、常に学年トップ集団にはいたよ」


「……なるほど」


陽奈が何事か思案するかのように口をつぐむ。


「あ。あそこだよ」


樹里が指さした先には体育館らしき大きな建物があった。入り口のそばには横長のテーブルが設置され、数人の生徒が受付をしている。


樹里が近づくと、男子生徒も女子生徒もそろって緊張した面持ちになったのが陽奈には印象的だった。


体育館は土足厳禁だが、土間のスペースと下駄箱の数は限られている。そのため、入場者には靴を収納するための手提げ袋を配布しているようだ。


十月に入り夏日は解消されたものの、日中はまだまだ日差しが強い。体育館に足を踏み入れた樹里と陽奈は、押し寄せてくるむわっとした熱気に思わず顔を顰めた。


「おお……結構入ってるねー」


「ですね。熱気が凄いです」


ざっと見たところ百人近くは入っているようだ。体育館は広いため窮屈な感じはしないが、これほどの人数が一つの場所に集まるとやはり熱気が凄い。


ステージには幕が降りており、なかで何が行われているかは見てとれない。おそらく、ステージを終えた演者の片づけと、次に出演するグループが準備をしていると思われる。


樹里と陽奈は手を繋いだまま人のあいだをすり抜け、ステージ全体を見渡せるあたりに陣取った。


「葉月さんたちはどんな音楽を演奏するんですか?」


「んー、昔流行ったガールズロックバンドのコピー曲と、オリジナル曲もいくつかやるみたい」


「なるほど」


幕が閉じたままのステージへ陽奈が目を向ける。たしかに、派手な見た目の二人とロックの相性はよさそうだ。


でも、言い方は悪いが、いつもヘラヘラとした感じの葉月さんと晶さんがどのようなステージを見せてくれるのかは未知数だ。


と、そのとき──


体育館の照明が薄暗くなり、ステージの幕がゆっくりと開き始めた。


刹那、バスドラムとクラッシュシンバルの鋭く激しい音が雷鳴のように轟いた。ざわついていた客席に戦慄が走り、一瞬にして静まり返る。


ステージのセンターで、マイクスタンドへ寄りかかるように立つ金髪のギャル。葉月だ。


鋭い目つきで客席へ視線を這わせたかと思うと、スッと上手のギタリスト、晶を指さした。


それを合図に晶が、凶悪なディストーションサウンドでリフを刻み始める。ザクザクと抉るようなサウンドが空気を震わせる。


タイミングを合わせてドラムがビートを刻み始め、ベースが重低音を重ねてゆく。押し寄せる音の波に飲み込まれ熱狂した客たちが一斉に拳を突き上げ歓声をあげた。


迫力あるイントロが終わり、葉月がマイクへ口を近づける。次の瞬間、客席に衝撃が走った。


天を突き刺すようなシャウト。クリアで伸びやかなハイトーンボイス。高校生の文化祭レベル、とたかを括っていた客たちは、一瞬にしてそれが大きな間違いであることに気づかされた。


モニタースピーカーへ足をかけ、客を煽るように歌声を浴びせ続ける葉月。低く構えたギターで、重厚なリフとメロディアスなフレーズを繰り出す晶。


ステージ上で圧倒的な存在感を放つ二人に、陽奈の目は釘づけになった。何という迫力、何という存在感。


そこにいたのは、陽奈が知る軽薄でチャラチャラとしたいつもの葉月と晶ではなく、まったく知らない別人だった。

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